頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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祝「まおゆう」コミック版完結 お疲れ様でした

勇者よ。人というものに期待をするのはバカなことよ。しかし、期待することをあきらめることはそれ以上に唾棄すべき所業だ。期待せよ。お前はバカだが決して臆病ではない。だからいつかは「当たりくじ」を引くこともできるだろうさ。

お前が人というものを嫌うのはわかる。それだけ人はお前にひどいことをしてきた。それでももし余裕があるならば、守ってやってくれ。人々を。彼らは、バカではなく無知で臆病なのだ。

お前は「勇者」という運命を背負って生まれてしまった。いまさらその運命を呪っても仕方がない。私に甘えてばかりでも駄目だ。いくらねだっても私ではお前の求めるものを与えられはしないからな。だから最後の教えだ。

人に期待はするな。しかし、それでも与えて、そして欲しいものを勝ち取れ。お前の友を、お前の大事な人々を、与えられた時間を有意義に使うがいい。だからあきらめずに期待せよ、いつか始まるお前の物語に。

15巻より少しだけ改変。



なにはともかくお疲れ様でした。

ここから感想を書きますが、この感想は作品を知ってる人向けに書いてるので、少なくとも序盤の設定を知らない人にはちんぷんかんぷんだと思いますのであらかじめご了承ください。


序盤はやはりひっかかりがあるお話

成り立ちを考えれば仕方がないところもあるけれど、序盤はやはり個人的に結構ひっかかる。ここの部分を絶賛してる人は正直好きじゃない。

正直アニメ化されたあたりの部分までは、むしろ嫌いな作品だ。どうしても話にやや偏りが強いため素直に呑み込めないし他人にもあまりお勧めしにくい。

主人公たちに自己を投影できるなら楽しい話かもしれないが、できない側からみれば無神経に「要は勇気が」を正当化してしまう内容でである。主人公たちがやってることも「ヴィンランド・サガ」のクヌートみたいな話で、つまり、すべては救えないから、救えるものとそうでないものを選別するという匂いが強かった。

もちろん、この作品は現代の日本とは時代や背景が全く違う。中世十字軍の時代(しかもイスラム国側)のイメージに近い世界観だ。長く続く戦乱や飢餓という背景の中で、国家の不条理から身を守ったり、国家として生き延びるために強くあることが求められる世界観ではある。だけれども、やはりそういう背景をもとにして語られる言葉にどうしても作者の思想を感じてしまう。彼らの時代の生き方を今と比べて「不自由だ」「啓蒙されるべき存在だ」という視線を持ちながら物語を読むことになる。
それでちょっと嫌な気持ちになってしまうところがある。

*1


前半はそういう要素がかなり強いのね。でも、だからといってそのアニメ化された部分だけでこの作品をかたるのもまたもったいないと思う。


魔王と勇者が「役割」を離れて個人の物語を紡ぎだしてからは好き

でも、少なくとも(作者はともかく)この作品の勇者と魔王はそれは覚悟の上だと思う。

序盤の勇者と魔王はガンパレードマーチの「芝村一族」のようなものだ。彼らは彼らのわがままで勝手に世界を救おうとする。そのために感情を排し、ただ目的のために、人を犠牲にしながらも突き進む「機構(マシン)」になることを誓った。

そんな彼と彼女の動き方は基本「超」上から目線だ。自分たちが理解されないことも、嫌われることも覚悟している。むしろ、そういう「人からの理解」に絶望しているからこそ、そういう立場で行動するようになってしまったのだから。

皆は忘れたが、我らは知っている。世界は、何人もの名のなきヒーロー達によって、いつも最後の一線を潜り抜けて来たと。次は、我らの番だ。我らは、ヒーローではないかも知れん。その代役も果たせぬかもしれぬ。だが、最悪でも時間稼ぎにはなろう。本物が現われるその時まで、人を守って戦おう。

別に人々のためではない。我らは、人に甘えるのは好かぬ。それだけだ。誇りこそ我ら。我らこそ誇り。借りは必ず返す。我らは決めたのだ。あの男の手を取ったその時に。泣くのはやめた。戦おうと。私は信じる。そなたを知る今は、そう言える。そして思う。彼らのように、彼女たちのようになろうと。

そうだ。人の守り手たるは我ら。万難を排し、人を守って戦うは我ら。誰の許可も要らぬ。我らが決めた。世界は、我らの好き勝手により守られよう」

http://www.ne.jp/asahi/home/textnerd/gpm/words/ms.html

人に絶望をしてメタな立場から神様を気取っていた存在が、「人」の立場に引きずり降ろされる話

この作品は登場人物が非常に多いし、あちこち入れ替わりになるからどこを軸にして読むのか迷うだろうけれど自分にとってのこの作品のまず一周目は素直に勇者と魔王に絞って読めばわかりやすいと思う。

人に絶望をして、メタな立場から神様を気取っていた二人が、嫌いではなかったけれど下の立場、庇護すべき存在とみていた人間に追いつかれ、「お前たちも人間だよ、自分たちと同じだよ、お前だけが無理するな」と人の立場に引きずり降ろされる話だ。

「昔おっしゃったじゃないですか。教会(宗教)は一つじゃなくてもいいって。だから思ったんです。勇者も一人じゃなくてもいいんじゃないかって。」

「勇者のちからがほしかったの?」

「いいえ、むしろ勇者の苦しみを。私にも背負える荷物があるのではないかと。私が流せる血があるのではないかと。そう思いました。」

(中略)

「止めないでくださいね。私たちは本当は自由だから。縛られたままでいる幸福も世界にはあるってわかります。でも、飛び立っていく鳥をとがめることができないように、私たちは明日を探しに飛び出してゆける。本当は誰だって知っているはずなんです。そのために血が必要なら、その血は自分が流すべきです。その役目を譲るわけにはいきません。たとえ勇者様であっても魔王様であってもです。」

まぁそんなわけで、ちょっと思いあがって神様気取りだった二人が、特別な存在でなくなるかわりに孤独でなくなる「かもしれない」というそんなお話だと理解するのが一周目の楽しみじゃなかなと思う。


二周目以降は「メイド姉」「商人」など主人公(話の軸)を入れ替えて読めば良い

貴方にも信じてもらう。私たちの知らないどこかの奇跡が、あの二人を救うことを

ガンパレードマーチ」では1周目は主人公固定だが2周目からは別の主人公を選べる。それと同じ感覚で読めばいい。


個人的にはやはり「青年商人」を軸に見るのが一番面白い。
最初は魔王相手に手玉に取られているような感じだったけれど
途中から王国相手に資源の「売り浴びせ」から「為替操作で勝負を仕掛けに行き、最終的にタイミングよく物資を調達し、最終的に最終局面で魔王の代わりに指揮官を務める。映像映えはしなくとも、戦記物でここまで「物資調達」「補給戦」にしっかり的を絞って説明してくれてる作品はなかなかないと思うので好きです。
(ほかのマンガでは「大砲とスタンプ」「女王陛下の補給線」などがあります)



ある程度見終わった後で「丘の向こう」(停滞からの脱出)を考えればよい

私は「丘の向こう」が見たかったけれど、「向こう」は「終わり」ではない。
「終わり」というのは文字通りおしまいのことだ。
その先がない、すべての結末であるということ。

(中略)

私たちはいろんな「終わり」を否定して、そんなのじゃない明日を探して勇者と旅をしたいろんなことをしたな。なんてすごいんだろう。この旅は。前にも言ったけれど私が目指した「丘の向こう」はほとんど見たよ。でも私は欲が深いから。丘を登れば次の丘にも登ってみたくなる。

(中略)

なんで私はこんなに弱くて贅沢になってしまったんだろう。勇者はそれでもいいといってくれるけれど。それでも…それでもどこかで終わりはやってくる。だって、終わりのないものはないから。だから知らなければいけない。終わりの時のことを。

スタート地点は選べないけれど、自分のゴールをどこにするかは自分である程度選べる。場合によっては人が手助けしてくれてもう少し遠くまで行くことができる。



この本何気に私には読むのしんどかったです。「略奪前提」の話とか、頭では分かってても拒否感あるしね。まおゆう後に読むとそこそこ理解はかどります。

*1:後付けではあるけれど、終盤に「魔王と勇者がやろうとしてきたことのもう一つの側面」として大主教が登場する。