頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「君の名は。」感想  あっさり目に見えて密度はかなり高く、非常に気持ちが良い良作。文脈がわかると楽しさ数倍だけれど、なくても十分面白い。

http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/135e913ad65b8e70a5107cd716652c2c

足らない物は何でもかんんでも持ち込み利用し、噛み合わせて、とにかく“ここ”まで到達させるという「情報圧縮論」の理念を顕わしたアプローチ。「情報圧縮論」自体は、「受け手」の知恵(wisdom)も総体的に高い状態にある事を前提としています。「受け手」の知恵が低い状態で、そこから「大きな物語」や「先の物語」を指し示して行くためには“莫大な才能”を必要とするでしょう。でも「受け手」の知恵に依存する事で、到達できる世界もあるはずなんですよね

新海作品は今まで全滅(途中で寝る)してきた私ですが、この作品は最後までダレることなく楽しめました。

作品全体についてはあんまり語ることないので簡潔に。

非常に気持ちの良い作品でした。

今までの新海作品に対しては、「つながれなさ」「手の届かないもの」について、そのことを了解しながら自己満足でうだうだやってる印象が強く、私としては「やろうとしてること理解はできるけれど興味がわかない…」「小説ならともかく映像作品でこれは眠い…」「zzz……」となってしまっていました。

ところが、今回はとにかく「自分でなんとかできるところ」でキャラクターたちが一生懸命動いている部分がメインになっていました。見ているだけのこちらも、ちゃんと動いているキャラクターに感情移入しながら楽しむことができた。

もちろん今までのような「うだうだやってる」部分はあり、この作品の本体部分はあくまでそこなんですが、時間的にはこの部分はだいぶ短くなっており、観客としてはそのうだうだ部分を押し付けられている感じはしない。自然と入ってくる感じになっているのも個人的にはよかったです。

実は密度(物語で達成されたイベントの数)も結構濃くて、テンポも悪くなかった

ネタバレになるから詳細は省きますが、この作品ざっくりわけても話の展開が3つに分かれますよね。

そして、しかもそれぞれの段階に細かいシナリオが詰まっている。

特に、第二段階は「シュタインズ・ゲート」を思い起こさせる内容であり、これって、本来1時間ちょっとでできるような内容じゃないはずなんですよ。しかも、達成した事柄を考えればある意味シュタインズ・ゲートよりすごいことやってのけてる。これだけでも十分一つの物語にできるくらいのボリュームがある。

そういうものを、特殊なシチュエーションを組み込むことで簡潔な説明で済ませ、ハイスピードで矢継ぎ早にこなしていく。「ザッピング」「ループもの」「時間移動」というものに慣れ親しんでいない人には少し理解が大変だったかもしれませんが、長年そういうコンテンツを見てきたこちらとしては、その部分は了解済みですから余計な説明はいらない。だから素早いテンポで進んでいく物語は大変気持ちが良いものでした。

とにかく、快楽原則に忠実に作られているなと感じます。


もちろん、多くの過去作品の文脈に依存しすぎであり、説明が足りないというか、各種設定を納得させる描写はほとんどない(意図的に省略されている)。まじめに一つ一つチェックする人からしたら、強引すぎるところ多数でしょう。

映画『君の名は。』に感動する方法|akiko_saito|note

↑の記事で指摘されているところは、すべて妥当だと思います。ですが「それはそういうものなのだ」=「視聴者はその部分をじっくり描く物語はすでに体験済みで、すっ飛ばして描いても脳内補完で了解してくれる」という前提に立ちます。いろんな部分についての説明を大胆に省略し、映像や音楽といった演出に置き換えていくことで、この作品の「密度」や感情を揺さぶる演出が実現されていると考えるべきかなと思います。二時間という枠の間でのトレードオフですね

*1

とかく、強く感情を揺さぶる表現をすることと、画面内の情報量を増やすことはトレードオフの関係になりがちです。それは感情を強く揺さぶる表現をするためには読み手の思考や感情がシンプルであるほうが好ましいのに対し、情報量の多い画面というのは読み手の思考を複雑にして感情線が動きにくくなってしまうんですね。この相反する性質を克服するにはどうすればよいのか。

http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20080530/1212196167

「快楽原則に忠実」という意味では大衆向けだけれど、「文脈依存が強い」という意味でかなり濃いオタク向けでもあると思う

ほしのこえ」「雲の向こう約束の場所」「秒速5センチメートル」見て、「新海誠作品の男は女を助けられないし、別れたら二度と再会できない」という前提を刷り込まれた上で見ることが一番大切だと思います

たとえばこれ。 この前提あるかないかでカタルシスが全然違います。

個人的には、新海作品に限らず、「いろんな作品」の積み重ねの先に登場した作品という印象だと思います。

原作つきアニメは、原作をベースにしながら、枠内に収めるために取捨選択をしたり、再構成をして少し変わった印象に編集が行われますよね。

この作品はオリジナルではありますが、パッと考えただけでもいろんな作品が頭に浮かんでくるくらいいろんな「原作」がある作品だととらえるべきかな、と。

個人的には、あまりにも既視感が強すぎて展開はだいたい読めてしまいました。だからこの物語にサプライズは全くなかった。それでも、わかっていてなお、とてもカタルシスは強かったわけです。「私は、これがずっと見たかった」って思いましたよ。そういう「文脈」の力に依存している部分は大いにあると思う。

ランス9をクリアしました。 - この夜が明けるまであと百万の祈り

鬼畜王ランスで見て以来、シーラがヘルマン王家から開放される日をずっと待ってました。感無量です。
余談ですが、私は「ピギー・スニードを救う話」という短編が死ぬほど好きです。

「小説家になろう」作品などと同じで、そういう文脈を無視して単体として評価しにくいというのは弱点ではあるかもしれませんが
逆に、だからこそここまで密度がある作品を達成で来たのかと思うと、やはりマイナスだけで評価するべきではないと感じます。
これって、今のエンタメとしてこの上なくストレートで正しい姿なんじゃないかな。



それに、上で述べたように、そういう文脈補正ボーナスがなくたって、非常によくできた作品で、見ていて非常に気持ちがよいです。
私はやっぱり見てよかったと思いますよ。




余談。売上数字以外でジブリ作品と比較したり「新境地」みたいな話をする必要はあんまりないと思います。

ニュースを見ていると、「風立ちぬ」の興行収入を越えそうらしいですね。

それで「なぜこの作品がヒットしたのか」を考えて、作品の中にその答えを見出そうとしてる人がいるようです。

でもたぶんこの作品でそれ一生懸命やっても、あんまり意味ないと思う。

別にこの作品、エポックメイキングなところは特になかったと個人的には思いました。

「情報圧縮論」の話をする時は「その上に何を載せるか?」という言及にまでするんですが、「やる夫が徳川家康になるようです」は「情報圧縮」で大群像という舞台を構築した上で、やる夫や、やらない夫というブランクなキャラクターを利用して「その先の物語」を見せてくれている…という評価がしたい

私はこの作品がなにか新しい到達点を見せてくれたとかそういうのは全然感じなかった。

ただ、とにもかくにも、「よくできた作品」「気持ちの良い作品」だったのは間違いない。

また、「時代を超える力」はたぶんないと思うけれど「時代の先端」「集大成の一つの形」ではあると思う。

どうせなら、そういう過去の流れの整理みたいなことをやったほうがいいんじゃないかなー。

というか、別に批評家じゃないんだから、そういうめんどくさいことは考えずに、この作品を素直に楽しんでみたらいいよね。

一周目はどうしても構えてみていたところがあるので、気が向いたらもう一回、今度は文脈的な話など余計なこと気にせずにもっと単体の作品として楽しんでみたいです。


新しい作品が出てくるときってだいたいこういうものだと思う。

ベストヒットってそれまでの集大成的なところあるじゃないですか。そこからはこれを越えないといけないっていう壁になる。

だから、ここから先に、この作品が描いているような感覚を打ち破って新しい何かが生まれてくるんじゃないかって期待したい






個別の描写なんかについても語りたいことそこそこありますが、

そういうのはもうちょっと自分の中で関連資料を掘り下げつつブログじゃなくて友達とやりたいですね。


映画見た後で買ったもの。

ボーカルの存在感すごかったね。これは今まででは考えられないことだと思う。


やっぱり気になるところいっぱいあるからね。ただ、あんまり出来が良いとは言えないかも……。


こっちは二周目見る前にマストリードな気がします。


ストーリーではなく「絵」側を掘り下げるならこっち、と思って買ってみた。
(どうでもいいけど、新海さん不動産ポエムの動画たくさん担当されていたせいか、瀧くんも不動産系に就職しそうな気がする)





おまけ

【情報圧縮論】やる夫が徳川家康になるようです - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

日本でマンガやアニメの物語表現について、技術的なノウハウがもの凄く溜まっている状態で(あるいは「受け手」の練度が非常にあがっている状態で)、これらを複合的有機的に利用する事で、本来、“莫大な才能(仮に天才とする)”を必要とした「大きな物語」や「先の物語」に対して、手を届かせる技術があるんじゃないかという仮説

これまでの物語において、重厚な世界設定や群像劇を描こうと思ったら、これは先ほど述べたような“莫大な才能”を必要としたんですよね。もし、この群像劇の上に“先の世界”を描く事を思いついた者がいたとして、しかし、それは群像劇を描ける程の“莫大な才能”者にのみ許された特権だったワケです……というかそういう風に世界を考えるとします。これ、多分「機動戦士ガンダム」を例に上げると分かりやすい気がします。「ガンダム」という物語を描くにあたって、ニュータイプという“先の世界”を思いついたとして、それは、泥まみれで、戦争に翻弄される“大きな群像”を描いたその上に、“先の世界”を載せるから、あの感動が生まれている事は間違いないと思います。群像劇を描く才能のない者が「人類って宇宙に出たとしたら、こんな風に変って行くかもね」というだけの物語を作ったとしたら、僕は間違いなく、あれほどの感動を得ることはなかった。だからこそ、これは群像劇(「大きな物語」)を描けた者だけに許された「先の物語」だったと言えます。それは逆に言うと、「大きな物語」を描ける者が、「先の物語」を描こうと思わなかったら、それはそこで終わってしまうという事。(いや、終わっても全然良いのですけどね。安彦先生とかは、本当にニュータイプとかには興味がない人ですよね)逆に「先の物語」は見えている(思いついている)のに、「大きな物語」を描く力量がないために、「先」が描かれているだけの「小さな物語」で終わってしまう事もある。
こういったカナシに、これまで散々溜め込んできた、物語表現技術を複合的有機的に利用する事で、手を届かせる方法があるのではないか?いや、既に何人かの作家は、それに意識無意識を問わず気付いていて、すでに使っているんじゃないの?

過去作品をもとに、このあたりの話したらすごく面白そう。 

*1:まぁあまりにやりすぎて、細部では「省略」というか「つじつまがあわない」と感じる人は多いのでしょうが、おまえら本当にそこ丁寧に描いたら満足するの?難癖つけたいだけじゃね?そこを丁寧に描いてないかわりに何が実現されてるのか。そういうトレードオフで考えて欲しい