頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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アライ(ally)さん その2

yuhka-uno
フェミニストの男性」がどう振る舞うべきかというのは、だいたいここに書かれている通りだと思う。→
LGBTフレンドリー」の、その先へ。「よいよいアーライ」になるための10か条
http://www.atashimo.com/entry/how-to-be-an-ally

「自分はメインのターゲットじゃないよなー」と感じる当事者運動においては、居心地の悪さを感じることもあったのですが、「アーライ」という概念を知ってから、随分楽になりました。「XXに対してフレンドリー」だとか「XXを“認めて”いる」というのを超えた努力や、一定の態度が必要なのです。

アライ(Ally)については私も去年くらいに読んだ本で簡単に学んだことはあります。
アライ(Ally)さん - この夜が明けるまであと百万の祈り

この概念にはいろいろ複雑な気持ちがあって未だに整理できてないです。ぐちゃぐちゃしてて多分矛盾もいろいろあると思うけどとりあえず今はこんな感じ。


この話をするためには、自分の中では前提としてかなりめんどくさい話をしないと納得できないためまずその話をします。不要な方は読み飛ばしてください。

自らに対して「弱者」や「被害者」というセルフイメージを持っている人は、他者からのかかわりに非常に臆病であり、それ故に攻撃性が高まっている

これはLGBTとかフェミとか痴漢被害者とかポリコレとかそういうのと関係なく、オタクとか、田舎者とかでも一緒です。発達障害や、毒親被害者、なんでもそうです。とにかく臆病になっているので「仲間」でない人間からのかかわりに強い拒否反応を示します。

外側から見たら、ネットのフェミやポリコレ、オタクなどのみなさんの中には、どこが弱者やねん、と言いたくなるようなすっかり「権力者」的な言動をしている人もいますが、そういう人はごく少数であって、そういう人を支持している名もなき人は弱い立場のままであり、みんな他者におびえており、安心できる内側にこもろうとするし、多少頭のおかしい言動をしていようが、仲間の言うことなら応援し「敵」であれば攻撃しますし、強気で外にぶつかってくれる人を支持しなければならない、という党議拘束がかかったような精神状態の人も少なくありません。


「臆病な人」というのは、敵か味方の区別が苛烈です。ちょっとでも「わかってない」って思うところがあったりちょっと無理解なこと、無神経なことを言おうものなら群れを成して一斉に襲い掛かります。群れると小心者ほど口が悪くなったりします。

これに「被害者意識」が加わるとさらに厄介です。これが強くなりすぎた人は、自分たちの攻撃性や理不尽は一切自分の中で免責されるのでリミッターが壊れてしまいます。他人の攻撃性や態度の悪さを指摘するその口で、批判してる人よりよほど凶悪な表現を多用する「ザ・キチ〇イ」みたいな人を見かけたことがある人は少なくないのではないでしょうか。


これとか、嫌な事件だったね……。

無神経だとは思うものの、それほど悪気がなさそーな人たちをみんなで囲んでボコボコにすることによって自分たちの心の平穏を守るわけですね。 長い目で見ると外側からの「ヘイト」をため込み、こういうスライムみたいな存在ではなく本当にやばいやつらが敵としてやってくることになるのですが。

他人ごとのように言ってますがつい先日書いた私の「マルクス」さん批判の記事なんかまさにそうですね。あれについて「どうでもいいやつを全力で殴りすぎ」とか「ハードル上げすぎじゃね?」って意見が多かったですね。。。


……とまぁ。

そんな感じのことを繰り返し続けることによって、ネットのクラスタはいろいろとすっごい内向きかつ攻撃的になってることが多いです。こういう人たちと接するのに、善意だけしか持たず無警戒で近寄るとすぐ捕まって袋叩きにされて殺されてしまいます。「弱い犬ほどよく吠える」みたいに侮ってはいけません。本人たちは弱い犬のつもりですが、実際は狂犬みたいな人が結構いるし、なにより弱い犬でもまとまった集団になってるところもあり、数で圧殺されます。

「臆病で被害者意識の強い人」はいろんな人たちがいる。自分の被害や生きづらさだけが特別だと思ってる人はNG

繰り返し書きますが、今から参照する記事ではLGBTqが紹介されているからといって、私は「LGBTq=臆病で被害者意識の強い人たち」という主張はしていません。オタクだって発達障害だってそうなり得ますというか上の例で挙げたのはオタクだからね。

私はLGBTqや女性といった限られた人たちを特別扱いする考え方がとにかく嫌いであり、個別に自分たちの被害や生きづらさを訴えるべきであり、それを比較したり戦わせたりする必要は無いと考えています。

自分たちの被害を語る際に「オタクは私たちよりつらくないから黙ってろ」だの「日本男DIS」を始める人たちは害悪だと思っているし、逆に女性が生きづらさについて語っているときに「男だって被害者なんだからその話もしろ」と自分たちの話を始める人もまたどうかと思う。とにかく、語る方も自分たちの話に集中しろ、と思っているのです。

「いきるのがつらい」という話は、誰でもその人個人にとっては特別なことであり、それ故に「他と比較して私だけ特別扱いしろ」「私が幸せになるためには他の〇〇を抑圧しなければならない」みたいな主張をする人についてはどっち方向であれ私は支持しません。

*1



「助ける」「守る」という態度が許されるのは英雄と専門家だけ

さらに寄り道すると、極論ではこういう話になります。

これについては「ワインバーグ」の「コンサルタントの秘密」とか
「HELPING ~人を助けるということ~」という本を読んでください。

相手からの要請がないのに、それ以上踏み込もうとするのはプロセス違反だという話です。
助けようとする人は、まずその人から信頼を得て、助けを求められるようになることを意識しろってことです。

「善意だから」「私はあなたを助けようと思ってるから」というので
このプロセスを軽視すると、善意が無駄どころが有害な結果になります。


みんな幸せになろうよ

ここまでの文章で、私の意図を正しく受け取ってくれる人が何割いるかわかりませんが
いったんリセットして簡易に表現すると

「善意のみで、安易に傷ついてる人に関わるのはお互いにとって不幸な結果になりがちなので、
 せっかく関わるならお互いが幸せになれるように関わりましょう」

これだけです。

長々としゃべるとそれだけ誤解されやすいって書いたけど、私にとってはこの言葉には
それだけの前提があるということを書いておきたかった。



「傷ついている人たち」とどうかかわっていくか=「アライ」という考え方

というわけで、前置きがすごく長くなってしまいました。ここからが本題です。

・傷ついている人は「接し方が難しい」であるという自覚をもって
・それに「善意」のみで安易にかかわろうとするのではなく
 せっかく関わるのだから良い結果になるような接し方を考えよう

って前提を構築したうえで、以下の記事をあらためて読んでいきます。



1.聞く

当事者の話に耳を傾けてください。間違いを指摘されたり、批判されたら、言い訳したくなる気持ちを飲み込んで、耳を傾けてください。すぐに分からなくても、いいんです。「どこが悪いんだか、親切に教えろ!」とか言わずに、じっくり考えていきましょう。

ある意味これがすべてだと思います。これがクリアできるなら他の9項目はそのうちうまくいくと思う。

他の人はどうか知りませんが、私は「善意をもってやってることが良い結果につながらない」ってのは結構受け入れるのしんどいです。例の界隈の擁護を使うなら「コミットしすぎると心の余裕がなくなる」って感じでしょうか。まして拒絶されようもんならかなりつらいです。そういう時に聞く耳を持てるかどうかですよね。

「自分と相手は違う人であるし、受け入れられないことも当然ある」という形で期待値をコントロールする必要があります。その期待値でも行動する価値があるとおもったらやればいいのであって、最初から見返りを求めると死ぬ。。。

ちなみに見返りって「親しくなればなるほど」「信頼されればされるほど」高くなっていくし、結果についても「だんだん相手をしっていけばいくほど」成功の確率が高くなっていく。

なので、一番最初が一番「割に合わない」んですよね。失敗して、拒絶される確率も高いし、まだ警戒されているからうまくいってもそれほど喜ばれたりはしない。そもそも拒絶されたときにちゃんとそれを説明してもらえることもあんまりない。それでも相手を支援したい、と思うかどうかがすべてだと思います。

そのくらい相手本位に考えられるようにならないと「聞く」という単純な行為はすごい難しいと思う。

2. 常に学びつづける
アーライは自分が知らないことを自覚し、常に学びつづけましょう。 でも、大切なのは「教えてもらうのが当然」と思わないこと。何も学ばずに、当事者に不躾な質問をして「自分にいちからわかりやすい説明をしてくれるのが当然」なんて期待しないこと。当事者はアーライに「教える」義務なんてない

現実には、いろいろ話をしてくれる親切な当事者は沢山いるでしょう。しかし、それを当然だと思わないこと。そして、それをすべての当事者に期待しない

これも結構難しい。期待がなければ行動するの難しいし、でも期待しすぎると失望してしまう。「期待しすぎない程度に期待する」ってのは、なにかの成功体験がないと難しいと思う。成功体験が幸運に支えられてる人も失敗しやすい。いっそのこと「最初から学ぶつもりで」低いところからスタートするのが良いと思います。この点、マルクスさんのように、いきなり大反響を得た人はその後つらいだろうなぁと思います。

ただ、期待しすぎないのもどうかと思う。先に進まなくなるから。これはブログの話だけど、私は読者に期待しなさ過ぎだなと思う。続けること自体はすごい簡単だけど、以前から全く前進してないような気がする。

3. 当事者をアクセサリー扱いしない
当事者運動に関わることを、「あなた」自身を飾るアクセサリーのように扱わないでください。活動は、あなたをかっこよくクールに見せるためのものではなく、当事者が生き延びていくための必要から生まれたものです。

4. スポットライトを浴びようとしない
当事者運動は、あくまで当事者のためにあることを忘れないでください。 アーライは黒子です。

5. アウティングしない
コミュニティ活動をする上で知り得た個人情報を、軽々しく外に出さないでください。

今って不幸なことに、これを勘違いさせるあらゆる仕掛けに満ちてますよね……。1や2がクリアできてたらすでにこのくらいはわかってると思いますが、実際にこれ目的からスタートする人もいるわけで。そういう人をどう扱うかって結構難しいよね。

6.「なぜここにいるのか?」という質問を恐れない
「自分は相手のアーライなのだから、当然のように歓迎されるのに違いない」と思い込むのはやめましょう。その傲慢な考えが打ち砕かれた時のバックラッシュが心配です。

7.「代弁」と「忠告」をしない
あなたが、当事者の気持ちを当事者よりも上手に言ってあげられるはずだと思わないでください。あなたの意見は「あなた個人の意見」として発言してください。

前の記事で「男のフェミに求めるハードル高すぎません?」っていうコメント何件か頂いたけど、私的には最低限のハードルだったと思ってるんだよね……。この質問に答えられない人が、さらに他人に向かって「男性はみんなフェミニストになりましょう!」って無神経に呼びかけたんだぜ? 当のフェミのみなさんが怒らないのかな、と思ったくらい。

太宰メソッドについては無意識にやるときがあるから気を付ける……。

8.「逆差別された!」と言わない
トランスジェンダーしか入れない場や、特定の少数民族しか入れない空間があったとしても「そこに入れない」=差別だと決めつけないでください。思ったより人々がフレンドリーではなかったからといって「排他的」だと考えないでください。

「排他的と考えないでください」じゃなくて、「排他的であって当然」であり、「外の人間を受け入れるのはとても勇気がいることなんだな」っていう風に考えてます。

これ女性専用車両の問題で「差別か差別でないか」って話でモメてましたが、別に差別でも逆差別でもいいじゃんかって思う。あの問題を「差別」かどうかで論じるのほんとにバカげてる。必要性について語ってればよかったと思うで。

そもそもあの問題って、普段から自分の問題以外で差別差別言って他人を攻撃とかしてなきゃそもそも問題にならないんだよ。「自分たちは排他的である」というのを大前提として、その排他的であることを妨げられない立ち回りくらいは考えてほしい。

私は別に男女問題に関してアライになるつもりがないから「7」に明確に違反するけど。

内側にこもるのはいいけど、それならそれで外にいる他人の悪口いうのはやめろ。自分たちに協力的でない他人を努力不足とかいうのをやめよう。被害者意識が強すぎてそのあたりダブスタしてるやつは自分で自分の首を絞めている。上のunoyuhkaさんとかくたびれはてこさんとかはその典型例。

当事者の問題に立ち入らないでほしいという主張をする人は、当事者であることの立場を利用して外の人間を攻撃してはいけない。それをやった瞬間に相手も当事者になる。外の人間に介入の正当性を与える。そんな当たり前のことがわからない人が多いのはなぜなのか。

不必要に自分たちの外側の人間を批判をしてる人がアライ概念を主張する正当性はかなり弱くなるという点をわきまえることがとても大事。その規律のもとに、アライに対して高いハードルを求める正当性が生じてくる。ネットの人たちはこのあたり節操がなさすぎるからこの概念が広まらない可能性はあります。

9.嘘をつかない
自分の出自や民族、セクシュアリティーを偽って「当事者」のふりをしないでください。
活動には、アーライが必ず必要で、アーライにしかできないことがあります。

10.戦う
アーライなりのやり方で、戦ってください。あなた自身がどう思うかです。これは、あなたの戦いなのです。毎日の生活のなかで、あなたにできることを少しずつやっていく。その積み重ねが、アーライを作るのです。

これむしろ「当事者」に言いたいし、こういう活動をしている人をちゃんと「アライ」扱いしてあげてほしい。「オタク」と「痴漢被害者」に顕著だけど、こういうときに当事者でなければ認めない、って人が多すぎるのにうんざりしてる。

*1:こういうこと言うと、お前は「男という有利な立場だからそういうのだ!」みたいなこと言い出す人たまにいますけど、じゃあそういう人は女の立場と交代するから代わりに私の障害を引き受けてくれるんですかね?「自分のつらさ」しか見えてない人は別にそれでもいいから自分の話だけしてろよって思う