この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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「トーンポリシング」という言葉が大事なのではなく「公正さ」を求めることが大事なんじゃないかな

まず前置きとして私の記事についたブコメで良いものがあったので紹介しておきます。

masao_hg 正しさとは唯一無二の真理なので他者と合意を取る必要はなく一方的に従わせるしかない。公平さには合意が必要。

ありがとう。私が先週ずっといいたかったのってこういうことだと思う。

私は「正しさ」について勝ち負けを争う議論には全く興味がないです。私は自分にとってそれが公平と感じられるかどうかが気になるのであって、道徳的に「善」とか「正しい」という話をしていても、それがあまりフェアだと思わない話には強い反発を感じるということみたいです。

これ言葉遊びじゃなくて、根本的に全く別のものだと私は思ってます。

しかし、じゃあお前の言う「公正さ」って何なんだよ?説明しろよって言われると、残念ながら説明できる言葉がありません。勉強不足です。えらそーに他人にもっと勉強しろって言っておきながら自分もこの程度のことすら説明できないレベルなのでした(´・ω・`)

ということで、他人のこと言ってる場合じゃなくて、しばらくまともに勉強しないといけないなとおもいました。


というわけでこれが本当に最後。「トーンポリシング」という言葉について「公正さ」をキーワードに考えてみます。

ハーバード大学の行動ですら少数派の意見は多数派によって圧殺されうる

ハーバード白熱教室ノート Lecture23,24 再検討

多数派の発言は、常に数の暴力を内包しており、その刃が個人に向けられることには敏感でなくてはならない。鈍感な教師は、少数派が心を砕かれて意気消沈した様子を見て初めて、介入する。自由な議論に任せるという美名のもと、殺戮を座視してしまう。その帰結は、少数派の沈黙である。
ハーバードの講堂においてさえ、多数派は少数派を嘲笑する。まじめな主張に対して、である。だから、教師のフォローが必要なのである。

多数派の人間が少数派の人間について「個人の事情」を問うのはアンフェアであり是正されるべきであるという主張は説得力が有る

大教室にたった2人しかいない少数派を問い詰める場合、個人の事情が派全体の事情へと拡大解釈されやすい。それゆえ、多数対少数の議論では、多数派は本来の議論そのものだけで戦うことができるのに対し、少数派は全人的に矛盾を追求されることになりやすい。もちろん少数派も同様の戦術を採用することはできるが、いくら個々人の矛盾を攻撃しても、「それは個人の矛盾である」と受け流され、議論の大勢に影響を与えることはできない。
形式的に多数派と少数派が平等に戦術メニューを与えられていても、現実の議論においては実質的に不平等が生じる。発言者の個人的な事情を持ち出して矛盾を指摘しようとする戦略は、多数派にとって一方的に有利な戦術なのだ

本来考えるべきは、こういう「少数派が被るアンフェア」を是正し、対等に議論ができるようにしよう、という話だと思うのです。



一方今のはてなではトーンポリシングという言葉が猛威を振るってます。本来「政治的に正しくない言葉の使い方を戒める」はずだったポリコレさんたちが、「自分たちの乱暴な言葉遣いや攻撃的な態度を正当化する」ために使っててほんとにギャグみたいなことになっています。(バカに見つかった結果、間違った使い方が広まって本来の意味が失われたケースといえるような気がします)


私だって、親や教師から「お前の態度が気に入らない」と言われて話を打ち切られて悔しい思いをしたことは何度もあります。だから「トーンポリシング」の主張って、感情的には共感できるところもあります。しかしこれは公正の話ではない。「少数派」の話じゃなくて「権力関係の話」でありマイノリティの議論にはなじまないと思ってます。 (マイノリティだけがこの論理において救済されるべき、という理屈建てができない)


もっとシンプルに「少数派の主張においては、主張に関係ないところが攻撃されがちだから、それは防ぐべきだ(そのかわり主張の内容は厳しくチェックされるべきだ)」という話になるべきなのだと思います。それなら公正です。
少数派の言うことであれば主張の「内容が」杜撰であろうが尊重されるべきってのは公正だと私は思いません。つまり内容に対する批判を無化する言葉として「トーンポリシング」は使えません。

はてなでの「トーンポリシング」という言葉の使われ方は不毛、のひとこと

はてなの場合、この言葉はポリコレの人たちが、自分の主張内容が批判されたのに「私の口調が悪いから批判されるんだ」と自分の態度に責任転嫁した挙句、自分の主張の無謬性を守るために使われている印象です。

つまり、「良い態度で主張したら、主張の内容の是非を問われる」から、「批判されたら態度のせいにするためにわざと悪い態度をとる」というインセンティブが発生してしまっている。「少数派の主張が、主張内容以外の理由で妨げられるべきでない」というのがトーンポリシング反対の趣旨だったはずなのに、「主張内容の杜撰さをごまかすためにわざと悪い態度をとって無敵モードになるために道具」になってしまっているという逆転現象が起きている。

わざと批判が態度に集中するようにふるって、「ほら、この人たちは私の態度しか批判できない」「主張に対して批判する人間がいないから私は正しい」と主張するわけです。実際は「主張以前の問題として門前払いを食らっているだけ」とか「とりあえず批判しやすいから態度を批判する」だけなんですけどね。そして、こういう人たちは主張について切り込まれても知らんぷりで、反論しやすい「態度を批判する人たち」ばかり相手する。

これ、ほとんど炎上ブロガーの論理と変わらないというか、実際意識して炎上ブロガーと同じことをやってるように見えます。そうなると、いまや「トーンポリシング」という言葉は不毛な「炎上ブロガーを無理筋養護するための言葉」へと堕しているように感じます。



「もともとはフェアな議論を実現するために必要だった概念」が、「逆に少数派の人たちが自分たちだけ有利に話すための手段として用いられ、アンフェアの代名詞みたいになってる」ということであり、本当に皮肉な話だなぁと思います。

また、この概念、まともに運用しようと思ったらサンデル教授のような優秀なジャッジが必要なので、やはり一般人が使うには向いてないと思います。少なくともはてなブックマーカーが安易に使ってるのを見たら眉唾だと思っておけばいいんじゃないかなと

とはいえ、今の私は人のこと言える状態じゃない

まぁこんな感じで「公正さ」について本とかもうちょい読んで考えたいと思います。私はもうはてなの「公正さ」をかなぐりすててひたすら「ただしさ」を主張する人たちにはうんざりしてるし相手したくない。ただ、言葉ではこう言っていても、この区別がよくわかってないから私は私の「正しさ」を主張しているに過ぎない段階です。つまり私がうんざりしてる人たちと私はそんなにレベルが変わらない。 あのうんざりするポリコレさんたちと自分が同じレベルというのは我慢ならんし、かといって今の自分ではその状態から脱することは出来ないわけで、じゃあちゃんと勉強するしか無いなと思います。

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