この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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今後私は「ポリコレ棒」という用語は使いません

フェミニズムなどの個別についての批判すべきことがあればそれはします。

「ポリコレ棒」について - U.G.R.R.
読みました。返信いたします。この記事はarecolleさん個人にあてた私信的なものであるためはてブ欄は非表示と致します。


一点目

「ポリコレ棒」という語を用いることによって生じ(う)る弊害について簡単にだけ記しておくことにする。それは、おおむね以下の二点である。

第一に、個別具体的な問題が軽視されがちになること。
第二に、主張の実質的な部分に対する評価と形式的な部分に対する評価とが混同されること。

私は特に二点目が大事であると理解します。


私はもともとポリティカルコレクトネス自体については反対していません。「内容」についてそれほど問題視はしていません。

それを主張する一部の人たちの態度が問題だと言ってきたつもりです。

具体的に言うと

(1)筋の悪い理屈でごり押ししてくるところ =マルクスさんの白ハゲマンガや「withnewsの男性への攻撃」など
(2)自らが主張する規範を自分で守らないこと(自分すら守ってない規範を他人に押し付けようとすること)=ベイマックス前後の言説や今回のゴールデンカムイの件
(3)批判に耳を傾けないにとどまらず、自分を批判する人間には粗悪なレッテルを張って見下そうとすること =くたびれはてこさんの発言など

などです。 特に私は(2)がめっちゃくちゃ嫌いです。こういうことを言う人ははっきりと「一番信用してはいけない」類の人間だと思っています。それぞれについて個別事例で実際に記事で書いてきました。



つまり問題なのは「ポリティカルコレクトネスそれ自体」ではなく「たまたまフェミやマイノリティの話でこじらせておかしなことを言ってる」個人の個別の問題であるということを理解はしています。



私が批判したいのは「個別具体的」な話であり、かつ内容ではなく「形式的内容的」である場合が多い。そういうときに「ポリコレ棒」という表現はあまり適切でないと思います。

そもそも「ポリコレ」という言葉の使われ方が人によって違いすぎて自体があいまいとしすぎて誤解を招きやすいと感じました。 私が前回書いた記事につき、「ポリコレ」を自称してない人にポリコレという言葉を当てはめることへの違和感を複数の人から指摘されました。私はまとめに挙げられていた人たちは「いわゆるポリコレ」だと思うのですが、わざわざこういう回りくどい表現を使うくらいなら、既存の「フェミニスト」とか「LGBT差別反対者」という表現を使った方が誤解がなくて良いでしょう。


以上のことから私は「ポリコレ棒」という表現を使うことは今後しないことにします。というより「ポリコレ」という言葉自体から遠ざかりたいと思います。 これは「いわゆるポリコレ」の人たちに批判されるべき要素がないということではありません。むしろ批判すべき問題点は上で挙げたように多くあると思っています。ですが、そういう問題は個別具体的に指摘していく方が良いだろう、と考えました。


二点目

一方で以下の引用箇所については、「正しいと同意しているはずの部分についてまで難癖をつけるような物言いをするのはどう考えても生産的ではない」の部分には同意しますが、前段の部分には私は同意しません。

「主張の実質的な部分は正しいが形式的な部分が誤っている」場合と「主張の実質的な部分も形式的な部分もともに誤っている」場合とでは、非難されるべき度合いは後者の方が高いか少なくとも同程度であろうし、正しいと同意しているはずの部分についてまで難癖をつけるような物言いをするのはどう考えても生産的ではない。

私は前者の方が非難されるべき度合いは高いと思っています。これまで繰り返し「主張の実質的な部分は正しいが形式的な部分が誤っている」ことの方が危険が大きいと主張してきました。そういう人たちこそが、一番信用してはいけない人間だと。


特にタチが悪いのは「一見正論に見えるような主張」をしているケースが結構あることです。

「実質的な部分が正しい」というのを判断するのは容易なことでないのです。


「主張内容に同意はできるが筋がおかしい」人というのは、「間違った前提や筋で考えたけどたまたま正しい主張にたどり着いた」か、「主張が先に合って逆算して理屈を考えた際に、その理屈が間違っている=考え方は正しくない」という可能性が高いです。間違った思考から間違った結論にたどり着く人は、思考を直せば正しい結論にたどり着く可能性が高いので、主張だけ直せばいいです。「間違った思考から正しい結論にたどり着く」人は、別の話題になった時大きく間違えかねません。しかも、こういう人は、とにかく「結論の正しさ」「部分的に正しいことがある」ことを主張して譲らないことが多いのです。

すき家のワンオペ騒動」や「電通の過労死事件」の時に「すき家電通はひどい、許せない」というのは簡単です。誰でもできます。その部分だけなら多くの人が同意するでしょう。だからといって、その時に事実に反することをもとにデマを流して批判していた人が大勢いました。

本人だけの問題だけならともかく、今の時代ではネットでは「主張内容しか見ない」人が多い。主張内容に同意できさえすれば、理屈や形式的内容がひどくてもそのまま深く考えずに同意・拡散してしまう人が多いのです。 そうすると、多くの人に間違った理屈がビルドインされてしまう可能性がある。「正しい結論」を餌にして繁殖する遅行性のウイルスみたいなもんですね。「みんなの意見はだいたい正しい」ので、空気を読めば正しい結論にたどり着くのはそれほど難しくありません。でもその時に正しく考えられない人は、「みんなの意見がバラバラ」の時にどういう意見を言うかわかったものではない。

私はそう考えています。

そんなわけで、arecolleさんも私の意見については是非「筋」のほうをこそ厳しく評価してもらいたいと思います。 「ポリコレ棒」という用語は使わないという部分では私はarecolleさんと同じ意見を述べています。だからと言って、その筋が違うというのであれば「もう一回最初から考え直してみて欲しい」と言ってくれて構わないです。


最後に

「実際アイヌ事件の時のように理不尽な殴り方をしてくる人いるじゃないか」と「向こうの方々はこれと同じくらい、いやこれ以上に雑じゃないか」と思う気持ちはないわけではないです。

ですが、私はこれも何度も申し上げている通り「相手が間違っていさえすれば自分はどれだけ杜撰なことを言っても許される」という風に考えることが嫌いです。先の記事で、まさにこの「杜撰なこと」を自分がやらかしたので説得力ないかもしれませんが、そういう甘えはできるだけないようにしたい。

たとえ向こうの人たちにどれだけ雑な人がいようと、たとえ向こうが先に殴ってきたと感じたとしても、たとえ向こうの人たちの中に「差別してない人たちとしてる人たちを雑に一緒くたにして批判した挙句、それについて文句を言うとノットオールメンとかいって「被害者」を盾にして「自分」の発言の雑さについて棚に上げるような理不尽な人」がいたとしても。

自分はそういう人たちと同じレベルにならないように気を付けたいと思います。丸山眞夫の言葉、いいですね。