この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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「乙女理論とその後の周辺」 

「軟弱ではない人のよさ。子供っぽくない純粋さ。
だまされやすいわけではない親切さ。
人を信じることに疑いがなくてだまされたとしても卑屈にならずに笑っている。
そんな大人としてのまっすぐさ。
世の中の穢れを知らないんじゃなくて、それも見てきた上で清潔なまま育っている。
その頭のよい誠実さが私は好きだよ」

とにかくこの作品はこの言葉に尽きる。
この作品の主人公はただの「いい人」ではない。「心底ほれ込むくらいいいひと。」だ。

菜根譚」にもこういう言葉があるが、主人公大蔵遊星は「活人」である。

世を渉ること浅ければ、点染もまた浅く、
事を歴ること深ければ、機械もまた深し。
故に君子はその練達ならんよりは、朴魯なるにしかず。
その曲謹ならんよりは、疎狂なるにしかず。

人生の経験が浅いものは「悪」の染まり方も浅いが、経験豊富になると小細工も上手くなり、悪の染まり方も並大抵ではなくなる。だから、上に立つ者は、世渡り上手になって悪事に手を染める技を身に付けてしまうより、素朴で多少のろまな程度が良いし、現実的な作法技法に忠実であるより、理想や夢を追っている方がよい。つまり、活人であるためには、頭で考えた小細工やその場限りの考え、小手先で世渡り上手に生きるより、利他を一心に思う心で生きるべき。言い換えれば、活人とは、一意専心すれば、誰でも実現できる「心重視」の生き方を終始一貫とする人といえる

http://www.saikontan.net/choyk/2006/03/post_1.html#more

そんなわけで、ひたすらにまっすぐに生きている主人公「大蔵遊星」を見ているのがとても楽しい。そして、そういう生き方に感化され、周りの人が変わっていくのを見るのがまた楽しい。

美しいファンタジーだけれど、ファンタジーだけで終わらせたくない良さがある

この物語は最初から優しい世界なのではない。むしろどちらかというとめちゃくちゃ厳しい世界だ。

本来なら主人公は家の都合で一生屋根裏部屋に幽閉されて何もできずに人知れず死んでいくだけの運命だった。そこから連れ出されたものの、今度は兄と名乗る男に奴隷のようにこき使われるような時間が続く。自由はなく自分の意思も求められない。そんな人生、私だったらとても苦痛で耐えられないと思う。

ただ、この主人公はそういう境遇に対して常に「目の前の相手の役に立つこと」「与えられた環境で最大限の努力をする」「より良き現実のために対話を求め続ける」ことをやめない。そして、相手を助けることによって少しずつ相手の信頼や好意を得て、そこから少しずつ自分の世界を広げていく。

自分のためにはあまり求めないけれど、他人の幸せは誰よりも欲張りで、妥協をしない。そして、そのためならどんな努力もいとわない。そうやって、人を幸せにしながら自分も幸せをつかんでいく。そんなおとぎ話にしか出てこないような人物なのだ。


……そういう生き方を自分ができるかというと、まぁ難しいよね。正直fateのエミヤシロウ
くんとは別の形でこの主人公も相当ゆがんでると思う。 それでも、そんな生き方にあこがれるし、できる範囲で見習いたいと、そう思う。少なくとも、現実についてやさぐれて、斜めに見る方が賢いんだ、なんてことを思うことはない。できる範囲でまっすぐ生きられた方がいいなと、そう思わされる。

だれもが描く「こうでありたい」「こんな人がいたら」。その一点を、まるで上質の絵本のように、童話のように、ある一定の年齢の人に描いた、最上級の幻想がここにある。でも、こんな人は、こんな幻想はいない。そう、思い続けるだけで、私たちはいいのだろうか?この物語を幻想で終らせていいのだろうか?

シリーズ三作目「乙女理論とその後の周辺」について

今回は、そんな主人公の「純粋さ」が試される展開になる。

愛すべき妹を守るために、人をだまさなければならない状況に追い込まれる。一度は悪人になろうと決意を固める主人公。

しかし、この作品の結論は「やっぱり現実は厳しいから仕方ないよね」ではない。

「きれいごとだけでは通用しない」のは確かだ。「現実は難儀ですね」これは否定しない。しかしだからと言って「きれいごと」を捨てる必要はない。そこを捨てなくとも、周りの助けがあれば望む現実は達成できる。必要な時、必要な助けを得るために人は普段を誠実に、他人のために生きるべきだ。情けは人の為ならず。

やっぱりそういう美しいテイストに仕上がっている。そして、そういうファンタジーめいた展開でもちゃんと納得させてくれるだけのキャラクターと物語になっているのが良い。

人や自分を信じられなくなったくなったら、また読み返したくなるかもしれない。私はこの作品すごく好きです。



汚かったり厳しいほどリアリティを感じるのって変じゃない? - この夜が明けるまであと百万の祈り

私はむしろ嫌いな人間から良い所探しだそうとするのが趣味なくらいだぞ。好きな人間を疑うのも趣味だぞ。そうすることで嫌いな人間はもっと嫌いになれるし好きな人間はもっと好きになることもあるし、逆に最初嫌いだった奴が結構好きになったりするのが楽しい。

夢と現実は対立関係ではない - この夜が明けるまであと百万の祈り

「正論」とはきちんと考えるべきことであって、「理想」とは違います。だから、現実問題がどうという話ではなく「正論に沿う」形で議論をしなければなりません。資金の余裕がないという「現実」からその「正論」をいかに解決するか、スペースの余裕がないという「現実」からその「正論」をいかに解決するか、なのです。つまり「正論を取るか、現実を取るか」という話ではないんです

余談。 今現在で主人公が喋れたり、理解できると判明した言語

月に寄りそう乙女の作法のジャンとの会話で使った言語(仏語、英語)
ユルシュールルートで喋る事が出来ると言った言語(仏語、独語、英語)
ルナ様ルートでりそなとの手紙等のやり取りに使われた言語(アラビア語ヒンディー語)
乙女理論でのバレリアとの会話(仏語(ただし辞書が必要)、露語、独語、日本語)
りそなにアイルランド民謡を歌った(アイルランド語?)
買い物でアラビア系のお店の店主に使った言語(仏語、アラビア語)
りそなルートで華夏が喋った言葉を理解した(中国語)