教育勅語の核ってなんだよ……って突っ込もうと思ったけれど、よく考えたらちゃんと把握してなかったので読んでみた。教育勅語何百もの解釈があるそうです。この記事も自分の感覚ではこういう風に理解したよ、というものを書いておきます。
1 天皇の先祖の話
朕惟フニ、我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムル(はじめる)コト
宏遠(こうえん)ニ徳ヲ樹ツルコト深厚(しんこう)ナリ
ご先祖様がだいぶ昔に国を始められた。ご先祖様は大きく広く徳を築かれてきた。その徳は深厚だよ。
まぁとにかくご先祖様すごい偉い人で、その人たちの徳があってこそこの国はあるんだよ、という話ですね。
2 日本国民(臣民)は忠義と孝行を尽くしてて偉いよね。子供たちにもこういう教育しようねという話
我カ臣民
克ク忠ニ 克ク孝ニ
億兆心ヲ一ニシテ
世々厥(ケツ)ノ美ヲ済セルハ
此レ我カ国体ノ精華ニシテ
教育ノ淵源
亦実ニ此ニ存ス
ご先祖様も偉かったけど、臣民であるあなたたちも、忠義と孝行を尽くして、世世に美しい立派な行いをしてきたよね。立派なご先祖様と、立派なあなたたち臣民。これこそが我が国の国体を素晴らしいものにしています。教育も根源的にはこのすぐれた「国体」を守るためにやらないとね。
ここはひとそれぞれに「国体」という言葉をどう解釈するかによって受け止め方変わるでしょうね。
3 天皇から臣民にこういう風にしましょうねという具体的な徳目の部分(一般的に素読されるのはこの部分)
教育勅語 | だいたいこんな感じの意味 |
爾臣民 | きみたちは |
父母ニ孝ニ | 親には孝行しよう |
兄弟ニ友ニ | 兄弟姉妹は仲よくしよう |
夫婦相和 | 夫婦は互いに仲よくしよう |
朋友相信シ | 友達に対しては誠実にふるまおう |
恭倹己レヲ持シ | 謙虚に、自分を律しよう |
博愛衆ニ及ホシ | みんなにやさしくしよう |
学ヲ修メ | 真面目に勉強しよう |
業ヲ習ヒ | 仕事を真面目に覚えよう |
以テ智能ヲ啓発シ | 勉強や仕事がんばって賢くなろう |
徳器ヲ成就シ | 徳や器の立派な人間になろう |
進テ公益ヲ広メ | さらに公益を広めよう |
世務ヲ開キ | 世のためになる仕事をおこそう |
常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ | 皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を遵守しよう |
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ | 万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくそう |
以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ | こうして、天地と共に限りない天皇の栄光を支えよう |
割と普通のことが書いていると思いますが、いろんな人が指摘しているように、最後の2行あたりは明らかに時代に合わないと思います。
教育基本法改正の際、教育勅語に関してどういう論争があったのかはあんまりしません。しかし、これについて、「時代に合うところだけ残そう」ならまだ興味ありますが、最後の部分あたりをそのまんまにして復活させようというのは無理があるんじゃないかなと。まさかと思うけど、ここの部分こそが大事だと思ってる人いるのかな?
4 「教育勅語」はどういう意味があって、どういう風に運用していくべきかという話
是ノ如キハ
独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
③で示したようなことを実践することは、
ただあなたたちが忠義心があって善良な臣民であるというだけでなく祖先の人の残した風習を顕彰することになるんですよ。
だから大事なんですよ、ってことを言ってます。
斯ノ道ハ
実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス(あやまらず)
之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)
このような生き方は、先祖の残された大事な教訓であり、子孫臣民がともに遵守すべきですよ、と。これを古今に通じても間違いはなく国内だけでなく国外にこれを広めても道理に背くということはありませんよ、と。
先祖代々の教えなので大事にしましょう、はわかりますが
「中外ニ施シテ」の範囲によってはアカンやつですね……。
朕爾臣民ト倶ニ
拳々服膺(けんけんふくよう)シテ
咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)
このことを臣民たちだけに押し付けたりはしないよ。天皇である私も、あなた方と同じようにこの教えを常に心に銘記して、みんな一緒にその徳を一つにすることを心より願っています。
ここまでが「教育勅語」本文です。
改正教育基本法ではいけませんか?
稲田大臣は「教育勅語の精神である親孝行や、友だちを大切にすることなど、核の部分は今も大切なものとして維持しており、そこは取り戻すべきだと考えている」と述べました。そして、「教育勅語の精神である、日本が高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すべきだという考えは、今も変わっていない」と述べました。
教育基本法2条に、核の部分は引き継がれているという指摘がありました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_02.htm
(1) 「あらゆる機会に、あらゆる場所において」
制定当時、それまで学校教育のみで教育は終了したものと考え、その後の研究修養を省みない弊風を改めるため、学校教育と並んで社会教育が大いに振興されるよう規定したもの。
(2) 「学問の自由を尊重し」
憲法第23条「学問の自由は、これを保障する。」の学問の自由を侵してはならないとする消極的な規定をさらに進めて、積極的に尊重していこうとするもの。
(3) 「実際生活に即し」
教育なり、学問なりが実際生活を基礎とし、そこから出発して行われなければならず、またその成果も実際生活に浸透していかなければならないという意味を示したもの。
(4) 「自発的精神を養い」
自ら進んで学問をしたいという気持ちを起こさせ、個人の研究的態度を養うという意味。
(5) 「自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」
教師と生徒の間のみならず、教師相互、生徒相互の間に敬愛という心のつながりを持って、相互に教育し、教育され、協力一致していくところに偉大な文化の創造と発展が遂げられるという意味。
このページには、旧教育基本法はわかりにくかったと書かれており、改正において教育勅語の良いところを取り入れたということなのかな? だとしたらこれは良いことだと思います。良いところ、現代でも大事だと思うところは誰も否定していません。
ただ、稲田さんはその上でこれでは足りないとおっしゃられているのかなと思います。具体的に何が足りないと思っているのかなというのは気になりました。
児童生徒の道徳性を次の4つの視点から分類整理し,道徳の内容項目を示して,指導を行うこととしています。
1 「主として自分自身に関すること」
2 「主として他の人とのかかわりに関すること」
3 「主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること」
4 「主として集団や社会とのかかわりに関すること」
「教育勅語」復活論者は、単に歴史の無知をさらしているだけ(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。ましてかつてなく社会が複雑化し、価値観が多様化した現在、部分的に評価できるところがあるからといって、「教育勅語」全体をそのまま公的に復活させようなどという主張はまったくのナンセンスである。「教育勅語」の内容と歴史を知れば知るほど、そう結論づけざるをえない。
復活論者は、「『教育勅語』再評価=戦後民主主義批判=反左翼=保守」と早合点し、その内容や歴史の精査を怠り、その復活を唱えることを自己目的化してはいないか。「教育勅語」の歴史に学ぶことがあるとすれば、それは、ある時代の教育方針を金科玉条のように墨守することではなく、むしろそれを柔軟に見直し、現実に対応していくことであろう。「教育勅語」を個々人で愛好するのはよい。だが、公的に復活するべきかといえば、その答えは明確に否である
私はどちらかというとこちら側の考えですね。
教育基本法から見る日本の教育と制度―改正教育基本法で何が変わるか | |||
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