この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

【スポンサーリンク】

「笑うせえるすまんNew2話 マボロシガイシャ」

以前勤めていた会社の上司から子育てで失敗して反省した、という話を聞いたことがあります。

上司は、息子が何度言ってもいうことを聞かない時、言うことを聞かせるためにビンタをしていたそうです。そして、実際にビンタをすると言うことを聞くので、「めったにやらない」「いざという時だけ」と自制してやっていた結果、その息子の子育てに関して言えば上手くいっていると思っていたらしいです。

ところが、その息子が小学校に入るようになったころには、上司は「ビンタ」は間違いだった、と考え直して完全にやめることにしました。上司はなんでビンタが間違いだと思ったのかわかりますか?


答えは「兄弟のうち、兄が弟にビンタをするようになったから」です。
そのお子さんはとても素直だったらしく、親の言うことをそのまま受け入れたわけですね。つまり「悪いことをしたら、ビンタをされる」→「悪いことをしている人には、ビンタをするもの」と考えるようになった。

これに気づいた親である上司は、兄に対して「弟にビンタするのをやめろ」というよりもまず、自分が兄に対してビンタをしていたことについて「ビンタをするのは良くなかった」と認めて、二度とビンタしないようになりました。そうしたら、自然と兄も弟をビンタするようなことはなくなった、ということです。

さて、この話をみなさんならどう活かしますか?

傷つけられて痛みを知ることができても優しくなるとは限らない - この夜が明けるまであと百万の祈り

<読んでほしい部分はここまで>






此処から先はチラシの裏の落書きです。


……実際はこんなにきれいな話ではないのでしょうし、上司も多少脚色などをしているのでしょう。ですが、大枠として、こういう話は当てはまることが多いと思います。



まず「虐待された子供は親になると虐待をする」というケースや「家では真面目で良い子なのに、学校ではいじめを行っていた」などは典型的ですし、他にも例えば、「いじめは良くないことだからやめろ」といったところで、「周りに合わせないといじめられても仕方ない」という価値観を刷り込まされたり、親がそういう手本を見せ続けていたら、「いじめはよくない」と「周りに合わないいやつはいじめられても仕方ない」の駆け引きになります。そして、もし後者が勝ったときは「いじめはよくない」という部分に勝つためにも「いじめられるやつが悪い」という理論は強化されるでしょう。

原発避難のいじめ 全国で200件以上に | NNNニュース
原発避難者へのいじめ」に関しては、そういう要素も加味して考えたほうが良いと思います




この記事も、まぁそのタイプの話ですね。
残業を規制すると「できる人」と「できない人」の格差がますます広がる。 | Books&Apps
この記事に登場する医師の論理については突っ込みどころが多いので、また別記事でツッコミを入れさせてもらおうと思うのですが、この記事の印象は「部活や厳しい環境でしごかれて生き延びた人間は、その環境が正しいものだと内面化してしまう=生存バイアスがかかる」という話でした。典型的なハラッシーハラッサー案件ではないかと思います。本人は合理的だと思っているのかもしれませんが、どう考えても視野狭いよね。

「サバイバー(生存バイアス)」→「メリトクラシー信奉」→「ハラッシーハラッサー」 - この夜が明けるまであと百万の祈り
モラルハラスメントおよび、ハラッシーハラッサーについて - この夜が明けるまであと百万の祈り
遠回りかもしれなくても、仕事はできるかできないかだけ考えるより部下の気持ち考えたほうが良い成果につながる「と思います」 - この夜が明けるまであと百万の祈り

まさかこの理屈が「やむを得ない環境だから総せざるを得ない」という路線ならともかく、正しいと思って語るのであれば、それは語りの構造としてアウトではないかな。この医師の人はそういう環境だったからまだ仕方ないとして、その話を正しいと思って無批判に拡散しようとする安達さんは大丈夫なのか……。 たすけてしんざきおにいさんというか、同じメディアで書いてるしんざきさんの意見は気になるところですね。(別に同じメディアで書いているからこの件に応答しなければいけない義務はないのですが)




さてそんな話はどうでも良くて、タイトルの「マボロシガイシャ」。短いですけど面白かったですね。


一言で言うと、ブラック企業で苦しめられた人間が、架空環境で上司になったらその人がブラック上司になったという話。「弱者の語る道徳」に対して痛烈に皮肉が聞いていて好きです。

スタンフォード監獄事件の話を持ち出すまでもなく、人間って、実は社会的立場によってしか自分を律することが出来ず、友達相手には互助会のごとく褒め殺しあい、立場が上の人間には媚びへつらうが、己の立場が優位になった瞬間に傲慢に振る舞い、平気で人を虐げたりしますよね。つまり、自分で自分を律することができてる人って実はそんなに多くない。

ブラック企業批判といったところで、その人達は、経営者や上司としての立場を知った上で、それでも己を律することができるのか、そうでないのかが問われます。そういう部分抜きで綺麗事や理想論だけをのべても、そういうものにはあまり価値がない。そういう部分もあわせて飲み込んだ上で、理想を語れるか。そこが大事になりますね。

多数派や有利な立場でありながらモラルを守れるのが良識ある人間 - この夜が明けるまであと百万の祈り
夢と現実は対立関係ではない - この夜が明けるまであと百万の祈り


人間なんて、所詮己の心より環境のほうが遥かに重要な獣に過ぎず、自律だ道徳だの言うたところで、それは環境のもたらす影響と比べたら微々たるもんじゃないかなと思ったりするわけです。

さらにぶっちゃけると、私はネットで言われる綺麗事なんて信じる価値が無いと思ってます。彼らは弱者だから、弱者にとって都合の良いポジショントークをしているに過ぎない。あるいはネットでは「弱者の味方」という立場が有利だからそちらに合わせているに過ぎないと思う。結局あたられた環境に適合した動きをとってるだけ。それが合わない人は生き残れないんだからしょうがないのかもしれませんね。


私を含め、今オープンな場所でソーシャル的な何かをやってる人なんてのは、普段弱者の味方や弱者のための道徳を語る人は、「敵」や「強者」を見つけてそいつらを叩いて良いという立場になった瞬間、自律を投げ捨てて容赦なく人を殴りかかるような獣ばかりです。そんなもん信じても意味がない。