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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「なぎさ」 毒親とブラック企業でつぶれた人が、毒親を切り捨てて再起を果たすまでの過程を丁寧に描いた作品

2014年1月25日に旧ブログに書いたひとりごと記事の再掲。次の「トクサツガガガ」に関する記事の前振りです。

「生きていくということは、やり過ごすことだよ」


本日読んだ本の感想。

毒親を持つということはどういうことか、そしてそこから抜け出すためにどういう心理的な変化をたどっていくか。それを丁寧に描いた作品。読んでいる間はひたすらに重苦しい気持ちになるが、最後にトンネルを抜けた先に清々しい気持ちになれる。その気持ちを味わってほしいとは思うが、本当に読み進めるのがしんどいので人を選びそう。


舞台は都会というでもなく田舎というでもない海沿いの街。(実際の地名を使っているので、こういう表現をしていいのかわからんけど)

全体通して暗くてどんよりした空気が漂っている。

最初登場人物はみんなそれぞれ自分が抱えている問題についての不満を自分の心のなかで燻らせているだけであり、それにつきあって読みすすめるのはかなりだるい。


ネット空間で発言するときは、たとえ匿名であっても人が見ていることを意識した発言をする。人が見ている=自分以外の人がいるという感覚がある。

一方、本作品のように、誰にもみせずに、本当に一人だけで自分の心の中のくすぶりに向き合い続ける作業はただただ虚しい。いくら自分の不満を述べても、それを受け止めるのもまた自分なのだ。最初からわかっていることをただ反芻し続けているだけで不毛だ。


結局、表に出さなければ、なにか行動しなければなにも変わらない。それがわかっていても、私には他になにができるわけでもない、という諦念の方が勝つ。この不毛な繰り返しによって無力感や、自分が不要であるという感覚が強くなるのはとても危険だ。実際に、途中である登場人物が、ふらっとこの世から消えてしまいそうになる瞬間が描かれる時はもうだめかと思った。




しかし最後まで読むと、みんないろいろと変わっている。個々人が自分の抱えている問題に対して、単に心の中で折り合いをつけるだけでなく、実際に行動し、問題の源とぶつかってとりあえずの解決を果たしている。前進している。



事態の変化のきっかけはろくでもない試みで、その試みはあっけなく潰えてしまう。心が弱っているからこそ、今の苦しい状態から抜け出そうとして、藁にも縋る思いでこんな簡単な詐欺みたいな話に引っかかってしまうのだろうか。当事者でない傍から見れば、状況はむしろ物語開始前より、開始後の方が悪化しているようにも感じられる。



それでも、当事者たちは、その変化を前向きに捉えられている。なんといっても、途絶えていた「他人との対話」が回復しているのが良い。自分一人でくすぶっていたときより、スッキリした顔つきになっている。大きな事件があるわけではないけれど、小さい希望を感じさせるような読後感が味わえて個人的にはとてもよい読書感覚を味わえた。


5年後の追記

自分の感想ながら、具体的にどういう事件があったのか全く分からん……。

当時私は村山由佳さんの「放蕩記」や、「スロウハイツの神様」と並んでこの作品のことが好きでした。

tyoshiki.hatenadiary.com




放蕩記についても以前に感想記事書いてましたね。またこちらも後で引っ張り出したいと思います。

記事タイトル:「考えてはいけないことを考えてしまう罪悪感」から解放されるにはどうすればいいのか
http://possession.hatenadiary.com/entry/2014/06/10/220916

記事タイトル:「他の人を見返す」ために努力した先に自分を好きになれることは多分ない。それが哀しい
http://possession.hatenadiary.com/entry/2013/09/11/124529