頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

「レジリエンシー(凹まない力)」について

読みました。これを読んで「レジリエンシー」「コーピング」なんて言葉を思い出したので、「レジリエンシー」についてさくっと紹介します。

レジリエンシーについて

多分、上の記事で言ってることと「レジリエンシー」って言葉が目指すものは似てると思うので、よかったら覚えていってほしいなって思います。

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2014/10/29/170942

◆凹まない人になるために越えるべき3つの壁
「いつも良い子でいるように育てられた」
「いつも自分以外の力が自分の人生をコントロールしていると信じこまされた」
ストレスという間違った概念を信じこまされている

ストレスとは外部からかけられる圧力のこと。ストレインは圧力に対する自分の反応。
問題となるのは圧力の客観的な大きさではなく、それに以下に凹まされないかという私たちの許容力の方。

心の許容力を高めるための3つのリスト
・何が大変なんだろう(問題の具体化)
・私はこう感じている(自分の感情の正確な認識、表現)
・自分を元気にしてくれること(免疫力や活力の源)

こんなことはどうでもいいと思えないだろうか?
 どんな小さな事でもいいから何かできることはないか?
 それから逃げる方法はないか?

つまり「ストレス」そのものに対処するのは短期的には困難だから「ストレイン」側を何とかするしかない。

その手法として「サボる」とか「逃げる」とかそういったものを上手に使おう。「サボっちゃダメだ」とか「逃げちゃだめだ」って思いこまずにしんどかったら休むとかサボろう。自分の心身に関わるようなことは、自分でコントロールしていい、自分で自分を守ってもいいんだって考えになろう。最低限の自己コントロールは取り戻そう

…と、そういう話として考えると、同じことをいってるんじゃないかなと思うんですね。


レジリエンシーの例としてたとえば「ストレス」のかかるはてブコメントを見かけた時どうするかを考えてみます。いろんな対処法があると思いますが、私はそれをまともに受け止めて凹むか、適当にいなすかを自分で決めます。 どうでもいい人のために凹んでやったりするのはもったいないと思ったらまともに相手しません。凹むけれど意見に価値があると思ったら対応するかもしれません。そこは自分がコントロールしていい部分だと考えていますし、実際そうやってコントロールします。


こんな感じで、私はこの「レジリエンシー」って言葉が結構好きです。自分の身の回りに起こるストレスについて、自分で何一つ制御出来ないと思い込むよりずっと健康的だと思うからです。なので、この概念って知っておいても損はないなって思ってます。

※ちなみに、もともとはシステム用語らしいですね。詳しくは知りませんけど。「レジリエンシー」と「ロバストネス原則」が個人的にすごい好きです。












以下は記事とは関係のない私的な愚痴みたいな話になるので、読みたい人だけどうぞ。

「レジリエンシー」って言葉はあんまり広まらなかった気がするけれどなぜだろうか

日本でもこの言葉が流行りかけた時期がありますが、結果としてはネガティブに受け止められ、あまり広まりませんでした。 どの記事か忘れましたが、ネットのとある記事でこの言葉が話題になった時のはてブを見てみると、社員にストレスを与える会社側に都合の良い考えだして嫌悪を示す人が多かったことを覚えています。


つまり、本来自衛のためであったり、より良く生きるための考え方のはずが、「会社のメンタルヘルス責任」を「社員の責任」に転嫁してしまうおそれがある、というわけです。社員が職場で心を病んだ時に「レジリエンシーが足りないせいだ」といえてしまうようになるのではないか、と恐れた人が多かったということですね。


もったいないなあと思ったんですがしょうがないとも思いました。同じ構造をネットで「スルー力」って言葉で嫌というほど見せられたからです。実際に、この言葉が広まったら、そうなるんだろうなって思ってしまった。



「レジリエンシー」も「スルー力」も、なぜか本来それを言うべき立場でない人が相手に押し付けようとするのが嫌だ

本来は「レジリエンシー」も「スルー力」も、自分が必要だと思って鍛える系のスキルだと思う。

なのに、なぜかわからないが、それを他人に向けて平気でいう人が後を絶たない。

今の人達ってスルー出来なさすぎると思うのだが

「暴言はスルーして」「俺の批判には向き合え」みたいなダブルバインドを押し付けようとしてるんじゃないかという印象を受ける人もいる。実際には「うまくフィルターをかけろ」くらいの意味で言ってるんだろうが、いずれにせよモヤモヤする。

私は発達障害であるせいかスルー力は多分普通の人より低い。
おかしいと思ったことはとりあえずおかしいと言わずにはおれないところがある。
ネットだけでなくリアルでもよく人と衝突する。

そこで「スルーしろよ」とか「ノリを理解しろ」みたいに言われるのが我慢できない。

「まともに会話出来ない奴は、人間扱いせずコンテンツ扱い・フリー素材と見做す」方がお互いにとって幸せか? - この夜が明けるまであと百万の祈り

自分のためにそういう力を身に着けたいとは思うものの、それを他人から指摘されるのは嫌だ。
だから「スルー推奨」かどうかも自分で決める。

具体的なルールについてはこの記事を読んで欲しいと思う。
陰口で傷ついている人に「スルー推奨」以外のどんなことが言えるか - この夜が明けるまであと百万の祈り