この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「英仏百年戦争」(前編) エドワード3世とシャルル5世の時代

イギリス人の半数以上は、百年戦争はイギリスの勝ちで終わったと思ってるらしい。

http://ameblo.jp/blagodara/entry-10044475293.html

さらに付け加えると、フランスに勝利をもたらしたジャンヌ=ダルク。いまでこそ有名だけど、18世紀以前はこんなヒーローじゃなかった。彼女を英雄にしたのはナポレオン。彼が自分のイメージとだぶらせて英雄視させたんだって。

歴史って、ほんとに適当だよね……でもそれが面白い。

百年戦争前哨戦(1202~1259)

イングランド王家、フランス王家が戦っているが実はどっちもフランス人貴族。つまり、フランス貴族の領土争いであり、国家間の戦争にはなかなかなってなかった。実際にイギリスが国家としての整えだしたのはエドワード3世の頃から、フランスに至ってはジャン2世までは国王とは名ばかりの一大領主としての制度しか整っていなかった。フランスが一つの統一国家として機能し始めたのはシャルル5世即位(1364年)からと言って良い。お互いに、百年戦争において、必要性に応じて「中世の領主」から「近代国家」への一歩を踏み出した


②イギリス人の半数は「シェイクスピア症候群」にかかっており「イギリスヘンリー6世が勝利してフランス王シャルル7世を臣下にしたけど(※実際にはそのような事実は無い)、薔薇戦争で国内がgdgdになったからそのどさくさでフランスが土地を取り戻した。イギリスは負けてない」と思ってるらしい。つまり半数のイギリス人の中では百年戦争は1339年から1420年のトロワ条約までで終わっていて、その後を認識していない


百年戦争というのは後から歴史家がそう名付けただけであって、しょっちゅう休戦しまくってた当時の人達にそういう認識はない。1202年のフィリップ2世の侵攻から1259年(パリ条約)までを第一次百年戦争と呼ぶ歴史家も多い。これにボロ負けしてフランスでの領土を失ったことで、イングランドだけでなくウェールズスコットランド側を頑張ったのが第二次百年戦争前のイングランド王家。

「第一次百年戦争」でボロ負けしたのはイングランド側のジョン失地王です>

ちなみにこの後もイングランド側は何度もフランス側に領土没収されそうになってるが1299年 モントルイユ条約、1326年アルク条約などで領土を返してもらう代わりに、臣下の礼を取っている。

イギリスの攻撃。百年戦争前半 国力で圧倒的に劣るイギリスが勝利

百年戦争のきっかけは、カペー朝断絶後の王位継承問題。
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さらに、イングランドスコットランドに侵攻したのをきっかけに関係が悪化し、またもフランスが「お前の土地没収するぞ」と脅した所、エドワード3世がブチ切れて宣戦布告をしたのが始まり。 フランス北部の「フランドル地方」のクーデターに乗じて、まずここから侵攻を開始する。


⑤ぶっちゃけイングランドとフランスの国力差は3倍くらいの開きがあった。イングランドは普通に考えたら絶対勝てなかったのだけれど、イングランド側が国家が統率されていて早めに新しい戦術に移行できたのに対し、フランス側は、領主別に指揮系統もバラバラで、戦術も古いままであったので、少ない戦力でイングランド側が勝利してしまった。

このあたりについては「ホークウッド」というマンガが「クレシーの戦い」を描いてます。みんなだいすきエドワード黒太子の若かりしお姿も登場するので読んでみてkづあさい。
ホークウッド 騎士には名誉を、傭兵には金を - 歴史マンガはいい文明

<ポワティエの戦いで負けて、イングランドの捕虜になったのはフランス側のジョン2世です。またジョンか!>

⑥本当はイングランドはスロイスの海戦で勝って上陸した後は連敗続きでボロボロだったんだけれど、ブルターニュ継承戦争のお陰で、フランスへの上陸拠点をブルターニュ側に確保できて命拾いした。


フランス我慢のターン。賢王シャルル5世によってようやくフランス側も「近代国家」への道をスタートし始める

⑦ブレティニー条約、カレー条約を結んで一時的な安全を確保する。

<エティエンヌ・マルセルの話とジャック・リーの乱はこのあたり>

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⑧ジョン2世の身代金で国家が崩壊しそうになるが、それを逆手に取って、領地内だけでなくフランス国土全体で税の徴収をスタートさせる。人頭税、消費税、塩税を一気に開始。この税収を元に常備軍の下地も作り始める。

<日本史や世界史で習った「不輸・不入の権」を、諸侯の力が強いフランスでも王様が乗り越えて徴税権を行使することにしたというわけ>


ブルターニュ侯を一旦中立に戻し、代わりにカスティーリャ継承戦争に介入。ついでに治安を悪化させていた傭兵を国外にまとめて連れ出す。この際にエドワード黒太子が介入してフランス軍は敗れる。黒太子はこの戦争で戦費調達のためにアテキーヌで領主の合意なく徴税を行ったため、「アンジュー」や「アルマニャック」(もともとのイングランド王家のスタート)のスタート地点の伯が猛烈に反発し、フランス側に事実上寝返り。さらにエドワード黒太子は赤痢になって戦場から退場。
イングランド王国はアンジューの領主からスタートしたのに、ジャンヌ・ダルクの頃にフランス王家を支持していたのはまさにそのアンジューやアルマニャックと立場が入れ替わっている。この戦争がイギリス対フランスの戦争なんかではなく、あくまでフランスの領土争いだとみなされていたというしるしになりますね)

フランス反撃のターン。「デュ・ゲクラン」指揮の元に、アテキーヌ侵攻を行う

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⑩傭兵は解雇するとすぐに盗賊になるので、カスティーリャ継承戦争で雇った傭兵をそのまま対イングランド戦にも投入。常備軍のもとになった。ほとんどすべての戦闘で勝利しカレー、バイヨンヌボルドー周辺以外の土地は全て取り戻す

イングランド側はエドワード黒太子、エドワード3世が相次いで病死。後を継いだリチャード2世はおそるるに足りず。イギリスの脅威はほとんど無くなる。


⑫調子に乗ったシャルル5世はブルターニュ継承問題に介入するも、貴族連合の猛反発にあって失敗。さらにイングランドの脅威が去ったにも関わらず税制を維持しようとしたため農民の反乱が続いたため、直接税を廃止。常備軍も解散。失意のままシャルル5世も病死。

シャルル5世は、ギリギリのところでフランスの大改造に着手してフランス王家の危機を救ったけれど、まだ中央集権とか常備軍を成し遂げるには早かった。>

ここで二年の休戦状態に入ったのが1371年。



この「エドワード3世・エドワード黒太子」が死亡し、フランス側も「シャルル5世」が死んで一旦休戦になるここまでが、前半戦。