この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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「インセンティブ・デバイド」

この記事も自分のためのメモで、ブログ読者のための記事ではありません。いつかちゃんとわかりやすく整理したいです。

このあたりの本についてのメモ。


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メリトクラシーと意欲格差社会(インセンティブ・デバイド)

「学力と階層」解説 (内田樹の研究室)

一方で、私たちの社会のエスタブリッシュメントはいまだに「努力することへの動機づけ」を安定的に備給されている人々がいる。そのような階層の子どもたちは「努力すればいいことがある」というタイプの利益誘導型のロジックにではなく、むしろ「あなたは人に倍して努力することを義務づけられている」という選良意識に従って努力をしている。そのような「努力することができる」集団と、「努力する能力を早い時期に損なわれた」集団が日本社会には解離的に存在しており、その隔たりは、日々拡がっている。階層上位の人々は、「強者連合」的な相互扶助・相互支援のネットワークを享受しているが、階層下位の人々は分断され、孤立化し、社会的流動性を失っている。

社会的に「インセンティブ・デバイド」が起きており、その対処としてとられている方策が間違っているため、ますますその格差が広がっているというものである



もはや下位層の人たちが出来る範囲の努力ではどうにもならない差ができてしまうと、最初はバルマムッサの住人のような無気力になり、さらに今度はその枠組みそのものから降りたり、既存の枠組みに反発することへのインセンティブが働く。こうして社会が分断される。この状況でリベラルが機能するはずがない。

「最近の子どもは学力が下がった」ということを不満げに言い立て、「できる」子どもに報償を与え、「できない」子どもに罰を与える「人参と鞭」戦略をさらに強化せよという声ばかりが高まっている。
だが、教育史が教えるのは、「人参と鞭」戦略は必ず失敗するということである。同学齢集団内部での相対的な優劣を競わせれば、子どもたちの集団全体としての学力は必ず下がる。

(中略)
「自分探し」イデオロギーを深く内面化した子どもが社会階層下位に集中していること、階層下位の子どもたちほど学習機会を放棄する自分に自尊感情を抱いている

(中略)
「努力する能力」の階層的偏りと、努力する動機づけそのものの劣化・空洞化を、わが国の教育行政にかかわる人々も、教育を声高に論じる人々も、ほとんど理解していない。

この記事が書かれた頃にはまだあまり可視化されていなかったが、まず意識と行動が乖離している「意識高い系」「青い人」が可視化され、2016年になった今ではどんどんと露骨になってきてるかなと。


そして、こういう人間が増えれば増えるほど「ミニマリストの女王」「イケダハヤト」「やぎろぐ」的な存在が力を増すことになる。

既存の枠組みに希望を失い無気力になっても生きるための指針を求めた結果、最も分かりやすいところに行き着くわけだ。まあ実際は普通の枠組みに適応するのと別種の努力が求められるわけで、努力は結局必要になるのだが、こういうのに飛びつく人たちのほとんどのは、自分が努力を否定し頑張れない状態になってるのを忘れて飛びつくからカモにされだけで終わってしまう。

階層分化が急速に進んでいるのは「インセンティヴが見えにくくなることは、学校での成功から降りてしまう、相対的に階層の低いグループの子どもたちにとって、あえて降りることが自己の有能感を高めるはたらきをももつようになっている」からである。

不思議なことだが、「勉強しない」という事実から自己有能感を得る人間が増えているのである。

現在の享楽を志向し、学校を通した成功物語を否定する-すなわち業績主義的価値観から離脱することが社会階層の相対的に低い生徒たちにとっては〈自信〉を高めることにつながるのである。

結論を先取りすれば、意欲をもつものともたざる者、努力を続ける者と避ける者、自ら学ぼうとする者と学びから降りる者との二極分化の進行であり、さらに問題と思われるのは、降りた者たちを自己満足・自己肯定へと誘うメカニズムの作動である。

まずこれが露骨に可視化されたのが「はてなのなんちゃってミニマリスト互助会」だった。

そのあとミニマリストに限らず互助的行為がどんどん目立つようになり、そして「やぎろぐ」界隈からは「降りる」行為を自己肯定につなげる変な大学生ブロガーが増えてきた。

こういう行為は割と自分の中では全部つながっていて、その根っことなる現象は1997年くらいから指摘はされていたが、はてなではまだ可視化されにくかった。

イケハヤさんがソーシャルビジネス支援からアフィにかじ取りをはじめ、ブルーツーイヤー氏が炎上キャラではなくまともな人間と扱われだした頃にはもうかなり事態が進んでいたのだろうかなと今から思い返すとそうなりそう。



努力しないで成果を求めるという情報商材ぽいビジネスにハマるのはいままでは階層下位であるだけではなくアングラだったのだが、もはやそういう人が当たり前のように表に出てきてるのは、それだけインセンティブデバイドがもう敷衍してるということだろう。

オタクがかつてそうであったように、かつてのアングラ層が表に出てくると、そうでない人たちからはウザく見えるのは仕方ない。この人たちをどう受け止め、どう付き合っていくかが課題になるんだろうか。