この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

【スポンサーリンク】

「謝る」の第一歩は「相手のことを理解する」ことから始まる

「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える

長谷川さんは、挨拶の段階で一方的に「不快な思いをさせた」という一点だけで謝って、一気にバーッと喋りだしました。謝罪したのに、時には私の話も遮りました。だから、謝罪ではなく主張するためにきているのがすぐにわかった

長谷川さんがお部屋に入られて話し始めて数分で「ああ、この方はこちらの意見を聞くのではなく主張するために来たんだな」と察しました。それで、用意した資料はあまり使わず、感情も入れずに、今回はこれまでのブログの内容や発言の真意と「主張」を聴くことに徹しようと思いました。反論も、その場では聞く耳を持たれないだろうと思った

いろいろ疑問を投げかけましたが、彼はそれには答えず移植推進の一点張りでしたので、全くわかっていないなと感じました。

理解ができていないことは安易に例に挙げないほうがよいと思います。長谷川さんのような方が、よく制度や会計の仕組みや統計データを確認せず、不見識のまま大きな声で煽動することを咎めないことのほうが、私は余程「甘やかし」だと思います。

「謝らない」というか、「謝るとはどういうことかを理解できてない」ことのデメリットが嫌というほどわかりますね。

「この人とは話ができない」「何もわかっていない」と思われてしまうことです。多くの人がブコメで指摘してるように、もはや対等な話し相手として扱いされていませんよね。この状態になったら、もはや何を話しても「後で晒すためのネタ」くらいにしか認識されなくなるわけです。どんな主張をしてももう届かないでしょう。何か問題があった時に、リカバリーするチャンスを失う。メディア力を完全に失う。これが「謝らないこと」「間違った謝り方」の最大のデメリット。

「スタンフォード大学の心理講義 人生がうまくいくシンプルなルール」に書かれている「謝罪のルール」について紹介する - この夜が明けるまであと百万の祈り

あまりに相手をないがしろにしすぎたら、自分もないがしろにされる。インガオホー。




「謝る」ということについてのネガティブイメージは非常に強いと思う

私は以前から繰り返し「謝ること」と「ゆるし」について記事を書いています。

言いたいことは共通してて、つまり「謝る」ということの意味を考え直そうということです。

結構多くの人には「謝る」について「頭を下げる・恥をかく・相手をつけあがらせる」といった強いネガティブイメージがあるように思います。そのせいか「ご迷惑をかけた」とか「感情を害した」という感じで、あくまで相手が怒ってるからとりあえず謝っておくという態度が見え見えになることが多い。他人事として自分から切り離してしまう。その結果、「すみません」ととりあえず形式的に言うことはできても、謝る理由はというと「厄介ごとを避ける」という程度の認識しかない。そういう人が結構いると思います。


典型例としてはネット炎上したですね。この人たちは高確率でその経験を振り返って記事を書きます。しかしほとんどの場合彼ら彼女らの記事から読み取れるメッセージは「私は悪くない」だけです。 「ネットには厄介な人がいるから叩かれることはあるけど逆らわず放っておこうね」とか「気にしないでおこうね。ブクマ増えて良かったと考えようね」とかいろいろ書いてるんだけれど、メッセージとしては結局「私は悪くない」「悪かったとしたらお前らの気に入らない書き方をしたことだけだ」としか言ってません。で、この人たち、それに自覚がないんですね。自分ではすごい冷静に書いてるつもりなんだと思う。冷静な時にほかの人が自分と同じこと書いてたら「なんて情けない奴だ」って思うはずです*1。なのにいざ自分が批判されたときはこういう反応をしてしまう。そのくらい一部の人にとって「謝りたくない」って気持ちは強いんですね。それだけ「謝る」ということはネガティブなイメージでとらえてる人が多いのだと思います。


なので、そういうイメージや固定観念を持っていて、それが理由で抵抗感があるのであれば、ちょっと考え方を変えてみませんか?




ネットでは「とりあえず納得してないけど謝る」は捨てる。納得できずないまま謝るくらいなら黙っとく

まず「そもそもなにか問題が起きたら、自分が納得してなくてもとりあえず謝らなければならない」みたいなイメージがありますけど、それはネットではやらなくていいと思う。親とか仕事の相手じゃないんだから。 「とりあえず謝る」という行為をしなきゃいけないと思うから、「頭だけ下げて、心では納得してない」アピールをするのが我慢できないんでしょう? そんなのネットでは無意味だし火に油を注ぐだけです。納得してないなら謝らないで黙ってるほうがまだまし。


というか、「とりあえず頭を下げたということにしておけば場が収まる」みたいなコミュニケーションってほんとクソだと思うんですよねあれ。一つ一つに丁寧に時間かけられないからこそかもしれないけど、私ほんと嫌い。上の人たちもそういうのが嫌いだからこそネットでは素直に頭なんか下げてやるもんかって思っちゃうわけでしょ。




だったら。




「自分が納得しないなら頭下げない」でいいじゃないですか。なんで「頭は下げるけど挑発し返す」みたいなことやってるんですか。それって下の下ですよ。根本的な「頭は下げる」って部分には抵抗せず、せこく抵抗だけ示すって、なんかもう自己満足でしかないですよね。ほかにも「頭下げたら負け」みたいな意地の部分だけ突出させるのもやっぱり頭悪いと思う。


そうじゃなくて、その意味のない謝罪をするかわりに、面倒でも、相手の言い分を理解しようとしてみましょう。そして「きちんと理解したうえで」相手の言い分に理がないと思ったり、相手とコミュニケーションをつなぐ必要がないと思ったら謝らなくても良いし、反論してもいい。 理解もするつもりがないなら、その程度の興味しかないんだから放っておきなさい。



「興味ないけどとりあえず頭下げておけ」→「謝る理由はとりあえず相手が怒ってるからってことにしとけ」っていうのは、怒ってる相手に取ってみたら一番の侮辱だと思う。わざとやるならいいけど、物事を収めようと思ってるなら、リアルと違ってこれだけはやったらいかんと思いますよ。




「謝る」という行為の意味をポジティブにとらえなおす

「謝る」ということについては「相手を理解・学習し」「コミュニケーションをつなぎ」「協力して問題解決を目指す」みたいなポジティブな意味でとらえなおすようにしてみたらどうでしょうか。

(出展は忘れましたが)私は以前何かの本で「謝罪とはコミュニケーションにおけるほころびを修復する技術だ」という話を読んだことがあって、今でもそれがすごく強く印象にのこっています。

「スタンフォード大学の心理講義 人生がうまくいくシンプルなルール」に書かれている「謝罪のルール」について紹介する - この夜が明けるまであと百万の祈り

「謝罪」というのは何も特別なことではない。問題に対処するための一つの方法として「謝る」という手法はとても有効であり、これが最適であるケースは多い。これがちゃんと使えれば、コミュニケーションにおけるちょっとしたすれ違いを恐れなくても良くなる。「なにか間違った発言をして相手の気分を損ねたらGAME OVER」みたいな思いをしなくてすむ。コミュニケーションがサドンデスの綱渡りみたいに感じてる人が多いけれど、そうならないようにするために謝罪というスキルがあると思う。「謝罪」による解決が可能というのは安心感を与えてくれるものである

そう考えると「謝罪ができる」っていうのは「武器」とか「回復アイテム」みたいなものなんですね。だから、こういうポジティブな効果を引き出せるように意識を切り替えれば、それほど苦手意識って持たなくて済むと思うんです。


「謝りたくないのに謝るというのを強制させられ、しかも謝っても相手が気分良くなるだけ」みたいなのを繰り返してきた人からしたら、とにかく謝りたくないって気持ちはよくわかります。私もいまだにそういう気持ちを強く引きずってるところがあるので。でも、これは使えないまま、使わないままいるにはあまりにもったいない「必須アイテム」だと思うので、苦手でもなんとかうまく付き合っていきたいですよね。



つまるところ「この人の信頼だけは失いたくない」「この人とはよい関係でいたい」と思う人がいたら、その人の話はよく聞いて理解しよう。それで申し訳ないなと思ったらその気持ちははっきり伝えようってそれだけだと思います。


謝っているのにうまくいかないな、と思った時のチェックシート - この夜が明けるまであと百万の祈り




*1:こういう記事に同意するブコメをしてる人が一番バカだと思います