頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「こいつ話が通じねえ」とならないようにするために心がけるべきこと

http://megalodon.jp/2016-0331-0747-32/www.shijo-street-weekend.com/entry/2016/03/30/190000

の件についてのもやもやについて。

自殺の話については言及しませんがここの部分めっちゃ良いと思ったので紹介。
自殺の話はやめろ - さよならドルバッキー

「いじめられたらどうするか」というところで根本的な子供と向き合うところではなく、その対処方法だけを表面的になぞっても何にもなりません。

何も知らない人は「愚か」だと思うのかもしれない。でも「そういうもの」なんだよ。理解をする気もないのに「愚か」と決めつけるのはやめよう。

「子供がいじめられたのでハワイに行く」なんて非常にアホの極みです。目の前の大きな苦しみに必死で耐えようとしているところに「そんなもんはちっぽけな悩みだぞ、ほら父さんとハワイに行くぞ」なんて言われても絶対楽しめる状態ではない。いじめの被害にあったら、まずはしっかり休息を取らせることと「何があっても守ってやる」という姿勢を見せ続けることです。一週間ハワイに行って帰ってきて「さぁちっぽけな悩みなんて解決しただろう」なんて言われた日には抑うつ状態待ったなしです。

何度も書くけれど、その昔「毎日辛くて、ご飯を食べても味がしないしよく眠れません」という相談を受けた人が「私は辛いことがあったらいつまでもくよくよしないで思いっきり泣いてスッキリして全部忘れちゃうよ! だからそんなことで悩まないで思いっきり泣こう! そうしたらスッキリするよ!」って隣でアドバイスしてたの本当に怖かった。相談をした人は間違いなく抑うつ状態だし、何も出来ることがなくても愚痴を聞くとか「相談をした」という実績をあげるだけで少し和らぐことができる

ほんまこれ。大上段に格好いいスローガンをぶちまけることなんかより、

個々人が、問題について正しく知識を持って「目の前の問題にちゃんと対処する」ってのが大事なんですよ。

そのことが伝わらないのって無茶苦茶もどかしいですよね。




「目の前でおきている問題」に向きあうことの難しさ - この夜が明けるまであと百万の祈り

家族と向き合って問題を解決するために泥沼に飛び込むより仕事のほうが気が楽だから。家族の嫌な部分を見て、苦しむ姿を見るのが何よりも煩わしくて、つらいから。それに本人が気づいていない。本当に忙しいからだと思い込んでる。自分は立派だ。だからごめんねって思ってる。

逃げないで!かっこよく助けようとか思わないでいい。頼もしく俺に任せろとかいわなくていい。一緒に、怖がって!一緒に、震えて怖がって!一緒に、悩んで!どうしようとかどうしたらいいか一緒に、考えて!わたしと向き合って!


ブロガーだかなんだか知らんけど、自分がよくしらないことについて変に格好つけたことをいうのホントだめと思う。そんなことどうでもいいんだよ。問題に向き合うときに大事なのは、「格好良く」あろうとすることじゃなくて、ちゃんと目をそらさずに向き合おうとすることであって、それ以外に何があるのか。読みやすさとかどうでもいいよ。単純化したりしちゃダメなんだよ。 「わかりやすさ」なんて犬にでも食わせておけ。お前らなんちゃって語りのカスブロガーのために他人の問題があるんじゃねえんだよ。引っ込んでろ。



「自虐お詫び」「自分の成功体験による説教」する人は、自分の話する前に相手の話を聞け

上の人は「自分の成功体験による説教」でむちゃくちゃうざいけど、同様の根っこを感じるのが一昨日見た北条かやさんの「自虐お詫び」ですね。

問題が起きた時に「自虐お詫び」するのは火に油を注ぐだけなのでやめよう - この夜が明けるまであと百万の祈り
「謝る」というのがどういうことか、一度ちゃんと考えてみよう - この夜が明けるまであと百万の祈り

新人のおわびの、最大の躓きは、関心が「内向き」であることだ。「自分がいいか、いけないか」。自己保身に走ろうと、自虐おわびに走ろうと、結局、根は同じ、「私がいいか、いけないか」関心が内向きであることに変わりはない。
おわびと称して、自分探しとか、身の上相談とか、自己改革の決意表明まで、聞いてもらっているケースもある。社会人からみると無自覚である分「自虐お詫び」は自己保身よりもタチが悪い

これもやっぱり「自分」のことばっかり見ていて、目の前の問題に向きあおうとしないことが結構キツイと感じた。




つまりですね。「北条かや」さんにしても「四条通り週末.com」の人の最大の問題は何かというと、「強い表現を使った」とか「うかつに自殺の話をした」とか「こじらせという言葉を無断で使った」とか「飛田新地の名誉問題」とか、そういうことじゃないじゃないかな。もちろんこれもあるけれど、それ自体は話が通じる相手なら解決できると思える。最大の問題は、このお二人は「他人の話をちゃんと聞いてそれから考える」という基本的所作ができていないように見える、ということなのです。「人の話を聞くつもりが全く無い」「自分の脳内だけで考えていて目の前の人と意思疎通をするつもりがない」ようにみえるのです。無能なのか悪意なのかはどうでもいい。とにかくできてないのは確かです。その結果、何か問題があった時に「目の前の問題」に向き合うことをおもむろに避けようとして、それがはっきりとこちらに伝わってしまうことが問題なのです。


もっと短く言うと「こいつ話が通じねえ」という絶望を与えてくるところが怖い。



zeromoon0さんも引用されてましたが「四条通り週末.com」のこの表現とか寒気がします。

僕は、結構言っていますが、自分の子供がいじめられて学校を辞めたいと言えば、とりあえずハワイに行きますね。一週間でも。辞めたければ辞めればいいし、なんなら辞めるかどうかなんて考えすらもちっぽけなんだよ、と教えてあげたい。

自分が子供でいじめられている時に親がこんな態度を取ったらと思ったら間違いなく絶望します。完全に無自覚なハラスメントなんですよこれ。いじめで困っている。父に相談したい。学校を辞めたいという相談をした時に「とりあえず」やることが話を聞くことじゃない。いきなり父の考えを聞かされて、「自分で考えろ」「そんな悩みはちっぽけだ」と言われてしまう。 こんなことされたら二度と相談なんて出来ないでしょう。人の考えを大事にしない。相談したら自分のいいたいことだけ言って気持ちよくなるだけ。なんでやねん。


「自分で考えて私と同じ考えになりなさい」こそがハラスメントの本質 - この夜が明けるまであと百万の祈り

「コミュニケーションを求めながら、それが決して成立しないこと」というのはそれ自体苦しいことだろう。しかし、ハラスメントはその先にある。コミュニケーションが成立していないのに「一方的に相手の文脈によって」成立したことにされてしまう。この際に、自分が思っていないことを思ったことにされてしまう。自分の感覚を裏切ることを強要される。これがハラスメントなのだ


そして、多分そのことに全く自覚がない。 はっきりいって無茶苦茶気持ち悪いです。同じ日本語を話してはいるけど意思疎通ができそうだという希望が限りなくゼロに近い。私はこういうハラスメントを見ると、Webでも気分が悪くなってしまうので本当にかんべんして欲しいです……