この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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傷つけられて痛みを知ることができても優しくなるとは限らない

改行が少ない記事はスマホでその場の勢いで書いてるので、まとまってないし話行ったり来たりで読みにくいと思いますがご容赦ください。

 

http://blog.tinect.jp/?p=37119
教師がクラスの「いじめ」への対処を誤ってしまう理由。 | Books&Apps

 

この記事のブコメに気に入らない発言がいくつかあった。私が気に入らないと思ったのは、いじめられたことがある人はいじめられてる子がいたら気づく、とか。なぜ教師がいじめの対応を誤るのかと言われたら、教師がいじめを経験してないからだというニュアンスの発言だ。これらのコメントは支持を得られていないようなので無視しても良いとは思うのだけれど、これが毒親の話になると様変わりする。毒親に関しては、毒親を得たことについて、理解して欲しがるのに、経験を共有してない人間を遠ざけるような姿勢をとる。そして、また体験を共有しているというだけで理解し合えるということを言う人の割合が非常に高くなる。こういう人たちはおのれの体験をまるで血脈のように考え、血族同士で繋がろうとするように見える。

 

 

こういう人たちの態度について、理解しようと思えばできなくはない。この人たちは拒むだろうけど。でも私はこういう考え方は到底納得できない。いじめられたことのある人間が教師になった時に、いじめに気づき、理想的な対応が取れるたとか、傷つけられた人たちは、痛みを知ってるから他人に優しくなれるなんて話は、そういうこともある、運が良ければそうなるかもね、でしかない。そんなもんいくらでも例外があるし、逆の理屈としていじめられたひとは、傷つくのが怖いからいじめられてる子がいても見て見ぬ振りをするという話もできる。また、自分のときは助けてもらえなかったのに、他の人がいじめられてる時に助けろと言われて納得できるだろうか。実際はてなみてたら、某たんや某二才など、おのれの傷つけられた過去を振り回して私に優しくしろ、と暴れまわる人なんていくらでもいる。こういう人たちのことをどう考えているのか。

 

 

一見こういう話(いじめられたひとは痛みを知って優しくなれるみたいな話)が論理的に見える人もいるらしいが、論理が繋がりさえすればそれで正しいと考えてもいいのは青二才までである。大前提が一般原則として成立しないものは、演繹方に馴染まない。ミソジニーやヘイト抱えてる人も、本人は自分のヘイトは論理的に正しいと思ってるのだ。単に視野が狭いだけだが、視野が狭い人間が視野の狭さに気づくには例外に接してそれを受け入れるしかない。自分の理論を正しいと信じてる人間にそれは難しい。論理なんてのは、常に例外を想定してそれを受けいれる姿勢がないなら、むしろ有害である。頭の悪い人ほど、子供騙しの理屈に騙されるし、その結論が美しければそれを信じる。これはよくない。

 

 

ここまでの話は前置きで。

 

さて。なんでこの話をこんなに頑なに否定したがるかを今から考える。私は何が言いたいのだろうか。

 

というと、いじめられた経験がある人や毒親に苦しめられた人は、普通に今も苦しんでいて、他人のことなんて考える余裕なんてないことだってあるし、むしろそっちをデフォルトだと考えた方がいいんじゃかなということだ。

 

いじめられたことがあったり、傷つけられことがある人というのは、むしろ排他的で、攻撃性が高いと認識しておくべきだ。一人だとハリネズミ状態だし、複数で群れを作るとやたらと攻撃性を増す人たちだと認識しておいた方が、その人たちとうまく付き合えると私は思っている。いじめられたことのある人や、傷つけられた人たちに、だからこそ他人に優しくしろなんて要求してはいけないと思うし、当事者たちも、そんなものを気にしなくて良いということが言いたい。ただでさえしんどい思いしてるんだから、余計なもん背追い込むべきではない。

 

この手のいじめ被害者や毒親経験者は、なんか、この手の問題に対して困ったしなければならないという義務感で行動してる人たちが非常に多いと感じる。自分がいじめられたからこそ、そういう人を許してはならないとか、毒親の人たちには関心を持って優しくしなければならない。この問題を周知させるために自分の人生を捧げねばならない、無知な人間はしばき上げねばならない、そういう思いつめたような状態になってる人が結構いる。この手の話題になると積極的に自分の体験をCOし、他人に対しても必死にからみ、啓蒙活動を行おうとする。本人がそれをやりたいならいいんだけど、常にピリピリしてて周囲に緊張感をしいてるかなあと思う。なんというか、陳腐な言い方になるけど、すでに傷ついた人たちは、まず自分の傷を癒すとかゆっくり休むとかを優先した方がいいような気はする。ネットでそういう傷を晒す行為とかって、カタルシスはあるだろうし、セラピー的に受け止めてる人もいるかもしれないけど、他人にとって決して心地よい話しでもないし、絶対にどこかで反発がくると思う。その時、せっかく癒えかけてた傷やら人間不信はますます強くなるような気がする。

 

 

自分で書いてて凹んできたのでこのあたりで。まあまったりやりましょう