頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

なぜネットの議論は不毛に終わりがちなのか?今更「集合知」について振り返ってみる

新規の知識生産が増え、それを前提に世界が大きく動くようになると、試行錯誤の結果が常識として蓄積されるのを悠長に待っていることなどできなくなってしまった。それでも社会に何らかの規範は必要だ。どうしよう?常識が、従来の蓄積型から計算型構築型へと変化し、分散式でリアルタイムに構築されるようになる――いま起きているのはそういう変化なのかもしれない。


という話があったので、「集合知」について参考になりそなものを読んでみた

集合知の4つの条件

http://www.slideshare.net/takeda/ss-10251310
http://www.slideshare.net/TomoakiWatanabe/20100422-13876232?next_slideshow=1

f:id:tyoshiki:20160425143718j:plain

多様性 (diversity of opinion)

各参加者がそれぞれに独自の視点があれば、総体として多くの候補解を列挙可能。探索空間が狭い場合には、その探索空間内に適切な解が存在しない可能性


②独立性(Independence)
各参加者の持つ意見や提案が他の参加者の影響を受けないよう各参加者の独立性が確保されている必要。とくに小集団で議論を行う場合には、多様性が低いために偏った結論に集約される危険性


③分散性(decentralization)
問題を抽象化せず、各参加者が直接得られる情報に基づいて判断する必要。参加者ごとに得られる情報の種類は異なると予想されるが、多様性を維持するためにも、各参加者に共通する属性のみで判断すべきでない。


④ 集約性(aggregation) 上記3点の特性を生かして得られた知識を参加者全体で共有し、比較検討して最終的な結論を導く仕組みが必要

ぼくたちが考えるに、-マスコラホ゛レーションの時代

集合知」と「みんなの意見」・「一般意志」との違いについて

みんなの意見の意義と限界:『「みんなの意見」は案外正しい』解説

集合知は絶対ではない。みんなが思っているよりは正しい。でも、それをうまく引き出して活用するにはそれなりのコツがいるのだ。

集合知とか「みんなの意見」というと、何かそういう意見や知識が自然に実体的に存在するような印象を持ちやすい。でも実は「みんなの意見」は、かなり高度な手法でだれかが作り上げるものだ。自然に生まれる合意のようなものではない。その意味で、個人的にはこの種の集合知を民主主義とつなげて論じるありがちな議論に、少し疑問を抱いている。

「集合的にベストな意思決定は意見の相違や異議から生まれるのであって、決して合意や妥協から生まれるのではない」と本書は言う。意見集約には投票すべきなのだそうだ。でも、何でも投票で片付けて少数意見を切り捨てるのが民主主義ではないのも当然だろう。妥協と合意のない政治などあり得ない。その意味で著者の言う集合知や「みんなの意見」は、実は究極のところで民主主義とは似て非なるものなのかもしれない

自然発生的なものを良しとしてたら駄目ってことですね。

「みんなの意見」が「集合知」として機能するには大前提がある?

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/201661.html

集合知の応用には大前提があります。それは問題の正解があることです。または、正解をみちびくための客観的な評価基準がはっきりしていることです。

評価基準がそれほど明確でない問題、価値判断が分かれる問題ではどうでしょうか。公共的・政治的な問題では、多くの場合、正解を導くための客観的な評価基準などありません。誰もが納得する正解など存在しないので、議論は迷走しがちです。

こういう場合以外だと「④ 集約性(aggregation)」がうまく機能しないということですね。

しかしこういう評価がはっきりした意味での集合知であれば、もうディープラーニングなど機械学習に負けるんじゃないかなあ……。

その程度のものなのだろうか?



「みんなの意見」には大きな欠点がある。

①なぜそういう結論になったのか、さっぱりわからない
「みんなの意見」の根拠なんかだれも説明できないし、だれも責任を持たない。あなたが五里霧中の状況にいたとき、根拠レスな「みんなの意見」に本当に命を賭けられる?ジャングルで迷ったとき、専門家はたとえば植生を根拠に西に向かおうといい、その判断に自分の名誉と命を託すという。ところが「みんなの意見」は、特に根拠はないけどなんとなく東だという。さて、あなたは「みんなの意見」に従う気になる? 従わない人は本当に不合理と言えるだろうか?


②「みんなの意見」には、改善の余地もない
専門家なら、新しいやり方や工夫を導入できることもあるけど、「みんなの意見」はどうしようもない。



③結局専門家の意見に回帰するのでは?
さらに「みんなの意見」とされているグーグルの検索も、実は専門家の知見に大きく頼っている。今後重要になるのは、その「みんなの意見」と専門家をどう使い分けるか、という話だろう。これは、まだ答えがない分野だ。

私は「互助会」とか「ブコメ」的なものが嫌いなのですが、何が一番嫌いかというと、この「みんなの意見」っぽいところかもしれません。


考えが浅いとか知識が間違ってるとかそういうのはいいんですよ。そこを咎めたら私何も書けなくなるし。私の記事なんて明らかに勉強足りないのばっかりだしね。

そうじゃなくて

①自分の意見として述べてないから根拠が無い
②「なんとなくそんな空気だから」みたいな理由で述べているから責任が無い
③それでいてなんとなく自分の意見が正しいと思ってそうで検証してない

こういう感じがする記事がすごく苦手。ブロガーなのに自分で考えなかったり、何も背負わずに発言してる人ってのが意味不明すぎる。それだと間違ってた時に直せないじゃん!

*1

そういうわけで、上の4つの条件とも重なるけど、まず一人ひとりが自立して意見を述べるし、その上で検証はするけど多様性は認める、みたいなことが出来ないと「みんなの意見」って危険なものに成るんじゃないかなと。



そういうことを思ったりしました。



公の自然発生的な「みんなの意見」はもう期待しにくい。はてブにもtwitterにも。ではその後どうするか? クローズドが正解なのか?再びリアルに回帰するのか?




*1:私は自分の意見が間違ってるかもしれないと思うから、めんどくさいけどいちいち根拠とか書いてるます。自分の意見を押し付けるために書いてるわけじゃないんだよこれ? なので、間違ってると思ったら否定する材料いっぱい示してるはずなので、人格にレッテル貼ったりセずにどうぞ根拠を持って指摘してください。