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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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非常に誤解しやすい「性善説」と「性悪説」について

これ、よく使いたくなる言葉なのにもかかわらず、文字面だけみて意味を考えると、逆に取り違えやすい。気をつけたいですね。

あと「性善説」「性悪説」どちらにも限界があることを知って、あんまりうかつに使わないようにした方がいいです。

ゴッドランドの倫理学

YouTubeでアンチしてる全世界の人に言いたいです..毎回必ずこれを言いたくなります。
『じゃあ、観なきゃいいじゃん!!!!』
あんたの気分が悪くなるんだったら、観ることをやめればそれで解決じゃないの?さっさと登録解除して2度と関わらないようにすればいいじゃないですか?
そもそも、コメント書く時間がもったいないと思わないんですか?
何回も立て続けにアンチコメしてくる人の考えが僕には全く理解できません。自分だったら、気分が悪くなる動画を観ることに1秒も費やしたくありません。
ブロックしてもアカウント変えてまで攻撃してくる奴とかマジでドン引きっす..正直怖くて最近寝れません..
あっ、もしかしてアレですか..
要は僕を責めることで『ただストレス解消したいだけ』ですか?
あっ、それが目的だったのかぁ.. 
(でも、貴重な時間を費やしてまで、そこまでしてくるとは、、)
(ノ_-;)ハア…
最近感じるんですが、
人に関しては「性善説」よりも「性悪説」を信じるべきなのかもしれません。
人は本来『悪いもの』であり、誰かを不幸にすることで深い喜びを感じる方も世の中には沢山いるんでしょうね。
確かに僕自身も人のことは言えません。
学生時代、嫌いな奴に何か不幸があった時(ex. 「彼女と別れた」「ケガをした」etc)は心の中で喜んでる自分がいましたから。
やっぱり人は、本来「悪い」ものなんでしょうね..やたらと簡単に信頼してはいけないんでしょうね..

https://www.facebook.com/tsubasa.oji/posts/707845919357136

彼の主張内容については「そうだね、ゴッドランドだね。自分に都合の良い人たちだけで世界を構成したいという欲求は誰にでもあるよね」くらいの感想です。若い頃にこういう考えを持つことは誰にでもあるので責めるつもりはありません。10年後に「生産性のない会話はやめよう」とか言ってないことを祈るのみです。

ゴッドランドの経済学 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

某特殊部隊の少佐が神に選ばれたものだけの王国――人呼んで神の国、ゴッドランドを作ろうとする、という話をたぶんどこかで見たことがあるだろう。堕落した無能な将軍どものいない、優秀で高潔な軍人だけの国を作るんだ、と。だれでも一度や二度は思いつくことなんだ。
でもそれを聞いてケンシロウは言うんだよ。「その考えがすでにまちがっていることがわからないのか」と。

というわけで、若者によくある主張自体はどうでもいいんです。が、「性悪説」のところは気になる。



あの、性悪説は、性善説と対置されて「環境や教育の大切さ」を述べる概念ですよ。

人は本来『悪いもの』であり、誰かを不幸にすることで深い喜びを感じる方も世の中には沢山いるんでしょうね。

違うよ。ぜんぜん違うよ。

f:id:tyoshiki:20160423170117j:plain

少なくともあなたのその薄っぺらい考え方を支持するために性悪説を持ち出すのは間違いですよ。あなたがそういう意味での「性悪説」を主張するなら、自分に都合の悪い存在にだけ性悪説を適用するのではなく「あなた自身も本来悪いものであった」という前提に立って、どうやってそこから抜けだしたのか、を考えなければ説として実に間抜けな話になるのではないでしょうか。


http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/zakki/log14.htm

そもそも、ここでいう「悪」は一般的な意味で言う悪ではあく「自然」とか「利己的欲望」などとして定義されています。もちろん「善」も私達が考えるものとは大きく違います

人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子性善説に対立して荀子が首唱。要するに、「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というのが性善説、 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」というのが性悪説です。

つまり、どちらの見解でも結局「人は善行も悪行も行いうる」のであって、 これは人を信じるかどうかとは関係のない話なのです。誤解されていた方は、以後ご注意下さい。

法律用語の「善意」「悪意」の意味を知った時は「まじっすか」と思いました

善意 - Wikipedia

法律用語としての善意は、ある事実について知らないという意味で用いられる(例:善意の第三者)。対義語の悪意は、ある事実について知っているということを示す。どちらの場合もそこに道徳的な善悪の判断を含むものではなく、ただ事実を示す言葉として使われる。
民法の条文において用いられる「善意」は「善意無過失」の意味であると解されることもある。

こんなわけで「善」とか「悪」は文字面だけみて勝手に解釈すると、全然違う意味だったりすることが多いので注意が必要です。ちゃんと確認して使いましょう。


「キーワードの定義・確認」はとっても大事だと思います

文字面だけを見て「勝手に解釈して」使うのは誰にでもよくあることだけど、せめて議論のコアとなる単語だけはしっかり調べたり定義したほうが良いです。ここを間違ってると、どれだけ頑張って語っても無駄になっちゃいます。

ポイントは「キーワードの定義」だ。

同じ「成長」という言葉を使ったとしても、家の壁を塗っている人は、均等に美しく塗る技術の向上を考えるだろうし、
どこにどんな家を建てるか構想中の人は、いかにお客さんをひきつけるか、のプロデュース力の進化を連想するかもしれない。

さらに上層にいくと、利益率に跳ね返ってこない個人の成長は、成長とは呼ばないかもしれない。
とにかく同じ言葉にこめる意味合いがぜんぜん違う。

そこで、自分の話や文章の中で、キーになる言葉、社内の立場によって、解釈がぶれそうな言葉は、必ず、明確に定義してから、話を進める。
「成長とは、ここでは……という意味でつかっています。……という意味ではありませんのでご注意ください」と。
キーワードの明確な定義と、相手側の論理構成に置き換えて話してみること、通じないときは、この2つを試してほしい。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090619/198111/?P=3

彼の主張は「性悪説」を拠り所にしようとしてるわけですが、その性悪説自体が偽物だと、この人は間違った根拠をもとに語ってることになります。「そこ間違ってるかもしれないけどさ。俺の言いたいことは分かってくれよ!」という主張も可能ですがもうそうなら、根拠書かずに、主張内容だけ書けばいいのではないかと思います。

結構な割合の人が「性悪説」のつもりで「性善説」を、「性善説」のつもりで「性悪説」を唱えている

上のFacebookで若者が主張しているのは、本人は性悪説だと思ってるかもしれませんが、実は性悪説の反対の性善説に近いです。意識的にか無意識的にか性善説に立ってる人は「自分が善」だと思ってることもあって「悪」に対してものすごく痛烈に批判したり「切り捨て」を行うことになります。「性善説」にたつと、自分が良いと思ったこと以外の人に不寛容になります。「善から悪に堕ちた人」になるからです。上のFacebookの若者の主張の危ういところは「自分が良いと思わない人以外は切り捨てることで自分の善を守る」という姿勢が明確だからですね。彼にかぎらず、ミニマリストとか互助会の人たちに見られる「仲間内だけを善とし、外側に対する過剰な敵意」はあれ性善説から来てるんだと私は思ってます

で、彼の発言をゴッドランドに例えたのは、この性善説はもともと「君主専用」といってもよい論理だからです。なので上の若者みたいな考えは、ほんとに大学卒業くらいまでに卒業しておいたほうが良いと思います。大学入って就職したら君主じゃなくて下っ端から開始するので、性善説なんて後生大事に持ってたら発狂しますよ。



私自身はどちらかというと「性悪説」ですが、性善説にせよ性悪説にしても、どちらも主語デカすぎな上無理のある論理ですよ

他者に寛容であろうと思えば、むしろ「性悪説」オススメ。性悪説は、悪いことあっても「無知だから」「心が鍛えられてないから」「礼を知らないだけだから」ということで、「罪を憎んで人を憎まず」となります。すぐに人に対して人格的批判を行う人は、性善説だからこそだと思うんですよね。



まあ、性悪説性善説も、どっちも矛盾含んでるからダメなんだけどね。性善説とか性悪説ってものは限界があるので「限界を理解した上で、用量用法を正しく守ってお使いください」と言うしか無いですね。

性善説 - Wikipedia

孟子性善説」が悪の起源について矛盾を抱えていたのと同様、荀子の「性悪説」もまた善なる「礼」が何に由来するのかという点において矛盾を内包する学説であった。

まぁ、役に立つか立たないかはともかく、こういう「よくある言葉の由来」をよく知っておくと、話のタネとしては面白いですよね♪