この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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「症年症女」 自分が最も不幸であってほしいという倒錯した願望

<あらすじ>
少年は、世の中の人々が「無個性」であることに嫌気がさしていて、自身も「無個性」であることに絶望していた。そんなある日、ある日新病に罹り、12歳までに死ぬ事を告げられる。

これにより少年は絶望するどころか「悲劇の主人公」という「個性」を手に入れたことに喜ぶ。さらに、自分がこの病気で最初に死んだ場合、病名は自分のものとなる。将来自分を見下した無個性達の子供が自分の名前の病気になり、自分のおかげで救われるという痛快さに歓喜する。

だが、そんな彼の前に同じ新病に罹る少女が現れる。少年より個性的でスター性のある彼女が、あろうことか少年より寿命が短く、彼女の名前が病名になる可能性が高い事を知る。
 
少女の死は自分がやっと手に入れた「個性」を塗りつぶしてしまう。そうなったら自分の存在はまた無個性に、そして自分の死は無価値なものになってしまう。それだけは絶対に許せない。

かくして、少年は彼女が病死する前に、自らの手で彼女を殺害することを決意するのだった。

いやあ。実に西尾維新らしい話。「めだかボックス」も嫌いじゃないけど、私はこっちのほうが好きだわたぶん。

主人公の願いは完全にゆがんでいる。けれども、こういう倒錯した願いを、ちゃんと自覚しつつそれでも求めるって分には私は嫌いじゃない。「殺してでも奪い取る」っていう強い欲望を持っているのは物語の主人公としてとても大事なことだ。西尾維新作品なので、タブーみたいなものはないだろう。いつもの西尾維新作品のように、社会的なタブーにとらわれない立場から、「人を殺す」ということや「自分が死ぬこと」とどう向き合っていくのか、というところをドストレートに描いていってほしい。

とはいえ危惧もある。これは少年少女だからこそ許されるからそうしたのだろう。しかし、めだかボックスと違って主人公たちが少年少女であったり舞台が病院であるというのはかなりの制限だ。これによって物語が大きな飛躍できないのではないかという気もする。そのあたりをどうクリアしてくれるかも期待している。



※以下マンガと全然関係ない見苦しい文章を書きますがご容赦ください。









マンガならいいけど現実で「俺が一番不幸だ」「あいつの不幸はたいしたことない」っていうのはやめろ

自分の悩みが苦悩が特別なものだと、特権的な気分を味わいたがる人間はこの漫画に限った話ではないのですよね。実際にそういう人はいる。


なんでこの子はこういうこと書いちゃうかなぁ……。ほんとクズだわ。

・日本の「反体制」とは「投票行動で変えられる程度」の悩みしか持ってない、社会的強者でしかないからな!

・官僚や政治家がわかる程度の悩み、汲みとってくれる程度の孤独や生きづらさだったら抗議すればいい。そして、その程度の悩みを反体制だの、ロックンロールだの言うのはバカげてる。

人の悩みを「その程度」などと切り捨て、自分は特別な存在なんだと酔いしれてるのがはっきりと見て取れますね。民主主義で解決できる程度の悩みは反体制じゃない? 意味が分かりません。



で、そんな特別なこのお方のいう悩みはこちらだそうです。

俺みたいに躁うつ病発達障害の人間は世の中に1割程度しかいなく、それに理解を示してる世代は最年長でも40歳。とても、民主主義では解決できない。自分を救ってくれたインターネットやブログの文化だって、最年長で50歳ぐらいの人しか理解してない。一番資本があり、投票できる票数も持ってる世代は俺の悩みを認知すらしてない。

私も躁うつ病発達障害ですがもうこの時点で全然認識違うよね。





実際には躁うつ病発達障害についての認知は広まりつつあり、「とても民主主義では解決できない」と言ってる民主主義でできた政府によって漸進的に解決してきてる。障害者対策基本法もできてきてるし、障害者就労支援や、医療的アプローチも検討されてきいる。民間も頑張ってるけどむしろこの分野は民主主義は無力ではないと感じさせるところ。苦難は大きいけれど、みんなすこしずつ努力してるんだよね。

そういうこと一切認めずに「俺だけが躁うつ病の人たちのために頑張ってる」とか思い上がりしてるの、ほんと滑稽としかいいようがない。こんな風にいじけたうえで「自分のほうが不幸だ」といって他人の悩みを見下したり自分だけは特別扱いしろとわめくクズにはなりたくないですね。

ミサワをみるたび思いだせ! 「ダニング・クルーガー効果」 - お前のことが好きやったんや

つらいなら、他人と比較せずに自分のつらさを率直に表現すればいいじゃん。もちろん、カミングアウトってめっちゃ勇気要る。勇気を出していっても「ほかの人はあなたよりもっと大変なんだから我慢しなさい」っていう人はいるかもしれないし、そのことで見下す人もいる。それでもわかってくれる人がいる、ってのがネットのいいところなんじゃないの? なんで悪い点だけ見て勝手に絶望してんの? あんたの絶望に他人を巻き込むのやめてくれません? 


ガチVSエンジョイという二元論が、「にわか」という言葉を使う人を生み出す - お前のことが好きやったんや

・「自分がガチ勢であると主張するためだけの俺ルール」を唱えだしたらこじらせ完了

・「俺ルール」をこしらえてしまった人は、定期的にその魔法をかけなおさなければいけない。「俺ルール」にもとづいて、元来のガチ勢を「老害」呼ばわりしたり、自分の基準にそぐわない人を「にわか」「萌え豚」などの蔑称で呼ぶことで、常に己の位置を高め続けなくてはいけなくなる。常に見えない何かと戦い続ける無限地獄の始まりだ。

人は外からはわからないけれど、みんなそれぞれ苦悩抱えながら頑張って生きてると思ってる。それは自分にはわからなくても軽視すべきじゃないし、自分だけが特別なんてのは思い上がり。ただ、自分がガチだといいたいがために人の苦悩を腐し、自分の苦悩をこれ見よがしにみせつけて回ろうとするやつの苦悩だけは「知らんわボケ」って軽視したい。

自分が絶望するのはいいけどその絶望を他人に振りまくようなことだけはするな - この夜が明けるまであと百万の祈り
「いつもいつも、自分だけが被害者だと思うなよ。人を傷つける権利があると思うな」 - この夜が明けるまであと百万の祈り
「不幸」はそれを振りかざすと理を曲げてしまうほどに強力である - この夜が明けるまであと百万の祈り