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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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いわゆる若害といわゆる老害について

語感がどっちも嫌いだし、これ典型的な思考停止ワードなので普段は絶対使いたくない。昨日も書いたけど言葉遊びはあまり意味がないと思う。

 

でも話をするのに便利なのであえて使います。

 

 

若い人。ここでは年齢の話というよりはコミュニティないの経験みたいなイメージ。老人はその逆とする。

 

 

若い人が勢いであれこれやらかすのは全然良いしむしろ好ましいとおもう。しかしそれを周りの大人が制御しきれないで放置して、どんどんその若い人がおかしな方向に走っていく、みたいなのは見ていると情けない気持ちになる。

 

若い人が周囲の無関心に耐えかね、功名を焦って炎上的な方法で手っ取り早く注目を集めようとするのはとても残念だ。

 

先人たちを軽んじ、自分が思いつく程度のことは大人たちはとっくに一度通過しているという思考が及ばない間抜けな様子には頭を抱える。

 

若いのはいいことだが、無知すぎるのはいけない。それだと過去のひとの失敗を繰り返すだけの無駄な存在にしかならない。ネットは人の入れ替わりが激しすぎるのか、知識の伝承や文化の継承が難しく、そういう過去の失敗の再生産を繰り返す、無駄に若い人が多いかもしれない。

 

なにより、なにかしでかすのはいいが、なにかトラブるが起きた時に自己正当化ばかり考えて問題と向き合わず、周囲との関係を良好に保つことができない若い人は、長期的な活動の継続や、学習による成長性を感じさせないから興ざめである。

 

若い人にとって大事なのは、今すぐにその能力を認められることではなく、未来の成長を感じさせることであろう。しかるに人を甘く見て、そういった微塵も感じられぬものは、若くして凝り固まり、今後も良い面を見られる期待が少ないため、害の方が大きく見えるのである。

 

前途多様であるはずの若者が、将来もたらす益よりも害の方が大きいと認識される。これほど未来を損なうものもないだろう。

 

 

 

 

とはいえ、こうした若い人と接する大人たちの態度は果たして満足がいくものであろうか。

 

しっかりとした考えがあるといえば聞こえは良いが、自分の知らない話にもきちんと耳を傾けられるであろうか。 親しくないものについて頭ごなしに否定していないだろうか。そして、人の心をくじき、敵対をあおるような物言いばかりしていないだろうか。

 

若い人たちが、その行為を真似した時に、納得できるような振る舞いになっているだろうか。

 

その人がもたらしてきた益よりも、今からなす害の方が大きいと思わるなら、それまでが立派でもやはりその人は存在そのものがマイナスになってしまう。

 

 

 

つまり、年齢や経験がどうということではなく、それぞれの人が、今いる立場からプラスのことがなせるかどうかが肝心ではないだろうか。若害や老害という言葉遊びはどうでもいいので、他人のことより自分がどうかを問うべきだろうなと。

 

 

。。。うーん。なんか違う。

徒然草枕草子みたいに、テンポよくて短文でも印象に残る文章ってどうやって書いたらいいんだろうね。

 

古典には意味がないって言う人いるじゃないですか。ブロガーこそ古典読むべきだと思う。更級日記とか超面白いし見習いたい。

 

 

 

ここからは話全然変わるけど。

古典に限らず、他にできることがあるわけでもないのに、勉強するなんて意味ないよみたいに反発だけやって満足してる人って、全く面白くない。 それはただの自慰行為かもしれない。他人の自慰行為みて自分が気持ちよくなれるかというと難しいかな。共感しました!とかアホかと思う。(※私のブログは自慰行為ばかりです)

 

それよりは、意味はわからないけど、目の前の勉強楽しいとか、こんな風にネタにして楽しんでますて言ってる人のほうが魅力的だと思う。なにかがつまらない意味がない間違ってるって力説するより、なにか楽しんでる話がしたい。(※私は今の所あんまりできてません)

 

ブログやってて、他人にとって、なにかプラスな存在になってる人はすごいなあと思う。そうなりたいのかなりたくないのかさえよくわからないけど。