この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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逃げてもいいという言葉の曖昧さ

他人のせいにするな!政治のせいにするな!!生きてることに感謝し、両親に感謝しないといけない。今やってることが嫌ならやめればいいから。成功に囚われるな!成長に囚われろ!!

 

という本田圭佑の発言が自己責任論とか成功者の驕りとか生存バイアスとして批判されてる件について。まあその通りだと思うのだけど、本田▲だし別にいいかなと思う。

 

それよりも、この手の話になるとすぐににげてもいいんだよという抽象的な言い方が人気になる。実際いろんなパターンを想定した抽象的な話だからしょうがないのだけれど、逆にいうとこれは具体的なことは何も言ってないに等しい。じゃあ逃げるってのはどういうことなのか、具体的にこのパターンなら許されるのかどうか、みたいな話になると、たいていの人は厳しい反応をする。逃げてもいいというのは、自分から遠い存在に対する抽象的な空間においてのみ認められている聞こえがいい言葉であって、具体的な場面においては、自殺するまで追い詰められたような人に対して、そこまで至ってから後付けで逃げれば良かったのに、というかたちで、それはそれで自己責任みたいな響きを持った使われ方をしてる気がする。というか逃げるという行為については基本的に、事後的に逃げる権利を認めることにより自己責任に持ち込んでると私ははっきり感じる。結局逃げるということだって、自己責任なのだ。自殺するような状況の人に対して、逃げればいいという話は必要条件ではあろうが十分条件ではないはずなのだが、そういう話はあんまり歓迎されておらず、逃げれば良かったのに、にげてもいいんだよ、程度の当たり障りのない言葉が人気になって今日も平和なはてな村

 

ええと、なんの話したかったんだっけか。逃げてもいいという言葉をもう少し具体的に言おうということだが、多分これはもう人間関係においては、自分の責任だと考えるな、他人のせいにしてしまえということだと私は思う。他人に甘えろとかではなく、他人に押し付けろということ。私は悪くないと言い切ってしまえ、ということ。

 

そのくらい具体的に、かつ強い言葉にしたうえで許可を与えないと、多分全く意味がない。

 

 

なんでも好きなものを頼んでいいよといっておきながら、フライドポテト頼んだら学生気分がーとか言い出す上司の創作系実話だが、あれはこの件にも当てはまる。

 

逃げてもいいよーと抽象的には理解してるフリをして実際は自分のことは自己責任だと考えるような空気はあんまり楽しいとは思わない。