この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

【スポンサーリンク】

かみんぐあうと

今日のぐだぐだ記事。タイトルがひらがなの時は基本的に帰りしの電車でスマホで書きなぐってる駄文なのであらかじめご了承ください。

 

社会的弱者のカミングアウトについての話か、、、うーん。この話もわたし苦手だな。話を始める前にわたしの立ち位置を書いておくと。わたしは確かに障害がありますが、だからと言ってわたしは自分のことを社会で弱者だと思ってません。その上で社会的弱者について書こうとするんだからまあろくなアウトプットが出ないことは保証しておきます。

 

 

さて。社会的弱者や障害者などにに、お前らは弱者であることを認めろ、それを表に出せという人いるよね。いう方は簡単だが言われる方はたまったもんではない。話になら無いなとすら思う。

 

特に今のように、弱者に優しくが、制度としてはともかく、本心では建前でしかない社会において、「自己責任。足手まといの面倒な見る余裕はない」「弱いものから死んでいく」の方がむしろコンセンサスに近いような社会で、簡単に人に弱みを見せたりはできない。

貧困JK問題は、本当に嫌な事件だったね、、)

 

 

 

障害に対する理解が不十分な社会において、中途半端なカミングアウトや中途半端な助け合いをやろうとするとどうなるかは「聲の形」が嫌というほど示してくれたはずである。あれを子供の話だと、自分たちの職場や自治体ではあんなことは絶対にしないと言い切れる大人がどれだけいるものか。少なくともわたしは信じない。絶対に信じない。信じる理由がない。

 

 

 

そもそも、私が健常者で自分の場所に障害者がいたら、迫害はしないまでも、対等には扱える自信がない。障害者だから障害者に最適な接し方ができるわけじゃない。むしろ、自分が生き延びてきたやり方を押し付けるかもしれない。その人がでしゃばらないようにいい、その人の権限を制限しようとするかもしれない。そして、それをわたしはその人のためだと思ってやるかもしれないわけだ。今の状況なら本気でやりかねない。ベストの選択肢など最初から存在しない。妥協なくそのために戦うほど勇気もないし、正義を信じてないし、その人に思い入れもなければそうなりかねない。傷ついた人が、他の人に優しくできるとなどというのは夢物語とまでは言わないが、低い確率でしかない。

 

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2017/02/22/193438

 

今の状態では、発達障害だが能力が何かに特化して飛び抜けて高い人以外は、受け入れ態勢がきちんと整っているか、会社の人ときちんとした人間関係ができるまではCOすべきではない。それは残念ながらまだ今の社会では自殺行為になる確率が高いし、覚悟や組織のフォローがない人たちにそれを背負わせるのは気の毒であるし、破綻した時のリスクが怖い。少しの我慢や忍耐でなんとかなるなら自分が我慢しろ。「そんなの不公平だ、自分には耐えられない」というやつ、それは勘違いだ。生まれた時からすでに不公平なのだし、いままでそれで生きてきたのだから今更だ。それが嫌なら、そういう受け入れ態勢が整ってる狭き門を目指して子供の頃から意識的に努力するしかない。わたしはそういう認識である。

 

※ただし、「発達障害でもそれに適した職場があるんだからそこを選ばなかったお前が悪い」みたいな意見言う自称論理的に正しいメンは死んでください。

 

 

 

 

とはいえ。とはいえだよ。

 

カミングアウトはするべきではないけれど、

 

自覚はしておくべきだ。

 

そして、自覚した上で戦い方、生き延び方は自分で考えて準備すべきだ。

 

自暴自棄になって安楽死したいとか、死を呼び込むような行為をする人については、私は同じ発達障害当事者でも同情すらしない。そう言う人はむしろ私の敵だ。(だから、ネガティヴなことばかりいったり炎上しまくって、俺は必達障害なんだから仕方ねえだろって開き直ってたころの青二才さんにはかなり敵意が強かったはずだ。死んだり炎上するなら発達障害者巻き込まず話に一人で死ねばいいだろ巻き込むなよ、と思ってた。今は割と前向きだから、ちょっとだけ仲良しダゾ)

 

 

 

 

弱者の生存戦略みたいな話とかは、まあわたしはあんまり好きじゃ無いけど借金玉さんのブログとか読んでけれ。わたしはあまりうまくいってないので人にアドバイスする立場ではないンゴ。

 

 

 

 

 

参考として以下の記事など。逆に、わたしが昨日書いた記事みたいに、俺はこんな風に辛いと弱みをさらけ出すのは下策だ。それは意味がないどころかマイナスに作用しやすい。同情というのは長続きしないし、見下されるというリスクが非常に大きい。

 

周りの人が、手助けではなくて、わたしに投資したくなるように、何かしらの意味を用意したり、あるいは互助会でもいいから仲間作ったりした方がマシだ。

 

とはいえ、互助会やるならなぜもっと賢くやらないのかあの人たちは、、、本当に不思議である。

 

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51066648.html

>>

こうして見ると、強者の善意による援助を引き出すという点において近い弱者というのは遠い弱者に比べてさまざまな点で不利なのは致し方がない。まずはこのことを「近くの弱者」は知っておく必要がある。その上で、競合する彼らが援助を引き出すとしたら、「私は弱者」と主張するだけでは足りないのだ。「私を援助すると、あなたにはこんなメリットがありますよ」ということを主張せねばならないのだ。

 

誰がどういうコストを負担し、そしてどういうベネフィットを受け取るのかがきちんと書いてある。一言で言うと、つけるべき紐がきちんとついているということで、その意味で「太っ腹」では決してないのだ。

<<

広告を非表示にする