頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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hagexさんの死に際して誰も彼もが記事を書こうとした理由がなんとなくわかった気がする

正確に言えば、理由はひとそれぞれであろうけれど、たくさんの人が書いたことによって生じた「意義」みたいなものかな。

先の記事に書いたとおり、私は何人もの人が、hagexさんについて記事を書き、ホッテントリを埋め尽くした光景について、最初は気持ち悪いなという感想を抱いていた。

増田のように、hagexさんの行為を美化しているとかそういうことじゃなく、批判している人も含めて、こんなにはてなホッテントリがひとつの話題で埋め尽くされたのは東日本大震災のとき以来ではないかと思う。

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hagexさんの話題一色

コレを見て「あまりにもはてなは村過ぎる」と思った。良いか悪いかではなくて、はてなブックマークを通して見る世界は偏りすぎている、と。

もともと外側からはサヨクの巣窟だの、内輪感が指摘されてるコミュニティであるのはわかっていたが、それにしてもやりすぎではないかと。

「鯛のおかしら」的な雑さでhagex案件に触れるひどい人間からhagexさんの尊厳を守ることに意味はある

しかし、この記事読んで感想が変わった。

なるほどなあ。
こう言う存在によって間違ったイメージで事件やhagexさんが消費されることをみんな防ぎたかったのかもしれない。こう言う存在がやって来るまえに、擁護する人も批判する人もみんなで防波堤を作っていたのだ。

外側から見たら村に見えることを覚悟で、確かなことや、近い立場のもののリアルな気持ちを残しておくことで、俺たちの記述を無視してイイカゲンナ取り上げかたをするなよ、と守ろうとしていたのだ。

たくさんの記述があるなかでそれを無視して雑なまとめを作った上の人がバカにしか見えないのは、ひとえにそう言う人たちが丁寧に記事を書いていたことが大きい。


また、間違った情報に限らず「他人によってこの事件を定義づけられ」、自分が思っていたことを押し流されてしまう前に、自分のリアルな感覚を書き留めておきたいと考える気持ちは自然なことなのかもしれない。人の心はすぐに周りの人間に左右されるものであるから。

そんな風に考えるようになった。


実際にいい加減な人間が功名心を焦っていい加減な記事を書いてきたいまではこの発言の重みも違って感じられる。

hagexさん擁護の勢いが強すぎて反発する人たちが出てきているのを見ると、はてな村内部では行きすぎだと思わなくもないが、
そとの無理解で野次馬な人間の視線の存在を知るにいたり、なるほどなあとひとり納得した。

それだけの記事です。