反体制って言葉をめぐって山岡さんごっこしてるのを見たけど、やあやあ我こそは、ってやってるだけに見える。名乗りを大事にするのはいいけどそれより中身ともなった行動や表現を頑張って欲しい。
魔女に与える鉄槌(コミック) - この夜が明けるまであと百万の祈り
信仰とは、神に対する依存である
神に従うもの、神に反目する者 この二者は違うもののようでいて
正邪の判断を神に委ねているのは同じ 斉しく依存にすぎぬ
谷の魔女よ、すなわちお前たちよ
神の御手に揺り動かされている熱心な信者にすぎぬ
信仰が罪だと言うのならば まずは己を処断するがよかろう
「反体制」をよりどころにしてるあいだは結局依存しているにすぎない。そこで本物だ偽物だと言っても本人たち以外には大した違いはない。反フェミとかも一緒だけど、「反」そのものに意味があると思ってるやつは自立できてないという点で信者と変わらないかもしれない。
私は以前に「批判とは今あるものを否定するのではなくて、足りないものを補ってより良いものを目指す態度であってほしい」と書いた。「反」にこだわるだけでは気に入らないやつを叩き潰すことに重点を置きすぎて、何も生み出さない。
他人から「反~」にカテゴライズされるのは避けられないにしても、すくなくとも自分たちは「反~」ではなく「○○というものを目指す存在だ」と意識で自立した主張ができるようになりたい。そうでなければ、いつまでたっても、ただの中二病や青二才にすぎない。いつまで「反抗する相手」「あいつが悪いって責任を押し付ける相手」を求めてんだ。そういうワイドショーレベルの雑な思考からはとっと離れましょう。
体制か反体制かなんていうのは安い座布団にすぎない
音楽が基本反体制だということも知らない「善意の人々」とはこれは恐れ入った。ますます、「知的・芸術的であることは反体制であることなんですよ基本的に、それ知らないと20世紀大衆文化もわかりません、刺身には醤油をつける、くらいの常識です」と教えなければならんなあ。
— Masaya CHIBA 千葉雅也 (@masayachiba) 2016年6月19日
「知的・芸術的であることは反体制であることなんですよ」
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
そんなやっすい座布団であぐらかいてんじゃねえよバーカ。
「反体制でなければ知的・芸術的にあらず」ってこんなに奢った発言もないな。反体制的ってだけで自信に満ちてる幼稚な表現なんかこっちがお断りだ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
「知的・芸術的であることは反体制であることなんですよ」
— uin (@uin10799) 2016年6月20日
それだと全ての宗教芸術は価値が無いって事になるんじゃないか。
「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い」と書いたのは漱石である。@tadataru
「反体制にあらずんば芸術にあらず」だってさ。あほくさ。そんなつまんないもんなんですか芸術って。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
体制も反体制も全部超えていけるのが芸術だ。よく覚えとけ馬鹿たれ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
@uxmal12 もっと普遍的なものを見てろよと言いたいですわ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
音楽が反体制的要素を含むんじゃなく、反体制的ムードの強かった頃に音楽がそれに乗っかったんじゃないの?今はそれが逆転してるだけでしょ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
体制とか反体制とか、そういうものにこだわってる時点で浅い
体制的とか反体制的とか、そういうことにこだわってるのがそもそも浅いんですよ。 https://t.co/2fRnARNzsH
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
結果として思想が出るのはいいが、思想を前面的に出さねばならぬというのは窮屈だ
まあ好みの問題だといえばそれまでだけど、政治とか思想のどんどん前面に出てくる表現が「面白い」ものになるかというと、俺は到底そうは思えません。むしろ窮屈になる一方でしょう。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
たとえば乙嫁語りの人が外務省のイメージキャラクターを描いたことで「政権に近い」とか批判されたわけでしょ?「権力に反抗しなければクリエイターにあらず」とか、そっちのほうが怖いわ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
こんだけバカみたいにアベガーアベガー騒いでる芸術方面の人が多いんだから、横のつながりとかで物凄いプレッシャー感じてる人も多いはずだよね。それこそ「表現の萎縮」になるんじゃないの?
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
正直に言えよ。あらゆるものを自分たちのイデオロギーで染めたいんだろ?文化も芸術もエンタメもなんもかんも全部。お前らこそが自由の敵なんだよ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
全肯定と全否定しかないその非寛容ぶりが問題
俺はどんなに政治に傾いてもその人のキャリアは否定せんよ。山本太郎ですらタレント・俳優としてすごく評価してるよ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
なのに「黙っててほしい」というボヤキすら許さないような人たちって、政治的スタンスが真逆の人たちに対してどういう態度を取ってるのかねぇ。全否定と全肯定しかないんだろうねぇ。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
お前らみたいにイデオロギーで好きなもの・嫌いなものを決めてんじゃねーんだよ。なめんな。
— tadataru (@tadataru) 2016年6月20日
ところで今回の話って
「キヨシローだって政治的じゃん。何聴いてたの?」ってのは分かるんだけど、あくまでキヨシローは音楽がまずあってそこに政治的メッセージが乗るわけでしょ。でもシールズは最初に政治的主張があって、それを伝える手段の一つに音楽を利用してるんだから、フジとかに来られるとウザい気持ちも分かる。
— コ口吉 (@0icco) 2016年6月19日
本来この程度の話だったはずだよね。