この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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「好き嫌い」と「善悪」の混線について


善悪で言うなら○で、好悪で言うなら○ですねぇ

好悪(こうお、と読みます)という言葉がある。意味は好き嫌いのことだ。
もちろん好き嫌いという言葉もあって「好き」の反対は基本的に「嫌い」なのだが。
「嫌い」「憎む」(dislikeとかhate)と「悪」(evil)を同一視する考えが、言語レベルで通用するということだと思う。
(好きの反対は無関心ですーみたいなお話は今は呼んでないので帰ってくださいw)

知らんけど、hateとevilって言葉が明確にわかれている英語において、この混同はあるのだろうか。多分無いんじゃないだろうか。
でも、日本の場合、言葉に引きずられて、「好き」でないものをストレートに「悪」と扱ってしまう傾向がアルようなきがする。
逆に言うと、好き=goodと扱ってしまうのもよくわからん。




古文の意味から考えても、「悪」ってのは多分西洋のevilとは全然違う意味だったんだと思うんだよね。

悪 - Wikipedia

本来「悪」は「突出した」という意味合をもつ。突出して平均から外れた人間は、広範囲かつ支配的な統治、あるいは徴兵した軍隊における連携的な行動の妨げになり、これゆえ古代中国における「悪」概念は、「命令・規則に従わないもの」に対する価値評価となった。一方「善」概念は、「皇帝の命令・政治的規則に従うもの」に対する価値評価である。

本来の日本における善と悪は、言ってみればタクティクス・オウガのlawとchaos属性の分類であったということかな。善悪でも好き嫌いでもなく、秩序側とそうでない側、と考えればよりわかりやすい。




西洋の「悪」と日本の「悪」の違い - With the I Ching

普通の冒険物語であれば、確かにタタリ神やそれがもたらした傷はevil(邪悪)なものとされるでしょう。しかし「もののけ姫」やその底に流れるアニミズムでは、タタリ神はあくまで鎮められるべき神であって、倒すべき悪ではありません。(ただし、最終的にはGaimanの意見が通って"evil"に戻されました。)このようなやり取りが何回も行われた上で、長い時間をかけて脚本は書き上げられました。

タタリ神を生み出したのが人間の業なれば、それは排斥されるべき悪ではないですよね。むしろ「悪」にしてしまうと、責任転嫁というか、問題をすり替えてしまうことになる西洋的には、善悪で分けて対立構造を作り出すことで、ヒーローやヒロインを登場させてきましたが、日本の古代からの文化においては、そもそも善悪の概念で明確に区別して良いものかどうか疑問が出てくるような気がします。

この記事も面白いですね。 私は「好き嫌い」を「善悪」にすぐ結びつける人には、どうしても「責任転嫁」を見出してしまいます。

私は昔から、ここの区別が雑な人ってのが心底嫌いです。 

ただ嫌いではあるけれど、それを悪だとするなら、私にとってそれは「鎮められるべきもの」みたいな扱いになるのかなと思います




他に、あまり関係なかったけどこの記事面白かった。
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「わろし」は個人的な感情に基づくもので、「あし」が個人を超越したものを表していたということだ。
ところが、だんだん「わろし」が「あし」を侵食してきたってことだ。 
この時代からも、「好き嫌い」と「善悪」を混同する人たちが、増えてきたということで、まぁ西洋の考えを輸入する前からそういう動きはあったってことみたいですね。

土佐日記』において「あし」は、気象・偽りの行為に対して用いられている。『蜻蛉日記』では、兼家と作者との関係を悪化させる行為を中心に、不作法な行為・体の具合・家屋の荒廃・物事の欠如・不都合・身分・食物の質・時機・日柄・方位という広範囲の物事を評価対象としている。一方「わろし」は、『蜻蛉日記』中で個人の激しい憎悪の吐露や好悪の感覚によって価値判断がなされる際に用いられている。

枕草子』では、「わろし」は作者個人の美意識にそぐわない物事に対して、「あし」はしきたりや作法のように個人の外に評価基準がある事柄に対して用いられる傾向にある。
 『更級日記』の「わろし」は作者の容貌、「あし」は海の荒々しさと体の具合を言う時に用いられている。

『無名抄』・『毎月抄』・『閑居友』・『十六夜日記』・『とはずがたり』・『徒然草』・『さゝめごと』が、この時期の作品である。これらにおいては、作者が「よし」とする物事にそぐわないものを主に「わろし」で評価している。歌論書では作者が目指す作風や具体的な作歌法であり、『徒然草』では作者が指向する処世態度がそれである。 

従来自然現象のような人事の及ばないところには、「あし」が用いられてきた。『十六夜日記』の混同は、「あし」の領域に「わろし」が食い込んだものと見ることができよう。

Wikipediaのこの記述と合わせるとなお説得力がある。

古事記』において、「悪事」は「マカゴト」と読ませる(古代の解釈では、悪の訓読みは「マカ・マガ」となる)。対して、「善事」は「ヨゴト」と読む。現代では、マガゴトの漢字は「禍事」を当て、ヨゴトは「吉事」の字を当てていることからも、古代の感性では、禍(か)=災い=悪という図式ということになる。

余談

あ、どうでもいいんですけど、私「禁書目録」のMAD見るのがすごい好きでして。

人気の「もっと氷華されるべき」動画 623本 - ニコニコ動画

私は「禁書目録」という作品自体は正直それほど高く評価してない……と思います。(まだ言う)、
でも、MADを見て、この作品を好きな人たちがあれこれ語ってるのを見るのがすごい好き。
彼らがなんでこの作品をこんなに好きで、そしてこんなに楽しんでるのかを理解したくて読んでる所ある。

一人だったらこの作品とっくに投げ出してたと思う。

他の作品に関しては、他人の意見ってどうでもよくて自分が楽しめればそれでいいって態度なのは
私のブログの漫画感想見てもらえればだいたい分かるんだけれど、
この作品に関してだけは、むしろ自分の感想はどうでも良くて、他人の感想メインになってるんですよね。

多分みなさんファッションとかドラマとかそういうのでこの感覚はかならずあると思うんでしょうけれどどうでしょう。
私は、なんでこの作品だったんかなぁ……。

こういうのすごいオモシロイと思ってるので、今後も禁書MADおよびファンの皆さん頑張って欲しい。