この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

【スポンサーリンク】

「おや?」と思う記事を見かけたときに「私が」はてなブックマークをどう使うかという話

「以前にイケダハヤトさんが好んで使っていた論法」について

一時期、イケダハヤトさんが今のようなアフィ全開人間ではなく社会にもの申すマンをやってたとき、彼の論法は大きく3つの特徴があった。(残りの二つは過去記事参照)

そのうちの一つが「先に自分を正当化する理論を打ちたてて、それをもとに仮想敵としてなにかを批判する。それについて批判されたら、一般常識や社会問題ににスケールアウトさせて話をそらす」というパターンだった。論点の先取、循環論法、話題のすり替え、という三つの詭弁の組合せが彼のなんちゃってオピニオンの根幹であった。

最近は使わなくなったが、この当時の論法に関しては、メカAGさんが以下のように評されている。

続々々々々々々々・イケダハヤトはサラリーマンを馬鹿にしているか? : メカAG

イケダハヤトの話ってスケール感がないのだよね。大半の人々はいつもどおりの世界を前提にして、自分だけが「○○してもいいじゃん」みたいなことを言う。150万円で生きる云々も、もし大半の人々が150万円でいいと考えたら、税収は激減し、日本社会の仕組みがそもそも現状を維持できなくなる。でもイケダハヤトはそういうことは考えない。あくまで社会全体は変わらないと(なぜか)考える。
(中略)
結局イケダハヤトが「みんな○○しよう」という時、本当の意味でそうは思っていない。自分や限られた人たちが○○することを想定している。「自分らが○○するのを許せ」と。つまり自分勝手な自己正当化。多分イケダハヤトにとって社会というのは、演劇の舞台の書き割りみたいなもので、自分とは無関係に存在しているものという感覚なのだろう。でも実際にはその書き割り部分を構成しているのも同じ人間だということが、実感できないのだろう。自由奔放に振る舞うのはあくまで自分やその仲間だけであり、社会の大半は今までと変わらない、と。

この評価について、当時はまだイケダハヤトさんは今ほどアフィアフィしてなかったのでわからなかった人が多かったようだが、今となっては非常に的確な評論であったといえるのではないだろうか。有名になって影響力が増してくることでようやく普通の人にも彼がやっていたことが見えてきたのが最近というわけだ。*1

さて、ここで重要なのは、「その話がどの程度スケールするものかどうか」というのは、いろんな制約条件を知っていたりある程度頭を使って考えないとわからないということだ。*2

私は「なんとなくそれっぽいけど判断が難しい内容」「なんとなく変な感じなんだけどいいこと言ってて否定しにくい空気」「論理的には変なことかいてるのに自信たっぷりに言われるとなんとなくそうなのかなと思ってしまう心の働き」みたいなものに惑わされて、正しい判断ができないことがたくさんある。

だから、最初から「わかるもの以外は無理にわかろうとしない」のが大事だと思っている。「わかったつもり」が一番危ない。


「他人の意見」を疑うのは悪いことじゃない。より信じるためにも吟味するのは必要なことだと私は思ってる

上の話で言えば、私はこの雑な論法、およびそれに類する詭弁を使う人は、(たとえ結果として正しい可能性が微レ存だとしても)少なくとも信用しないことにしている。

何度か書いているが、私はASD(いわゆるアスペ)なので、察するのが苦手だ。だから形式を重視する。特定のパターンの人間については、まずは疑う。特に「いい話風」であればあるほど信用しない。情報が出揃うまで判断を保留する。

これは「否定する」という意味ではない。もともとすぐに肯定する人は、なにかあったらすぐにテノヒラクルーするということでもある。信じたり肯定するためにも、相手のことを良く知ろうというのは当たり前だと私は思う。

tyoshiki.hatenadiary.com
なんか最近は、その場ですぐ肯定したりすぐに否定したりすることが求められてるように勘違いしてる人いるみたいだけど、そんなこと全然無いからね。

はてブつかってると、そのあたりだんだん感覚が麻痺してくるから本当に気をつけたほうが良いと思います。

「文脈がわからないが、一般論や道徳的に正しそうに見えるもの」に注意

togetter.com
これ、明らかに違和感があるよね。冒頭のツイート、明らかになんか特定の意図があると感じる。でもそれがなにかはわからない。もしかしたら悪意やイデオロギーなんて無くて単に言葉が下手な人かもしれない。それはこのツイート読んだだけではわからない。わたしならこういう記事についていきなり白黒はっきりつけようと思わない。慎重な吟味が必要な対象だと思う。

私、「ポリコレ棒」みたいな表現を使って周りの人からたしなめられたことがあるくらい、一部の偏ったリベラルやフェミニストは嫌いなんですが、それでもこの記事に関してはまず「冒頭の発言変じゃない?」って感じます。そういうときは判断をいったん保留する。

見るべきはてなブックマークコメント、見てはいけないはてなブックマークコメント

こういうときに、私ははてなブックマークに「こういうところが良くわからない」と感想を書いた上で、他の人のはてなブックマークコメントをまず見ます。

私が参照するのは「自分と同じ意見を持ってる人」ではありません。そういう意見はむしろスルーします。「一般論」やら「道徳的に正しいことを言ってる人」とかも避けます。 例に挙げて申し訳ないけど、たとえばこういう意見は今は価値がありません。(間違ってるといってるわけじゃなくて「この記事についてでなくても書けることを書いてる人」は、チェックの際に必要ないだけです)

・人の幸せを素直に喜べる者に、私はなりたい

・人が幸せを噛みしめている時にその世界観を土足で踏み荒らすことは誰にも許されてはいない。自分達の幸福のために他人の幸福に攻撃する。それは差別と似た構造を持っている。

・これってLGBTだけの問題では収まらんで!他人の幸せとか成功を妬むような心貧しい人間は少なからず居る。妬むだけなら未しも、怨んだり憎んだり呪ったりする奴まで居てんねん。幸せや成功はこっそり噛み締めるべし。


見るべきは「一般論」やら「道徳的に正しいことを言ってる人」ではなくて、「今回の個別の事例について何か情報を書いてる人」や「懐疑的な意見を述べている人」です。 
それが正しいかどうかはわからないけど、自分が持ってない情報や自分と違う意見を意識的に取り入れるためにはてなブックマークにさっと目を通します。今回で言えばたとえばこういうコメントですね。

・発言者の背景を知って納得した案件。活動家が嫌いなのに活動家のおかげで得た恩恵だけ受け取るというのは、活動家もそりゃ呆れるよなあ

・散々杉田議員の件が問題になっているところに「自分は同性愛者だけど幸せです!」って話を投げ込まれても「何が言いたい?」ってなるだけだよなあと。

・彼が「LGBTに支援は必要ない。ゲイの僕が必要ないと思っているから」と宣ってきた生存バイアスマンで、杉田発言を問題ないと擁護した流れで唐突に一年前の挙式の動画をあげた、と知ってるかどうかで印象が変わる

・「僕たちに見える世界は美しくて綺麗、だから僕たちは幸せでこの国は良い国!」とか言われたら「いや、ちょっと視野狭いんじゃね?」って言いたくなるよ…日本に貧困は無いって言った政治家もいたけどさ…

ただ、これもやりすぎると「自分が懐疑的だから、自分にとって都合の良いコメントを見てるだけ」状態になりますから、その後で、今度はざっと肯定的なコメントを見ます。

懐疑的なコメントや私の知らなかった情報を見た上で、それでも肯定的なコメントが受け入れられる場合は、肯定的なほうを優先します。 そりゃ肯定的な意見が正しかったときのほうが気分が良いからね。

一通り見ても納得できなかった場合は自分で確認するか、その記事については「わからん」で終わりにします。

おれには、はてなブックマークが必要だ - 関内関外日記
そんなわけで、私ははてなブックマークについていろいろ文句は言いますが、はてなブックマークのことを結構頼りにしています。いろいろ文句を言うのも、それだけ愛着があるからです。

はてなブックマークの質は、仕組みというよりはそれを使う人たちの考え方次第だと思っています。自分もフリーライドするだけでなく、自分が詳しい話ではコメントで自分が知ってることを書くようにしたりしてますし、わからなかったら空気読まずにわからない、って言うようにしてます。 もっといろんな経歴や立場のある人が、自由にコメントするようになればいいなと思います。

だからこそ、「はてなスター」による人気コメントの仕組みが嫌いなんだよなあ・・・

*1:仮想通貨アフィにとどまらず特に末期のスカムICO関連煽りなどをすることによって、彼の煽りが実はどういうものかがチャートで可視化されるようになってきたが一つ一つ画像を張って検証するほど熱意は無いので省略する。ちなみにこれをいまだに、しかもイケダハヤトさんと違って意図的にではなく半分くらい無自覚にやっているのがはあちゅうさんという人物だと思うのだが、正直もう個の人よくわかんないし気持ち悪いのでこちらもあんまり触れない

*2:さらに、やっかいなことに、たまにジョブズのような本当の天才がそのままではスケールしそうにないものを突然変異させて世界標準に押し上げてしまうことがあるので、完全に否定することは難しいという問題もある。このあたりがわかりにくいから、ひとによって物の価値が変わる。「仮想通貨」の価値が人々にとって0円以下のうんこから1ビットコイン200万まで変動しうる。