この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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私が「庶民感覚」を警戒する3つの理由

私は、この3つの言葉を肯定的な意味で使う人には特に警戒をするようにしています。

「当事者意識」「庶民(感覚)」「本音、覚悟」この3つです。

別にその言葉自体が悪いわけじゃないのですが、この言葉を使う人の内面を考えてみるとだいたいこういう意味で使っていることが多いと感じます。

「当事者意識」=「仲間じゃない人間が口をだすんじゃない(昨日の「ソシオパス」を参照)」
「庶民感覚」 =「(勉強も努力もしてないけど)私の感覚を尊重しろ」
「本音、覚悟」=「結果や実績は無いけど行動してるだけで偉いんだから私を褒めろ」

こんな感じ。いや、ちゃんとした意味で使ってるよ、という人もいるのは知ってるけども、ことはてなブログに限ってみればまぁ殆どがこういう使い方してると思う。


もちろんこれらの言葉の使い方は、最初は下記のような人たちへの反発心が言わせている言葉であり特に本気で言ってたわけではなかったと思っています。

「FF外から無責任に口を出す人(特に批判的意見)」
「勉強してない人にマウンティングをしてくる人」
「行動をしていないのに口だけ偉そうな人」

こういうのに対する反発ね。*1

つまり、本来は「どっちもどっち」なのです。批判するにしてもそれなりの作法や手続きを踏まない人間(私もそうですね)にも問題が有るし、それに対して幼児退行的な反応を示し、あげくのはてに「庶民感覚」とかいい出す側もどうかと思う。

それでも、どっちのほうが害が大きいかというと、私は「当事者意識」「庶民感覚」「覚悟」などを持ち出す人の方だと思います。 何故かと言うとわざわざこういうことを言う人は「愚鈍であると同時に勤勉」である可能性が高いからです。

私は(将校を)4種類に分類する。賢明な者、勤勉な者、愚鈍な者、怠惰な者である。ほとんどの将校はこのうちの2つの属性を併せ持つ

・一部の者は賢明かつ勤勉であり、参謀本部におくべきである。
・次に愚鈍かつ怠惰な者――彼らはすべての軍人の90%を成すが――ルーチンワークに適している。
・賢明であり同時に怠惰な者は最高管理責任者に適任だ。重要な決断に必要な、明晰な頭脳と図太さを持つ。
・気を付けるべきは、愚鈍であると同時に勤勉でもある者だ。責任ある立場に就かせるべきではない。常に損害を引き起こすことしか行わないからである。


特に害が大きいのが「庶民感覚」をやたらと持ち上げる人です。今の「選挙」という決定プロセスに頼る政治のプロセスにおいては「庶民感覚」という言葉は非常に危険だと私は思っています。



なぜ「現時点では」庶民感覚をありのままに肯定するのが問題なのか、一般意志2.0という発想が馬鹿げていると思うのか、という点について3点ほどサクッと紹介します。



陪審定理」について

多数決と暴力は何が違うのか? | 「決め方」の経済学 | ダイヤモンド・オンライン

陪審定理(第9回を参照)はその問いに1つの答えを与える。一揃いの前提条件が成り立つとき、多数派の意見のほうが皆にとって正しい確率が高い。

①多数決で決める対象に、皆に共通の目標がある。
有権者の判断が正しい確率 p は、0.5より高い。
有権者は各自で判断する。ボスに従ったり、空気に流されたり、「勝ち馬」に乗ろうとしない。

多数派の判断が正しい確率は、1人の判断や少数派の判断が正しい確率より高く、有権者の数が増えるにつれ上昇する。このとき多数派の判断を集団として選択するのが、すべての人々にとって賢明な選択だ。しかし条件が1つでも成り立たないとき、陪審定理からは多数決を正当化できない。

例えば、立法や政治についての多数決だと、その対象が「私たちに必要か」と人々が公共的に問える、いわゆる共通善に関するものなら、陪審定理の理屈を適用できる。しかし、人々の利害対立が鋭く各自がバラバラの方向へ「私にとって必要なのか」と問う多数決へは、適用できない

→「マイノリティ」に関する話題から「オタク」など多様性に関する議論になると、明らかにネットの議論がゴミばっかりに成ります。

これは議論に参加する人たちの多くが無意識的に「庶民感覚」にもとづいて「多数派が正しい」と考えてしまうからです。どれだけ論を尽くそうが、自分たちたち側がマジョリティ側だと思っている側の人間、あるいは相手がマイノリティだと思っていると、「気持ち悪い」くらいの感覚にもとづいて相手を断罪することに違和感を覚えていない人が多いです。自分と相手の立場が違う相手と「自分にとってどうなのか」を離れて利害調整をする、という思考自体がないのであれば、議論など無意味です。


この思考がある限り、マジョリティ側(だと自分の立ち位置を認識している人)は、相手に対して非常に態度が横柄になります。

・相手のことを学ばない
・相手に敬意を持たない
・相手の言い分に耳を傾けない
・相手を安易に否定する言葉を投げる

そもそも、目的が共通していない場合、気にするのは自分がマジョリティ側にちゃんとなれているかどうか、だけであって、そこさえ満たしていたら安心して思考しなくなります。


何の場作りも条件づくりもなく、教育も情報提供もなく自然状態で皆の意見をもとめたら陪審の定理は起動しません。「庶民感覚」はこうなります。


「みんなの意見」は”案外”正しい程度にとどまるし、最近は組織票や技術によってそれが歪められている

みんなの意見の意義と限界:『「みんなの意見」は案外正しい』解説

この「案外」の部分が、本書の長所をうまく言い当てている。
集合知は絶対ではない。
みんなが思っているよりは正しい。
でも、それをうまく引き出して活用するにはそれなりのコツがいるのだ。

実は「みんなの意見」は、かなり高度な手法でだれかが作り上げるものだ。
自然に生まれる合意のようなものではない。

その「意見」が集約され、作り上げられるプロセスには、ものすごく警戒が必要なはずなのだ。

ネット大好きで「庶民感覚」に過度な期待を抱いているヨッピーさんの問題点は、
この点について誤解があるからだと私は思います。

①「みんなの意見」の根拠なんかだれも説明できないし、だれも責任を持たない。あなたが五里霧中の状況にいたとき、根拠レスな「みんなの意見」に本当に命を賭けられる?

②また「みんなの意見」には、改善の余地もない。専門家なら、新しいやり方や工夫を導入できることもあるけど、「みんなの意見」はどうしようもない。

おそらく今後重要になるのは、その「みんなの意見」と専門家をどう使い分けるか、という話だろう。これは、まだ答えがない分野だ。

さらにいえば、「みんなの意見」が互助会(組織票)や、工作(素人的なSEO対策)で歪められて、全然正しくない、専門家でもなんでもない人の間違った意見、政治で言えばフェイクニュースたちがどうどうと検索汚染をしているのを目の当たりにしている。

それによって「庶民感覚(みんなの意見)」というものがどれほどに歪められているのかは、ヨッピーさんだってよくわかっているはずだ。にもかかわらず、そのあたりあんまり深く考えずに「政治にもっと庶民感覚を」というスローガンだけ唱えられても、あなたはどこの小池百合子さんですか、といいたく成ります。


庶民の間にも明確に対立する2つの倫理がある 「統治の倫理 市場の倫理」

ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』 - 西東京日記 IN はてな

【市場の倫理】(商人道)

暴力を締め出せ
自発的に合意せよ
正直たれ
他人や外国人とも気安く協力せよ
競争せよ
契約尊重
創意工夫の発揮
新奇・発明を取り入れよ
効率を高めよ
快適と利便さの向上
目的のために異説を唱えよ
生産的目的に投資せよ
勤勉なれ
節倹たれ
楽観せよ

【統治の倫理】(武士道)

取引を避けよ
勇敢であれ
規律遵守
伝統堅持
位階尊重
忠実たれ
復讐せよ
目的のためには欺け
余暇を豊かに使え
見栄を張れ
気前よく施せ
排他的であれ
剛毅たれ
運命甘受
名誉を尊べ

私も含めてですが、人間には絶対に相容れない2つの軸が同時に存在しています。個人で言えば、だいたいは「市場の倫理」側で考え、自分にとって大事なものに対してだけ「統治の倫理」を持ち出すようになります。

ヨッピーさんでいえば、自分は出来る限り好き勝手やりたいしやっている。PRの文字も入れたくない。それでも、自分にとって大事なネットで悪さしているやつがいたら、好き勝手やりたい、という気持ちを抑えてでも「ここまでは我慢しよう」って話を大真面目にやることになる。

私も似たようなもんです。もっと好き勝手書きたい気持ちはあるけれど、色々考えて自制してるし、ぶっちゃけ他人の迷惑とかどうでもいいと言えばどうでもいいのですが、それを許すと回り回って自分も不快なことに成るからわざわざ自分を縛るようなルールを考えるし違反している人を批判したりする。これ、バランスです。

「リベラル」の逆は「保守」ではなく…歴史に耐えるものさしで、中島岳志さんと現代日本を読み解く政治学(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース
(この記事については例のgryphonさんからツッコミが入っているように、ちょっと保守を理想化しすぎだと思うけどね……)






うーん。。。 ブログで書くにはまだうまいことまとめきれてないので、もうちょっと考えます。

*1:でも、いつの間にか繰り返し繰り返し無批判で使われている内に、最近はこういうのを本気で真に受けてる人が出てきているように思うんだよね……。だからこういう言葉って初代の人がいい加減に使ってる内になんとかした方がいいと思うんよ……。