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「SAVE THE CATの法則」をもとにした「けものフレンズ2」9話感想  脚本の原則や理論を学ぶきっかけとしてはけもフレ2は良い教材なのかもしれない?

SAVE THE CATの法則というのは、一言でいうと「観客に主人公を好きになってもらうこと」の重要性を語っている話。

《SAVE THE CAT の法則》とは私が名づけたシーンだ。
基本中の基本のシーンなのに、なぜか最近あまり見られない。
脚本家がこれを見逃してしまうと2時間の映画がただの苦痛にしかならなくなる。

観客はスクリーン上で主人公たちと出会い、主人公は何らかの行動を起こしていく。物語が進んでいくなかで、とくに序盤、観客が主人公の性格がよくわかり、共感し、好きになってもらえるシーンを作らなければならない。一見、怖そうな顔の男が危機一髪のところで、猫を救うみたいに。

http://hontobijo.jp/review/trouble-review/way_of_life/creative/creative_20160510



けものフレンズ2について、全体的に出来が良くないとはいえ個人的には12話以外はそんなにイラっとする必要がない作品だったというのは既に感想書きましたが。

一方で、たつき版ファンからのヘイトが溜まったのは主に次の3つだと思います。

・6話 (かばんさんの変貌)
・9話 (イエイヌちゃん)
・12話(前作のサーバル×かばんちゃん関係の否定)

特に9話からは、界隈で主人公のキュルルを「キュルカス」と呼ぶのが定着してたような気がします。 *1


正直叩きすぎだとは思うけど、そもそもこれ、9話までにキュルルが観客に好かれていればここまで厳しい受け取り方はされなかったと思います。それまでのギスギスなど細かいストレスの積み重ねの上での9話の行動、というのが観客の意識を逆なでしたのでしょう。*2こういった点を防ぎたいのであれば、本来であればキュルルはもっと観客とラポールを築いておく必要があったとおもいますね。

*3



この法則を念頭に置いてかばんちゃんとキュルルを比較してみると、、、

たつき版けものフレンズの場合、1話のかばんちゃんは記憶がないこともあり臆病な様子が強調され、さらにカバさん曰く「何もできないのね」とまで言われてしまいます。そんな弱っちいかばんちゃんですが、それでもセルリアン戦では、守られているだけではなく自分にできることを精一杯考えて、サーバルを助けるというシーンが描かれています。しんざきおにいさんの解説でサーバルすっごーいとなってる観客からすれば、弱いキャラが自分より強いキャラを助ける展開にはちょっとしたカタルシスも感じますし、あの臆病な子が勇気を振り絞って行動したことは容易に見て取れます。これかばんちゃんに好感を持たない人はそういないでしょう。(序盤では足を引っ張るようなことをする主人公もいますけども)
というわけでサーバルが猫科であることもあって「SAVE THE CAT」法則にとても忠実です。



一方で、けものフレンズ2のキュルルは、まさにこの逆となっています。イエイヌの忠告を無視して、「ビースト」化したアムールトラに襲われる状況に陥ります。(ドア開けて家を飛び出すシーンはシュールだった) この状況をイエイヌに助けてもらい、特に手助けをすることもなく、サーバルにあっさり追い払ってもらう。 その後傷ついたイエイヌを放置する、という感じの描写になっている。これは「SAVE THE CAT」の真逆というか「NOT SAVE THE DOG」ですね。 イエイヌ視点での解釈など擁護の余地がないわけではないと思いますが、明らかに見せ方としてキュルルへの「きらい」を稼ぐような演出になっていたのは間違いありません。


まとめ けもフレ2は、脚本の原理原則の大切さを教えてくれる作品

こんな感じで、「けものフレンズ2」は、脚本の大切さを一つ一つ確認して確かめることができる教材としてとても優れていると思うので、ダメ出ししたい人ほど、この機会に脚本に関する理論を学んで読んでみるとよいのではないでしょうか。

この本めちゃくちゃ面白いのでお勧めです。



蛇足 9話の演出について無駄にもうちょっとだけ考えてみる

ちなみに9話の演出ですが、これはさすがにミスではありえなくて、明確な意図を持った演出だと私は思います。

①キュルルとイエイヌを引き離す
②そもそもキュルルにヘイト感情を集めたい

どちらの意図があったのかはわかりませんが、私は下の記事の解釈好きです。

W175 N57 : 『けものフレンズ2』感想 - livedoor Blog(ブログ)

ケモノはあくまでケモノであって、「友達」にはなり得ない。ヒトにできるのは、ただ、ケモノを鏡として自らの内面と向き合い、ヒトとしての在り方を獲得していくことだけだ。前作が「他者による絶対肯定の物語」であったとすれば、本作はその対極にある「孤独と自己肯定の物語」。


個人的には、12話ラストでイエイヌとキュルルは遠い過去に面識があったことが示されるため、おそらく積極的にイエイヌに共感を示せないような仕掛けがキュルルに埋め込まれているたと解釈してみたいと思います。個人的には「ミスミソウって実は町ぐるみの人体実験場だったのでは?」的なSF的設定を妄想しました(笑) 

この作品は、最初から完全に主人公の家庭以外の登場人物は「洗脳」されている状態であると思われる。いろんな異常を認識できなかったり、最初から過剰に暴力的になっている。閉塞的な家庭云々の描写ははっきりいってミスリードであろう。

けもフレ2も、キュルルを「フレンズをビースト化させて、セルリアンと戦わせる管理者」として覚醒させるための舞台だったということで、、、違うか。

*1:批判動画は全く見てないですがやくざ吹替verは好き。 https://www.nicovideo.jp/watch/sm34873373

*2:私はそこまで真剣に見てなかったから怒ることはなかったけど、真剣に好きな人ほど辛いだろうな、、、とは思いますね

*3:※9話だけ見て「そんなに問題ない」「機微は必要ない」と発言したマンガ家さんが批判されてるみたいですが、、、マンガ家さんは話の積み重ねの重要性をただの読者である私なんかより一億倍よくわかってはずなのに、一話だけみていっちょ噛みするというのがとても「らしくない」態度だなと思いました。 https://mistclast.hatenablog.com/entry/2019/04/04/181601