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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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読者の反応にイラッとしたときに自分がどうするかはあらかじめ考えておきたい

ブログの記事って。



普通は書く側のほうが労力かけてて、読むほうは好きなように読んで好きにコメント残せるから楽ですよね。これ大前提でいいよね。



基本的にはそれでいいと思うんだけれど、こういう関係性の基本すら理解できないというか否定しようとする人が時々いますよね。ROM専の人が書き手の労力や限界考えずにむかつくコメントすることありますよね。あと、2ちゃんやってたのか、中学生同志のLINE会話やらニコニコのノリをそのまま引きずってるのか知らんけど、明らかに使いどころを間違えてる頭の悪いコメントする人いますよね。読み手が「書き手のこちらの責任能力を超えて」あまりに読解力のない反応を返してくるときもありますよね。



こういうやって自分の書いた文章が適当に読み飛ばされたり誤読された時って限度を越えるとイラッとしますよね。むかつきますよね。



で。



そうやってイラッとした時に自分だったらどう反応するかというのは、平静な時に自分なりのルールを考えておいたほうがよいと思います。冷静な時に考えておかないと、たいていその時が来たら、「ついかっとなって目の前の相手に勝とうとして普段だったらしないようなことをしてしまう」ことになりかねません。



「むかついたことない」っていう人ほど、考えておいたほうが良いと私は思います。




たとえ頭に血が上ったとしても自分が捨ててはいけないものは何か

批判されて頭に血が上ると、人が陥りがちな行動はだいたいこんな感じ。

①「さらに煽り返す」「読者のレベルのせいにする」(他者尊重の姿勢の放棄)


②「何ブログごときで熱くなっちゃってるの?」(書き手としてのプライドの放棄)


③「無料の記事だし、私は専門家でもないんだから知るか」(文章責任の放棄)


④「批判する人は嫉妬してるか人間性の悪い人だ!」など読者にレッテルを貼ることで自分を免責する(論理性の放棄)


⑤「直接は向き合わず、反論をするでもなくエアリプで延々と愚痴る」(社会性の放棄)

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2016/04/22/033459

9割の人の反応はこれでカバーできるでしょう。

ここまでパターンが共通するということは、
その人性格うんぬんより、つい人がカッとなったら、共通してやっちゃう反応なんじゃないかなと思います。
つまり「そういう反応をした人がバカ」という話ではなく、
むしろ冷静な時にルールを考えておかないと、誰でもやらかしてしまう可能性があるということですね。



で。



カッとなってしまうとそういう反応をしてしまうこと自体はしょうがないとして、問題はやらかした後です。*1 非常に残念なことにネットではログが残ります。一度その場の勢いでこういう行為をしてしまい、それが後を引くこともあります。周りの人に「あの人はこういう反応をする人だ」というイメージがついてしまったりね。


また、それより悲劇なのは、それまではそんなにおかしな行動をしてなかった人でも、ついうっかり自分がそういう行為をとってしまった時に、一貫性を重視してしまうのか、むりやり自分はそういうキャラだと言い聞かせてしまうことです。「一回やっちゃったら引っ込みがつかない」と思っちゃうのかな。「そうさ、おれはもともとこういうキャラなんだ」「もともと俺はブログに本気なんかじゃなかったんだ」って露悪的にふるまったりね。


そうやってどんどんキャラが先鋭化してしまったのが一部のはてなアイドル(ほめ言葉ではなくやや蔑称的な扱い)的な人たちだと思います。こういう人たちは、元からそういうところがあったにせよ、ネットでどんどんとがったほうにセルフフィードバック回すとああなっちゃったんじゃないかなと。




だから

1 まず事前の対策としては、不測の事態が起こった時に自分がどう反応するかは冷静な時にある程度考えておく。自分にとっての優先順位をちゃんと考えておく。


2 事後の対策としてはたとえ対応を間違ったとしても「炎上状態だと冷静に判断できないんだから仕方ない。次からは気を付けよう」という風に意識を切り替える。間違った行動をとってしまったなと思ったら、そこは意地を張らないようにする。必要があれば謝罪もする。「自分にとっての優先順位」を見失わないようにする

って大事なんじゃないかなって私は思います。

「謝る」というのがどういうことか、一度ちゃんと考えてみよう - この夜が明けるまであと百万の祈り


内田樹の定義では、「コミュニケーション能力」とは、話すのが好きか嫌いかとか、得意か苦手かという話ではなく、コミュニケーションが破たんした時にそれを修復できる力や意思があるかどうかが大事なんだそうです。私もこの意見はよいと思ってます。いちどうまくいかなかったからと言って、それで相手を切り捨てたり、開き直ったり、相手から逃げようとするのがまずい。


自分の態度次第では結構な確率で関係は修復できる。その際に自分が悪いなと思ったところや、譲れるところは譲る。相手について理解できてないなと思ったら冷静になった時に考え直してみる。とにかく、しょうもないところでこじらせない。しょうもないこじらせを個性だと誇ってるやつはただのクズです。




とはいえ、読み手の人も、書き手のことをある程度大事にしてあげよう(書き手をやる気にさせたげてよお)

もちろん書き手が読み手に何かを強制する権限はないんですけどね。

でも、せっかく書き手は手間かけて書いてるわけだからせめて、コメント書くならちゃんと見出しくらいだけでいいから最後まで読むくらいはしてあげて。その労力すら惜しむならコメントなんかしないでほしい。私は読み手の人にはそのくらいは求めたいです。何度も言いますが、そういう最低限のレベルすら満足にこなせないくせにコメントだけはしたがる人は大嫌いなので、私のブログでは非表示にさせてもらってます。


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書き手は、読者が最低限の礼儀を守ってくれる人だと思ってるからこそこちらもちゃんと礼儀を尽くそうって思う。読み手も、書き手が読者に対してある程度敬意を持ってくれてるとおもうからこそちゃんと読者に向けて文章を書いてくれてると思うからこそ一応ちゃんと読もうかなって考える。

堅苦しいかもしれないですが、そういう前提くらいは求めたいです。
それを書き手が崩すなら、読み手もそれ相応の人がくるでしょう。
読み手がそれを崩すなら、書き手だって読者に対してまじめになれない。

そういう不幸な関係が量産されて、その不幸な関係になった記事がホッテントリにようさん上がってくるのはほんとやだなぁと思いますよ。

「その人にしか書けないこと」が読めるのがブログであって欲しい: 不倒城




ただ、最近は「お金のために書く」「人じゃなくてロボット向けに書く」「ちゃんと読まれなくてもはてブさえつけばよい」みたいな人が増えてきて、この関係が崩れてるのかなって思います。

私は互助会的なものが嫌いなのですが、何が嫌かって、彼ら「検索の位置づけを決めるアルゴ」とか「賞賛されるのが約束された場」に向かって書くわけじゃん。ああいうのはなんか見てて気持ち悪いって読者としては思います。 

そんなん真剣に読む気しねえです。書き手が真剣に書いてないんだから、読者だって適当にあしらうにきまってて、適当にあしらわれたら「俺本気で書いてねえもん」とか不毛にもほどがあります。 はてなははやく「ブログ飯」カテゴリ作ってそこに放り込んでください。

*1:この時に「炎上対策」っていう言葉はそれを使うこと自体がバカの証明みたいなもんです。炎上しないことや、炎上した後どう火消しをするかなどというのは表面的なことでしょうに。目先の問題をどうにかすることしか考えてない証拠です。大事なのは自分自身じゃないのかと