この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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新人さんが書く「飲みニケーション批判」記事はあまり心に響かない

この話をブログで書きたがる新人の人多いなって感じます。

だいたいはみんな似たような話をしてるかな。

①いかに「飲みニケーションが不合理か」を語り
②「ランチケーションとかどうだろう」みたいな提案でしめる

という感じかなと思います。*1


で。


こういうのを読んだときに読み手としてどう感じるかというと、「うんまぁこの人なんか嫌なことがあったんだろうな」って思うことはあっても全然心に響かない、でしょうか。なんというか、欺瞞というか、本音でしゃべってねえなとすら感じてしまうことが多いです。


何が引っ掛かるかというと、この手の記事を書く新人さんって、たいていの場合「親しい人との飲み会は好き」っていうんですよね。酒そのものが嫌いだったり飲めないわけじゃなく、友達と酒飲んで盛り上がるのは否定しないわけです。つまり「飲みニケーションそのもの」は否定してない。

自分でそう書いてるんだから、そこで「会社での飲みニケーションは、友達との飲みとちがって何がつらいのか」ってのを掘り下げるべきだと思うのですが、そこで納得いくまで考えて書いてる人ってのがいない気がします。「自分が飲みニケーションが嫌いな理由」を語ってるはずなのに、自分と切り離して「一般的な飲みにケーションの不合理性」を語ってるというか。それでは読んでるほうとしても「一般的にはそうかもね」としか言いようがないような気がします。


で、そういう一般論的な飲みにケーション語りには全く興味がないのですが、実際に憎しみに近いレベルで会社の飲みにケーションを嫌いな人は少なくないと思います。せっかくブログで書くんだから、そのあたりの強い気持ちをぶつけてくる記事を読んでみたいなと思ったり。「一般論」は聞き飽きたので、「一般的な賛同が得られなくても私はこんなに嫌いなんだ~~~!」という叫びがほしいですね(無茶ぶり)。



私の新人のころ、飲みケーションは恐ろしく負担が大きく感じられた

で。私も飲みにケーションが好きではないわけですが、自分が念頭においてるのはこの記事ですね。

◆社会人になるとモテなくなる理由

学生時代にイケイケだった人が、社会人になった途端にモテなくなったりする。その理由は単純で、<下っ端根性が染み付く>からだ。サークルの代表で「俺は主役だ。自分が中心だ」と思っていたような人が、会議室の予約くらいしか貢献できないわけ。ミーティングでキレのある発言なんてできるはずがなく、必死で議事録を取るわけです。そして、(モテ的には)イケてない先輩に決して楯突かず、愛想を振りまいてるうちに、毒気と色気を抜かれてしまう

①新人で、まだ会社の仕組みなどが理解できてないとき、「今までの基準」で比べるしかない。

②「今までの基準」で見ると実に先輩たちは非効率で不条理なことをやっていて、バカバカしいことをまじめにやってる愚か者にしか見えない。

③そして、先に入社しているというだけで、愚かものにしか見えない先輩たちに下として扱われることに強い屈辱を感じたり、自分から見て不条理な慣習を押し付けられることで、今までの自分の信念やアイデンティティがないがしろにされ押しつぶされてるような危機感を覚える。

④「無力感」やら「危機感」のせいで、必死に反発しようとする。その象徴として飲みニケーション批判が出る

という感じでしょうか。そう考えると「飲みにケーションが嫌い」記事は「死の需要プロセス」の第二段階にいる人たちの叫びなのかもしれません(※後述)




新人の期間はとにかくいろいろプレッシャーがきつくて余裕がないですよね。

そもそも「飲みニケーション」がなくても、なれない環境や仕事でストレスが死ぬほどたまるしすごく疲れる。はやく帰ってゆっくり休みたい。家でゲームしたい。友達と遊びたい。今までの自分をキープしたい。そうしないと心が死ぬ。(意識が低い人間なので……意識が高い人なら大丈夫だと思います)

この「心に全然余裕がない」ところに、さらに追い打ち的に飲みニケーションに誘われる。立場が弱いからそうそう拒否できない。いやいやでも参加せざるを得ない。(コミュニケーション苦手な人間としては、放っておいてほしい……とか身勝手なことを考えてました)

さらに、そこでまだろくに打ち解けてないのに「飲みにケーション」だからと言って先輩が無遠慮に踏み込んで来られたら、心がパンクしてしまいそうになる。

それでも必死に先輩方に気を使って一生懸命合わせてるのに、「ノリがわるい」とか「もっと自分出せよ」みたいに要求されたりとかしたら、逆ギレぎみに立場を忘れて「もうちょっと私のこと気遣ってくれ!」とか「しんどいんです助けてください!」って叫びたくなる。で、それも言えないといよいよ「怒り」になってしまうかもしれません。もちろん吐き出す場所は現実の先輩相手ではなくてネット、ですが。 (我ながらすごい卑屈なこと書いてて涙が出そうです)



たぶん、私も新人のころにブログやってたら100%「飲みにケーションが嫌い」系の記事を書いていたと思う。本当に大学生や新人のころにブログやってなくてよかった。とくにはてなブログなんかやってなくてよかった。



私の場合、同じ職場でしばらく仕事をしていると、別に「飲みニケーション」にそれほどストレスを感じなくなりますし、無理に参加する必要もないので、いやなら断れるようになりました。自分から主体的に飲みたい相手と声をかけて話の場を作るって感じになりますから友達ではなくてもそれほどしんどいなと思わなくなっていました。でも、転職した時には改めて飲みにケーションはかなり負担だなと改めて感じられました。

結局私にとっては「職場適応」「職場政治」みたいな問題が大きかったのであって、それと比べれば一般的な飲みにケーション批判記事で挙げられてる理由なんて嵩が知れてるんじゃないかなと今は思ってます。





もちろん私はこう思うというだけであって、そもそも飲み会が嫌いだとか、何年たっても飲みニケーションは不条理で許せない、という人もいるかもしれません。そういう人の意見も聞いてみたいです。

ただ新人の人たちが飲みにケーションについて語る話はなんというか、最近よく見かける金儲け大好きブロガーが、自分がまともに働いてもないのに社会人を馬鹿にする話くらい薄っぺらいように見えるので、個人的にはあんまり好きじゃないです。 書いてもいいけど、そういう生半可な理解で喧嘩売るなら、叩き返される覚悟はしておこうな。 それより素直に自分の感情書いたほうがいいと思います。(むっちゃ難しい要求をしてますけどね)







※おまけ 「飲みにケーションが嫌い」記事は「死の需要プロセス」の第二段階にいる人たちの叫びなのかもしれない、について

◆〈第1段階〉否認と隔離
予期しない衝撃的なニュースをきかされたとき、そのショックをまともに受けないために、まず否認がおこる。

◆〈第2段階〉怒り
死という現実を認めざるえなくなると、次に怒りや恨みがこれに取って代わるようになる。
「なぜ俺だけこんな目に会わなくてはならないのだ!」この怒りが八つ当りとなって看護師に向けられ、そのためまわりの人間はよけいに患者を避けるようになる。

◆〈第3段階〉取引
次に人は神や仏に対して、自分がどうしたら延命できるか取引し始める。例えば「もう財産はいりませんから命だけを与えてください」云々。


◆〈第4段階〉抑うつ
以上の段階をへて、それらが無駄であることを知って患者はうつ状態におちいる。病気が進行し、衰弱が進んで、無力感が深刻となる。それとともに、この世との別れを覚悟するために、他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験しなければならない。


◆〈第5段階〉受容
患者は、来たるべき自分の終えんを静かに見詰めることのできる受容の段階に入る。最終的に自分が死に行くことを静かに、そして穏やかに受け入れる段階である。「長い旅の前の最後の休息」のときが来たかのようである。このときの静かな境地を「デカセクシス」と呼ぶ。

http://www.sendai-shinri.com/blog/2010/02/post-77.html

*1:文句を言ったり、ランチケーションを特別なものとして語りたがるということは、自分から先輩に声をかけてランチケーションをやったりはしていないということでしょう。ランチケーションだったら本当にいいんですか?