頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

ネットリテラシーという言葉が死語になった退屈な世界

こういうやついるよね。


いや、そういう問題じゃねえだろ……。 で、多分どういう問題か全然わかってないんだよね。
プロフィール見たら高校生だったので、まぁあんまりいじらないようにしたいところだけど。

最低限のネットリテラシーが存在しない存在は、ネットにおいて「人間」ではない

なんでこのアホの子を取り上げたかと言うと
今って、こういうアホの子が無防備に発言するのが当たり前になってるんだよね。

ネットリテラシーって言葉が完全に死語になっている世界で生まれ育ち、そんなものを考えたこともない人たち

「赤信号をみんなで渡れば怖くない」どころか、そもそも目の前の信号の色が何色かわからない。信号という概念自体が存在しないから、それ自体を認識できない。

なので、自分は一方的に好き勝手なことをいい攻撃する側であると考えていて、守りの意識が完全にゼロ。そもそも、自分の思考がほぼゼロ。本人は自分で考えているつもりだけど、実際はネットで流れている他人の言葉に感化されて、無思考で発言するようになってしまっている。

そんな人間が、限度を知るわけがない。なぜなら自分の発言の責任とかリスクを考えたことすら無いのだから。自分が燃やされるまでまったくそのリスクを理解できないし、対処もできるわけがない。


つまり、こういう人たちは、いざ燃やされるまで「ネット上における自己」という輪郭を認識していないのだ。



ネットリテラシーを持ちましょうというと、自動車教習所で叩き込まれる運転ルールのように面倒くさいルールを押し付けられるように感じる人がいるかも知れない。

そういう面はもちろんあるが、本質はそこではない。

単に「ネットにおける自分はどういう存在であるかを規定しましょう」「キャラクターメイキングをしっかりしよう」ということにすぎない。もっと短く言えば「ネットでもちゃんと一人の人間として振る舞いましょう」ってことだ。


リアルでは、周りの存在によって強制的に「自己」の枠が決められる。
ネットはその制約から自由になれる。

自分を縛る物理的制約はリアルよりずっと少ない。
「自分の心がけや努力次第」の割合が、リアルよりずっと大きい。
リアルだったら覆らないことでも、「自分次第」でなんとかなることが多い。

逆に言うと、その分ネットでの振る舞いには言い訳はできない。
せっかくインターネットを使っているのに、自己規定ができていないものはまだ人間ではない。自分が紡ぐ言葉が自分という存在を作っていくネットにおいてまず責任を持った発言ができる、自分の発言に責任を持てる一個の人間になりましょうっていうのが、「ネットリテラシー」だ

マニアックなものはともかくとして、最低限ネットリテラシーがないものは、そもそも人間として扱われない。
人間として扱うべきレベルにすら到達していないものは、当然ネットウォッチの対象にもならない。

はてなにおけるネットウォッチは、ネットバトル(手斧の投げあい)の延長だったが、もはや衰退しました

ネットウォッチャーがブログでわざわざ取り上げずとも炎上事件はSNS上で一気に話題が広がり、対象の悪評がその本来的に責められるべきラインを超えて叩かれるような時代になり、ネットウォッチャーがさらにこれを叩くというのは当たりが強すぎる行為に感じられていた。

また、ネットウォッチャーとしての練度が上がると「負けない叩き方」を身につけられるようになり、あまりにも一方的な攻撃者としての要素が強くなってしまい、何かを語る者のスタンスとして「好ましくない」とも感じていた。他のブロガー諸氏もそうした空気を感じ取っていたのだろう、あるいはただTogetterというゴシップ収集ツールの勢いに負けただけかもしれないが、ネットウォッチを行うブログは2010年前後と比べ、圧倒的に少なくなっていた

わかる。今はあまりにカジュアルになりすぎた。

なぜか1ツイートだけ取り上げてぶっ叩くみたいな雑な行為の方が「アリ」とされ、その人の普段の発言や主張まで追いかけて文脈として判断しようという丁寧な行為はむしろ「ストーカー」という扱いになる。

炎上する人間の質が低くなりすぎたせいもある。あまりにも隙だらけで殴ってくださいといわんばかりの発言を垂れ流しにしているような人、創作話でいいね!を稼ごうとする人、何かに対するヘイト発言で同士とつながろうとする無防備すぎる承認欲求乞食。長谷川豊レベルのバカは少ないにせよ、燃えるまで自分の発言のリスクに気づかない、ネットリテラシー以前のレベルの者がどんどんtogetterによって可視化される。こうなると、ただのリンチやオーバーキルになる。

はてなでは、どれだけバカな発言してもをリアルとネットは区別していたし、殴りすぎにはNGが出ていた。*1


正直、株式投資やるようになってからは、株クラスタの炎上の方が面白くてネットの炎上は本当にゴミみたいな話ばっかりいなってしまっているので、もうどうでもいいですけどね。


余談1 hagexがイケハヤやはあちゅうを晒していじめてただろという話をしている人が多い件について

そういう人は、イケハヤやはあちゅうのいい養分である。

一見イケハヤやはあちゅうがやり返してないから一方的に見えた人がいるかも知れないが、そういう人は、なにかの信者になる素質が十分にある。彼らは疑似科学クラスタと同じ戦略を取っているだけだ。「hagexのような手強い相手とは戦わず、自分の信者になってくれるような欲の強いor頭の弱い人の方だけ相手する」という戦略を選んでいるだけだ。そうやって「信者に対してアピールする」戦略をとり、勢力を拡大し続けている。

それに対してhagexや「はらですぎ」がやっていたのは、イケハヤやはあちゅうに対する個人的攻撃(という要素がまったくないわけではないというか、エンタメ重視でからかっていたという要素は大いにあると思う)よりも「それ以外の人間に対する警戒の呼びかけ」である。これによって「反勢力」を形成し、少なくとも彼に近寄らないような動きを作っていた。


ニセ科学批判は、カルトになるような熱心な信奉者に向けたものではなく、それ以外の大多数の「保留者」ないし「存在や問題点を知らない人」に向けたものである

はてなは、思想が偏ってはいるがある程度ネットリテラシーが高く人間が多くもともとイケハヤや疑似科学にハマる人が少ない。なので、はてなだけ見ていたら「hagexやはてなの連中が一方的にイケハヤをネタにして笑いものにしている、これはいじめだ」と思っただろうが、それははてなの特殊性にすぎず、ネット全体を見たらむしろはあちゅうやイケハヤの方がフォロワーが圧倒的に多く勢力として強い。今日hagexの行為をいじめだとして指摘していた人たちにはそのあたりの観点がまるで欠けている。
あれをhagexによるいじめだと思っている人は、はっきりいってチョロすぎる。まさにそういう考えかたをする人こそがイケハヤやはあちゅうたちの餌なのである。

まぁ、イケハヤさんの鷹揚さ(適当さ)に対して、hagexさんの仕事は丁寧というか隙がなさすぎていじめに見えるというのはわかるが、実際にそのあたりもイケハヤさんの戦略なんだよなあ。私は人間としてはくっそ嫌いだけどイケハヤさんはすごい人だとは思うよ。

*1:たとえば「◯◯◯の本名と容姿はネットですぐに見つけることができるが絶対にネタにしてはいけない」というのは暗黙の了解になっており、ねこら氏を除いて遵守していた。◯◯◯は、はてな以外だったら実名をさらされて終了していたと思う。そのあたりの幸運を全く理解せず、はてなに文句ばっかり言ってたのが幼児じみていて可愛かったけど、最近は老害的なふるまいが多く全然微笑ましくない