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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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森友学園と性善説について

森友学園が、塚本幼稚園というところで幼稚園児に洗脳教育を行なっていると話題ですね。で、この人たちが性善説に基づいた教育を理念としているらしいですね。

性善説を教えている話 - 森友学園・籠池泰典理事長 電話インタビュー - YouTube

私みたいに教育の現場にいる人間は、子どもたちに性善説を教えていっておりますので、いいひとがいっぱいいるよというように教えていっておりますから、そうではないような、悪い人間ばかりがいて、その悪い人間のなかに私も入っているんだというような展開の受け止め方をしましてですね、非常になんかあの、つらいというかね、言語道断なような気がいたしましたね。

いや、性善説は「人を善なるものとして信じましょう」という話じゃないのだが……。


というわけで、すでに一回記事を書きましたが、あらためて「性善説」というキーワードをおさらいしてみませう。


森友学園の理事長は、性善説を誤解しているが、その上で本来の意味での性善説にもとづいて行動しているという皮肉

性善説については以前も書きましたが「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というのが性善説という考え方です。

つまり、性善説性悪説どちらの見解でも結局「人は善行も悪行も行いうる」のであって、これは人を信じるかどうかとは関係のない話なのです。 

結構な割合の人が「性悪説」のつもりで「性善説」を、「性善説」のつもりで「性悪説」を唱えている。性善説に立ってる人は「自分が善」だと思ってることもあって「悪」に対してものすごく痛烈に批判したり「切り捨て」を行うことになります。「性善説」にたつと、自分が良いと思ったこと以外の人に不寛容になります。「善から悪に堕ちた人」になるからです。「仲間内だけを善とし、外側に対して過剰な敵意を示す」のは、むしろ性善説の考え方です

他者に寛容であろうと思えば、むしろ「性悪説」オススメ

この意味において、森友学園の理事長先生は性善説を完全に誤解しています。 

 

にも関わらず、森友学園の教育方針は、まさに性善説に則ったものといえます。
 
つまり「世の中の大人はもう手遅れだから相手にしない。まだ悪に染まっていない子どもたちのうちから私達の善なる考え方を徹底的に教えて善の考えに染めてしまおう」という姿勢ですね。


ああ、何という中二病的発想!! 光源氏でも「ひくわー」というレベルですね。


ただ、こういう教育観念を持つ人は非常に多いです。「不健全図書」問題で、教育に悪影響があるものを徹底的に子供から遠ざけようとするのも、あれかぎりなく性善説なんでしょう。子どもたちはケガレのない善なるものであり、その善を守ろう。「ぼくがかんがえたさいきょうの善」を教えよう。悪から遠ざければ立派なオトナになってくれるだろう、という考えがあると思われます。


だから、性善説を唱えるこの人が朝日新聞や中国人を極悪人呼ばわりをするのも、「本来の性善説」で考えればまぁその通りなんだと思います。極右の反対の極左のかたがたも似たような感じでしょう。日教組側の教師にも常軌を逸した事例はたくさん報告されています。リベラルの人たちが、自分たちが悪とみなしているものにたいして異常に不寛容であるのも似た理屈であるのかもしれません。(リベラルの「寛容に関するジレンマ」はそんな簡単に片付けて良いことではありませんけれどね)



性善説の人がたいてい間違うのは「善」とは何かすら考えずに「自分が信じているものが善」と考えてしまうから

このネット社会において、あまりに現実離れしたことを真顔でいう彼らは何がおかしいのでしょうか。何が歪んでいるのでしょうか。

それは、根拠もなく「自分が善の人間である」「自分が正しいと思うものが善である」と思っているということです。

しかし、彼らの結果が望ましい結果になる可能性は限りなく低いです。根本的に「性善説の善」ってどういうものか、をまるで考えてないし、考えないから検証もしないからです。安易に唱えられる性善説の何がやばいかというと、この「自己検証する機能も意思もない」というところです。彼らは、自分の唱えていることが本当に善かどうかを判断するしくみをもたないまま、その必要性すら認識しないまま、性善説を唱えていることになります。「根拠もなく自分が善であり正しい」と考えるような人の考える性善説が正しい形に収まるかどうかは、もう完全に運です。


彼らは善意の持ち主ではあるのでしょう。活動的でもあります。でもアホです。そもそも法律用語における善意は「必要なことを知らされていない」という意味です。知るべきことを知っていない。理解できていないということです。にも関わらず自分たちが正しいと思って行動していているのです。「自己検証機能がなく、それでいて自分を善だと信じる心だけが異常に強い」というのは、ブレーキの壊れた、目の前が確認できない乗り物に乗っているようなものです。それ、めちゃくちゃ怖くないですか?


そんな乗り物にのってしかも全力でアクセルを踏み続ければ、どこかで事故にあうまではどんどん加速していきますよね。でもそれってどこかで大事故を起こします。迷惑極まりないです。最悪と言っても良いでしょう。

そんな最悪が、一つの形になったものが、今回の森友学園といえるのかもしれません。





孟子が考えた「性善説」の中の善とは

性善説 - Wikipedia

①「善」は人に内在する天の理法であり、「悪」は外在する環境にある

孟子の「性善説」とは、あらゆる人に善の兆しが先天的に備わっているとする説である。

善の兆しとは、以下に挙げる四端の心を指す。なお「端」とは、兆し、はしり、あるいは萌芽を意味する。
惻隠…他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
羞悪…不正を羞恥する心
辞譲…謙譲の心
是非…善悪を分別する心
修養することによってこれらを拡充し、「仁・義・礼・智」という4つの徳を顕現させ、聖人・君子へと至ることができるとする

私も性善説はただしく理解できている気がしません。でも、少なくとも「自分の考え方は間違ってるかもしれない」という考え方があれば、慎重に発言できるかなと思います。

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個人的には孟子に関しては性善説よりも「中庸」の考え方が好きです。性善説って本当に極端に走りやすいから私は大嫌いです。