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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「聲の形」 なんでみんなそんなに簡単に西宮硝子のことを簡単にわかっちゃうの?

「聲の形」は私にとって不満点がいろいろ多く、トータルとしてみると決して高く評価できる作品ではないのだけれど、
それでも自分なりに楽しんだ作品だった。
映画の感想見てると、結構自分とは違う見方をしている人が多かったので自分にとっての「聲の形」の鑑賞の軸を3点ほど紹介してみる。



①西宮硝子のことを考えても考えてもわからないという軸

「聲の形」(読み切り版) - あとのまつり

私はこの作品について、「西宮さんいい子だ」で回収して終わりではないと思った。

・あいつは、あの時なんて言おうとしたのか?
・あいつは、なんでいじめっ子だった俺の机をふいていたのか?
・あいつは、なんで俺が殴ったらちゃんと反撃できるのに
 今まで怒りもせずにずっといじめられるままだったのか?
 そもそも殴り合いしてた時あいつは何を考えてたのか?
そういうのを考えて考えて、それでも分からない、って話だと思う。

「ただいい子やなー」で流してしまうのはちょっともったいないかな、と思った。
彼女の気持ちがどうしてもわからない、どうしても知りたいって切実な気持がショーヤに手話を習わせ、最後のシーンに導いたのだと思う。
途中で「西宮さんいい子だな」ってわかったつもりになってたら多分ショーヤは最後のシーンに辿りつけない。

どうして、西宮さんはショーヤと友だちになろうとしたのか。どうして、机を拭いていたのか。
そして、どうして急にそれをやめて転校したのか。その時何があったのか。そのあたりをいろいろ考えたいと思うんです。

まさに、「ひどいことされているのに良い子であり続けている」という不気味さや納得いかなさ。
その奥にある彼女の本心は何だったんだろう、っていうのがこの作品の軸だったと思うんだけど
作品のすごい早い段階から「西宮硝子がいい子ちゃんすぎてつまらない」っていう感想持ちながら見てたら、そりゃつまらないでしょう。




②いじめをいじめとして描くこと。その悪意のなさと、取り返しのつかなさを描く

「聲の形」1巻 改めて「いじめっ子」をストレートに描いたところが衝撃的だった - この夜が明けるまであと百万の祈り

「聲の形」の読み切りが話題になった時のことを思い出した。
この作品は自分にとっては「いじめを行いながらいじめを問題と思っていない人間の心理」を正面から描いていた点が自分には衝撃的だった。

この部分がダイジェストになっていたのは少し残念でしたね。





③加害者救済物語としては、少年漫画である以上ハッピーエンド目指さざるを得ないと思ってたからそんなに期待してない

真剣に考えるなら、二人の間にはいくつもの壁があったけれど、やはりそっちを突き詰める作品ではなかった。
後半の駆け足ぶりはなんかちょっと残念ではあったけど仕方ないと思う。

聲の形 13話 あがき - あとのまつり

2話以降は「取り返しの付かない罪を犯し、それを受け止めることになった人間は、その後どう生きることができるか」というお話だけど
これについては「聖☆高校生」も一緒に読んで欲しい。

加害者救済物語が読みたいなら「聖☆高校生」ほんとにおすすめです。


やったことは許されない。加害者に本当の意味での救済などない。
だから罪悪感を背負いながら生きていく。卑怯だと言われても、自殺しないならそれしかない。
そんなことはみんな知ってるのだ。そういう作品が読みたいなら、自分でそれを選んでみればいい。

ただ、「聲の形」にそういうものを求めて勝手に失望するのは
見る側の人が自分の価値観にコミットしすぎで、それ以外に対して不寛容すぎると思う。
「加害者救済のための物語なんてけしからん」と言われても
「あんたは、あんたがいやされたいだけだろう。あんたのためだけに作品作ってるわけじゃない」としか言いようがないだろう。
「あんたにとってのリアル」と「作品にとってのリアル」は違う、という話でもある。

なんというか、みんな作品を見る前から「こういう作品はこうであるべき」っていう固定観念に縛られすぎじゃないかなと思う。
やはり期待値のコントロールに失敗していると思う。わたしもよくやるけどね。
もちろん作品側が失敗してる時もあるけれど、この作品に関してはどっちだったんだろう。




「西宮硝子はこういう人間だ、ということを早く決めつけすぎる」ことはこの作品を楽しむうえであまり得な行動ではないと思う


私もこの作品、西宮硝子の行動が全く納得いかなかった。
でも、作品中では西宮硝子がモノローグで内面を語るところがなく、だからこそ、行動に納得いかなくても「なぜ彼女はこういう風に行動するのだろう。それが謎だ。知りたい」っていう気持ちでずっと読んでた。

上にある人たちのように「私なら怒る。怒れ」みたいな気持ちにはならなかった。理解できないからこそ知りたいと思ったし、「登場人物の道具になるためだけに存在するキャラクターだ」みたいなことは思わなかった。



その結果として西宮硝子というキャラクターに納得がいったかというと、残念ながら自分が求めていたものではなかったけど、なるほどこういうことかーという一定の納得はあったように思う。とにかく納得できない行動をとる西宮硝子のことは興味深く思ってみることができたと思う。


「共感できない」は全然かまわないのだけれど。「自分なら許さない」→「自分と同じように考えて行動しない西宮硝子は人間ではない」って評価のほうがよほど恐ろしい。





「ありきたりな言葉」でわかったつもりになっちゃうのってすごくもったいないような気がする

あとこの作品に関しては「感動ポルノ」って言葉が「繊細チンピラ」と同じくらい便利に使われちゃってますね。
こういうありふれた行為で作品をバサッとかたって終わりにしちゃう人ってなんかすごいもったいないと思う。そういう言葉を使うなというわけじゃなくて、それって話に切り込むための切り口であって、ゴールではないよね、と。

多分みんなtwitterの第一声としてそういってるだけで、それぞれに思ったところはたくさんあるはずです。

そういう部分を読ませてほしいなと思います。さあみんな、もっと語れもっと語れ。





何度も言いますが、この作品ちょうおすすめだから読んでほしい。2巻くらいまでつまらないと思うかもしれないけどすごくグサッと来るから