頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「エモーショナル・コレクトネス(正しい感情表現)」を伴わない「ポリティカルコレクトネス」一辺倒では人の心を前向きに動かすことはない

ワインバーグの法則 - 頭の上にミカンをのせる

金槌の法則: クリスマスプレゼントに金槌をもらった子どもは、何でも叩きたがる。

長谷川某さんが言葉狩りが云々という話をして、それに賛同の声が集まったりしているようです。なぜこうなるのか。すべてがそうだとは言いませんが「ポリティカル・コレクトネス」一辺倒の方々が、機械的に特定の言葉に反応して、相手の文脈や言い分を軽視し、自分の正義ばかりを主張をしてきた結果、かなりヘイトをため込んできているから、という側面があると思います。

すべての人がそうだとは言いませんが、ネットで声がでかい「ポリコレ」を叫ぶ人たちは、子供が無分別に金槌でなんでも叩きたがるような雑さがあります。これは別にポリコレに限らず「繊細チンピラ」や「感動ポルノ」という言葉を知るや否や、なんにでもそれを振り回したがる人たちと同じです。子供のふるまいといえるでしょう。雑なものは雑だし、無神経なものは無神経なのです。そういう人の意見を、人が聞きたいかというと、誰も聞きたくないでしょう。「繊細チンピラ」や「感動ポルノ」といった言葉を使う人たちは、こう指摘したらだいたい「おっそうだな」と納得してくれますが、ポリコレの方々だけはこう指摘されたときに「そういう物言いこそが差別的なのだ」と開き直る傾向が強いように思います。話が通じない率が非常に高い。

「ポリティカル・コレクトネス」そのものが悪いわけではないはずなのに、ネットではこの人たちのふるまいが、逆に相互理解を遠ざける結果になってしまっているのをよく見ます。「リベラル」と呼ばれる人たちは、社会的弱者の仲間をしようという意思は見えるのですが、やはり、かえって両者の間に溝を作る結果になってしまっていることがあります。いったい何が問題なのでしょうか。

「エモーショナル・コレクトネス」を伴わない「ポリティカルコレクトネス」一辺倒では、決して人の心を前向きに動かすことはない


何十年も 「ポリティカル・コレクトネス」に 焦点を合わせてきましたが より重要なことは 「エモーショナル・コレクトネス」の実践です

「エモーショナル・コレクトネス」とは 言葉の調子や 感情の込め方 どんな言い方かや お互いに対して示す尊重や 思いやりで決まります そして 私が気づいたことは 政治的な説得力とは アイデアや事実やデータからは 得られないということです 政治的な説得力は 「エモーショナル・コレクトネス」から得られます

この動画では、大事なのは「正しい感情をもつことだ」ということを言っています。

いくら論理的に、政治的に正しいことを言っていても、その人の感情が憎悪であったり、敵意や選民意識に染まっていたら、決して相手には伝わらないし拒否されるということです。このあたりについては、昨日書いた「兵士のマインドセット」とも関係があるのかな、と思います。「勝ち負け」や「正義と悪」みたいな図式で考えると、たいていろくなことにならないわけです。

「謝ったら死んじゃう病」のマインドセットを理解する 「間違っているのに正しいと感じるのはなぜなのか」 - 頭の上にミカンをのせる

ポリティカル・コレクトだろうがなんだろうが、「独りよがりだったり、自分に同意しない人を軽蔑するような人は、嫌われて、話を聞いてもらえない」ただそれだけ

「私の側」にいるリベラル派は 独りよがりになったり 人を見下してしまったり 自分たちに同意しない人を 軽蔑することがあります 「ポリティカル・コレクトネス」 としては 正しくても 「エモーショナル・コレクトネス」 では間違った行動です ちなみに それが意味することは そんな人たちは嫌われるということです そうでしょう?

ショーン・ハニティの 「ポリティカル・コレクトネス」は 1%程度ですが 「エモーショナル・コレクトネス」は素晴らしいです だからこそ人々は 彼に耳を傾けます 自分の意見を 聞いてもらえて初めて 相手に賛同してもらえる ものです

たとえポリティカル・コレクトネス的には間違っていても、人はエモーショナル・コレクトネスを大事にするわけです。これは愚かなことでしょうか。私はそうは思いません。ロジックや政治的立場よりは、じょうきょうによって変わりやすいものです。悪い感情を持っている人でも、気に入らない相手を打ち負かすためにポリティカル・コレクトネスを持ち出すのは簡単です。でも、「その人の感情の持ち方」はなかなか変わるものではない。こちらの方が、信用度は高い。そのことを人は良くわかっているのでしょう。だからそっちを見るわけです。


「アイヌは殺します」騒動の時は割とそれがはっきり表れたのではないでしょうか。



では、私たちはどういう感情を持つべきなのか?どういうマインドセットを持つべきなのか?

「私はあなたの政治的立場の大ファンではないし 時折混ぜる難解なロジックも苦手です でも 1人の人間として あなたの大ファンです」を目指したい

この人は 私に賛同していませんけど まだ今はね (笑) でも彼は 私が話したことではなく どんな風に話したかによって 聞いてくれていたんです 直接会ったこともないのに なんとか 心を通わせることができました これこそが「エモーショナル・コレクトネス」で 真の変化につながる対話を 始める方法なのです

政治的な立場や主張の違いは、すぐに埋めようとしてできるものではありません。その人にはその人なりに、その人の意見や立場を作り上げてきた文脈があるからです。そんなものはブログの1記事程度で語れるものでもありませんし、それを語ったところで相手がすぐに納得して意見を変えたりはしません。

話を聞いてもらおうと思ったらまず耳を傾けてもらわなければいけない。自分も相手の文脈を理解しなければならない。できるなら人として好きになってもらった方がいい。そんなの、ネットじゃなくてリアルなら当たり前のことですよね? 

ところがネットで話をするときそれが当たり前じゃなくなっている人が結構多いと思います。人はせっかちになりすぎです。「ロジカル・コレクトネス」や「ポリティカル・コレクトネス」に頼りすぎます。そういうものがあれば、相手はすぐに自分に同意してくれる。なぜなら論理的・政治的に私は正しいのだから、と思ってしまうわけです。

私たちは相手に構わず言うだけで 多くの時間を費やして お互いの不一致に関しては あまり話し合おうとしません もし私たちがお互いに 思いやる気持ちを見出せたら 共通の基盤を築ける可能性が 表れるのです この場で言うと 本当に陳腐に 聞こえるとは 思いますが 皆さんがこの方法を 使うようにすれば 本当に力強い味方になります


やや宗教的というか怪しいと思う人がいるかもしれませんが、私は「斎藤一人」さんの「千回の法則」ってのが結構好きです。

濁ったコップの水に、一滴一滴キレイな水を垂らしていく。最初は全く変化がないように見えるけれど、ずっとたらし続けていれば、いつのまにかきれいになっている。そいう状態を目指そう

これ、底にでっかい沈殿物があったらあかんと思ったりはするけど、少なくとも水はもとよりはきれいになりますよね。こういう、ちょっとのんびりしたマインドセットを持っておいた方が、結果としてはうまくくこともあるんじゃないかなと思います。