この夜が明けるまであと百万の祈り

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「嫌う」ことと「嫌いを表明すること」の違いは理解しよう

好きとか嫌いって感情については、どうしても自分中心で考えてしまいがち。実際、自分の感情なんだからそりゃそうでしょ。ただ、それを誰かにわかってもらおうと伝えるときは、やっぱり相手中心に考えないとつたわらない。

これ、「好き」の時はみんな意識してると思う。自分が「好き」でもほかの人が「好き」かどうかはわからない。だから「好き」を伝えるときは努力が必要……って思ってる人は結構いると思う。 

でも、その逆だって本当は同じはず。「嫌い」だって伝えるときは気を付けないといけない。なんだけど、「嫌い」に関しては意外と意識できてなくないですか?



自分が心の中で嫌いな人を嫌うだけなら、別に相手を深く知ろうとする必要はない。自分の問題だから。ただ、それを他人に表明するときは、それなりに丁寧に相手のことをしってやったほうが良いと思う。

そもそも、嫌いな人について他人に語る時こそ雑な印象論になってる人って、何のために書いてるんだろうか。「その人の問題点」を指摘して「聞き手にも、対象に対して批判的な見解を持ってほしい」というところだろうか。


しかし、ここでその人が「嫌いな人」について、ろくに知らず間違った情報や単なる印象論で語っていたら、その目的は達成できるだろうか。


少なくともそれによって聞き手が理解できるのは、その人の「偏見」とか「先入観」とか「いい加減さ」だけだ。あとは「嫌いの程度」かな。「ほら、俺こいつのことよく知らないけどすごく嫌いなんだよ。そのことだけはわかってくれよ」って言ってるだけ。


そういう話を聞かされた人としては、その場では「まぁそうなんですね。わかります(あなたがどういう人か)」と話を合わせるかもしれないけど、基本的にはその人から去って行ってしまうのかなと思います。



そう考えたら、本当は「好き」なものについて表明するほうがコストは少ないかな。


ただ、実際はどうかというとまず間違いなく逆だよね。自分の好きなものは否定されたくない、すきを共有したいって思うからこっちのほうが頑張っちゃうよね。で、嫌いなものについて語って「よく知らないくせにいい加減なこと言うな」と言われても「嫌いなものになんで手間かけなきゃいけないんだ」って開き直りがち。


で、そういう態度をとった時、聞き手がどう思うか、自分がそういう態度の人についてどう思うかってのはちょっと考えたほうがいいかもね。



そんなことを某記事を読んで思いました。(AV強制出演問題の今後、なんて題うってる割になんも知らんで発言してるよね。こういうの書いてて自分で気持ち悪くならんのかな)