この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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自己評価が低く、心のなかの批判がうずまいている人のための「現実吟味テスト」

ダニング-クルーガー効果 上から目線の人や自信家はむしろ愚かであることが多い「アメリカ人は30カ国中数学25位、科学21位、自信は1位」

アメリカより科学などで抜きん出ている多くのアジアでは、それほど自尊心を強調しようとする概念がない。
でもそれなりに満足を得ているか、自尊心が高い国より幸せだったりする。
それは幸福の本質が単に自分のことをどう思うかだけではないからだ。


別にこの記事を否定するわけではないですが、私は「自己肯定感」という言葉を聞くともにょもにょする。「当事者意識」って言葉と同じくらい「自己肯定感」って言葉にはうさん臭さが付きまといます。


まず「自己肯定感」という言葉をどういう意味で使ってるのかいまいちはっきりしない

自尊感情(ローゼンバーグ)」と「自己愛(コフートの理論)」と「高い自己評価」のドレの話をしているのか?いや知識自慢じゃないです。私もローゼンバーグとかコフートの話なんて正直さっぱりわかりませんよ?とにかく「自己肯定感」ってのをどういう意味で使ってるのかがワカラナイということが言いたい。

書き手はなんとなく「自己肯定感」といういいものがあって、それが足りなければ不幸、それが足りてれば幸福、という前提で話をしているような気がするんですよ。「自己肯定感」そのものについてはあまりちゃんと考えてなくないですか?そうやってふんわりと「良い」意味で、マジックワード的に使われると、もうスピリチュアルの世界ですよね。


はっきりいって上の記事は「金が足りたくて生きづらい思いをしている人が最初にすることは、金が足りないことを認めることだ」程度の話にしか私には読めませんでした。自己肯定感より金をくれ。そしたら自己肯定感もつくから、みたいな感じです。


そして、もしこれが自己肯定感覚の話ではなくお金の話だったら、上の記事で満足できますか?私はとても不満です。別に金が足りなくても、生活レベルを下げれば生きていけるし、知りたいのはどうすれば金がたまるか、って話でそれは全く語られてませんよね。それを示してくれないなら、結局「金が足りないことからは目をそらして、欲望をおさえるしかない」。つまり、上の話を聞いても、自分に何の変化ももたらしません。こういう「実効性がないのになんとなくいい話」については疑ってかからないと駄目だと思う。

自己肯定感のなさにコンプレックスを気に病むあまり、「インチキ自己肯定」に支配されないようにしたい - この夜が明けるまであと百万の祈り




自己肯定感・自尊感情を高めるのが常にプラスに機能するわけではない。

ミサワをみるたび思いだせ! 「ダニング・クルーガー効果」 - あとのまつり
なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか(池谷 祐二) | 現代ビジネス | 講談社(2/6)
勉強するほど成功できない!?~ダニング・クルーガー効果

ネットには短期的に「自己肯定感」だけが高い人っていっぱい見てきましたが、ちゃんとした裏付けのない自己肯定感は「持続」できないと確信しています。こういう人たちの多くが、どこかに行きつくことなく病んで、歪んだ自己肯定感の高さで人に迷惑をかけるのをたくさん見てきたので、正直うんざりしています。

つい最近読んだ「ライアーゲーム」に出てくるアベちゃんの話なんかも、この負のスパイラルに陥った人の典型例ですね。
「ライアーゲーム」13巻 自己否定を乗り越えて、その先に自己肯定を目指すには - この夜が明けるまであと百万の祈り

たいていにおいて、無理やり自己肯定しようとすると、逆に宗教や他者否定という手っ取り早い道に逃げ込むことになりますし、
そして、そういうかりそめの自己肯定感は、途中で崩壊してより絶望に陥るという結果になりかねません。

「システム理論」の強制力についておそらくもっともわかりやすく解説してくれている本。


高すぎる自己肯定感はかえって負のスパイラルを引き起こす

頭の悪い人ほど自己評価が高いのはなぜか | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
周りからなんだこいつ、と思われ、自分も現実とのギャップに悩み、長期的には不幸度が高くなるという話だったはずです。
だれか参考文献のURLお分かりの方いれば教えてほしいです。

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia
人格障害の一つとしても挙げられます。

自己評価が高いことと自己愛性人格障害はどう違うのか。
「その多くは自分がどう見られるかの不安を抱いていて、そのために自分の価値を高く見せようとしていることが多い。自分の価値に本当に自信が持てないので、無理にでも自分が優れていると思い込み、まわりにもそう思わせようとするのだ」
こういう人たちへのセラピストの役割は自己評価を上げるのではなく、下げるという珍しい例である。
「他人からの賞賛や社会的地位に頼ったりしなくても、自信を持って生きていけるようにする」

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1878.html

問題とすべきは「自分の現実と自己評価の乖離」あるいは「自己を高めるための方法が見えないこと(現実における閉塞感)」

実は「自己評価を低く保つ」のは、幸福度を守るためにとても有効な戦略だったりします。
詳しくは説明しませんが自己評価と自分の現実との乖離は「認知のゆがみ」であって、この歪みは、他人から植え付けられることもありますが、自分で選び取っている場合もあります。人間は自分の幸福を守るために自分で認知をゆがめることは日常茶飯事です。それは生存のために必要な処置であり、強引にそれを矯正すると、かえって生存率や幸福度を下げることになります。私は自己肯定感が今と比べてめちゃくちゃ低い時期がありましたが、当時の環境を生きていくために必要だったと思ってます。

書き手の人にとっては、自己肯定感が高いのが当たり前だからなのか、自己肯定感の高所恐怖症みたいなものについて、ちゃんと考慮してもらえてないなと思いました。



自己肯定感覚の話

揚げ足取りをしてるとか、すごい意地悪なこと言ってるって思ったかもしれませんね。

でもね、私は自己肯定感の話をするって簡単じゃないんだよって話がしたいんです。むやみやたらに「自己肯定感を高めよう」とか「自己肯定感が低いことを認めよう」って話は、無責任だと私は思う。

だから、上の記事は自分的にはNG。




「自己評価が低く、心のなかの批判がうずまいている人にはいい質問がある。」

かわりにお勧めしたいのがこの記事。

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1878.html

・<そう考えるのは現実的だろうか?>


・<そう考えることによって楽しい気分になるだろうか?>


・<そう考えることによって、現在の状況に立ち向かうことができるだろうか?>


・<そう考えることによって、この次の機会にはもっとよくなると期待できるだろうか?>


これらの<現実吟味テスト>は自己批判がいったいなんのためになされるのかという疑問がうきあがるね。

楽しい気分やなにかの解決、向上をめざす建設的なものが求められているのか。

たんに自分をつき落とすために、いったいだれのための考え方かと思うね。

心の中で考えることは自分にとって有益なものでありたいね

私は、上のような「ふわっとした、なんとなくいい感じの話」にはあんまり興味を惹かれない。


「とりあえず無責任にいいこと言っとけ」みたいなのって、一見コスパいいように見えるけど実際のところ現実無視してるから机上の空論で終わってしまいがち。

それよりも「一つでいいから具体的に自分の現実でも実践できて、きっちり役に立つ話」が読みたいです。








上の記事書いた人、別に何も悪いこと書いてないのに、最近あまりに
「ふわっとした、なんとなくいい感じの話」を持ち上げる風潮が強かったのでむしゃくしゃしてやった。今は反省している