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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「くまみこ」12話 「馬鹿野郎!なんであんなことを言った、言え!なんでだ!」

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とまでは思ってないけど、「くまみこ」後半はなにやってんだ感は強いよね。

アニメ11話~12話の原作は3~4巻部分

アニメ12話の内容は単行本3~4巻、7巻の内容を中心にアニメオリジナル脚本で再構成したもの。最終的に着地する方向性はアニメと原作で全く正反対なので、興味がある人は原作を見比べてほしい。

このアニメが「気持ち悪い」のはみんなわかってるのになんでそれをわざわざ作品中でいうかな

3話時点での感想。

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2016/04/22/024408

①なぜか毎回冒頭でマチちゃんの幼女の時の回想シーンが入り
②マチちゃんは反抗期でナツの元から離れようとし
③しかしマチちゃんは世間知らずで手間がかかって心配で仕方ないままで、
④反抗しようとしたマチちゃんは毎回痛い目にあってレイプ目になり
⑤やっぱり最後にはナツのことが好きってなついてくる

という完全な共依存サイクルが完成している

結局これは最後まで変わらず。これ自体は問題ない。


はっきりいってこの作品で描こうとしているものは「気持ち悪い」かもしれない。でも、その「気持ち悪い」部分に直面させず、ただただかわいいマチといつまでもつづく疑似親子関係を楽んで癒されるという点に特化した作品のはずだった。

東野圭吾の「秘密」だとかうさぎドロップだとかひよ恋だとかスキップビートだとかこのあたりは、擬似親子関係以外に色んなものが入ってくる。そういうのは読んでいると胸が痛いししんどくなる。
くまみこはそういうめんどくささは全く無くてただただ癒されるためだけに存在するアニメ

これが悪いって言ってるわけじゃない。むしろそれでいいじゃないか。余計な事何も考えずに女の子かわいいっていうだけの作品でいいじゃないか。なんの問題があろうか。

算数の宿題で、基礎的な部分を学習するために「○○の要素は考える必要がないものとする」っていう前提の問題を出してるとするよ。その時にいちいち「いやそれはおかしい」「もっと考えるべきことがあるはずだ」っていうやつがいたらそいつはバカでしょ?そんなのは通ぶりたいだけの青二才がときどきやる、くっそつまらないリアリティチェックでしかないと思う。その批判は間違いではないが、妥当性があるかというと全くない。ただの野暮だ。自分が楽しめないからっていちゃもんつけようとするオタクの屑みたいなやつだ。お呼びではないのだ。
みんな、そういうことわかったうえで楽しんでたのだから。

そのみんなが楽しんでる空気をぶち壊しにして、それ以上に何か与えられないならほんとにただの野暮じゃないですか。


アニメスタッフの「解説」は余計なお世話

……だったはずなんだけど、なぜかわざわざアニメではこういう「めんどくささ」を入れてきた。


「深く考えずに女の子の可愛さを楽しめる」ようにするためにこの作品の設定があるはずなのに、わざわざその設定の裏側にある欲望を暴いて、この作品のえげつなさみたいなのを露出させようとしてきた。

なんでそういうことするかな……。「お前らこういうことちゃんと考えないだろ。教えてやる」「自分の気持ち悪さにちゃんと自覚的になれよ」「ポリティカルコレクトネスがー」とでも思ったのかな?


余計なお世話です!


いや、別にね、作品外でこういう話をする人がいるのは全然いいの。正直この作品は気持ち悪いところがあるし、それが合わない人いるのは当然だから好きに批判してくれたらいい。私は、PC教団の人正直嫌いじゃない。作品の外でなら、こういうオタクの気持ち悪さをきっちり指摘してくれる人はむしろ大事だと思う

でもさ、そういうのを作品内でやるなと。そういう自己批判みたいな要素を作品中に入れるはやめようよほんとに。そういうのは、作り手の中でちゃんと葛藤乗り越えたうえで作ってほしかった。


こういう生々しい部分を突きつけてなお面白い形に昇華させようとしたら、「彼氏彼女の事情」くらい気合い入れなきゃ、なかなか上手くいかないと思う。そういう覚悟がないなら、やっても今回みたいに「やりたかっただけかよ」となって、作り手も視聴者も幸せになりにくいかなと思う。

余談 「神殿娼婦」「ヒエロス・ガモス」について

雨宿 まち

なお、劇中ではなぜか両親の存在に関しては触れられておらず、その生死や消息は不明。

普通に考えなくても、これおかしいなんてみんんなわかってるのです。

生活描写からして、確実にまちは本来依存すべき両親が物心ついたころから存在していない。そして、その役目は熊が、あるいは村全体が負っている。彼女は村のアイドルというか所有物として扱われており、まちもそれをおかしいと感じてない。

この設定自体、違和感を感じない人なんていないけど、そんなものは最初の時点でみんな飲み込んでるわけです。で、そこは深く突っ込まないってのがこの作品のお約束のはずでしょ……



なのに12話でよしお君がこういうことを言っちゃう

熊出村の昔話、ひい子も知ってるよな?娘をいけにえとして差し出してたって話さ。それってさ、現代に置き換えたら、巫術を持った娘巫女のことだと思わないか?あいつには酷だけど、まちにはむらの代表として、みんなのために頑張ってほしいんだよ

なにそれ「奇子」じゃんと。「未来日記」のお目方様とか、あとりえKAGUYAの「瀬里奈」じゃん、と。もうこれ、薄い本まったなしやん。そもそも1話で熊と娘がアレなことになったって話をしてるやん。もう完全に確信犯やろww

神聖娼婦 - Wikipedia

ヒエロス・ガモス - Wikipedia

そういう、生々しい話をしてはいけない(戒め)