この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

【スポンサーリンク】

「パンプキン・シザース」  強者と弱者の関わり方の一つの形

戦争そのものではなく停戦中の国家における「戦災復興」というかなり特殊な役割の舞台が主役の物語。
戦争のヒーローのような華々しさがあるわけではなく、前線で戦う人間からの揶揄やコストカットの圧力に晒されながら「戦災復興とは何か」という命題に向き合う。個人的にこれめっちゃくちゃ好きな作品です。

1巻しょっぱなの方から、こういう話があるんですよね。

「患者は医者に自分と同じ病気にかかってほしいと思うでしょうか。

彼らは痛みや苦しみをわかってほしいわけじゃない。

仲良しこよしになりたいわけじゃない。

望むことはただ一つ。救ってほしい、それだけです!

ちょっと……寂しい考えですけど。」

何事もベストな形を求めると難しい。

まず優先すべきもの、最低限達成すべきものは何か。

それを考えた時にやらなければならないことはないか。

その取捨選択を常にやっていかなければいけないのが上の人間なのだと思う。


というようなことを
学級崩壊した後の学級担任|小学校非常勤講師のブログ

読んで思い出しました。

上の人間に求められるのはまず能力か、それともまず人柄か。 それが緊急時であればどうか。

この記事を読んで不満に感じる人いると思います。
非常にテクニカル・俯瞰的・独裁的でありあまり人情味を感じないという人もいると思う。
そういう人の気持もすごくよくわかります。
私も生徒側の立場としては、ここまで赤裸々に語られると抵抗感じる。

だけど「崩壊」した学級に必要なのは、パンプキン・シザースと同じだと思う。
つまり「安心安全の確保」「一刻も早い復興」なんですよね。
独裁的であっても、一番求められるのは教師主導による安全の確保なわけで。つまり警察的な役割。まだ十分問題に対処する能力がない小学生が自力で対処しようとするとだいたい失敗していじめか学級崩壊になる。そういう状況で警察的な権力をチラつかせずにクラス安定させるのって死ぬほど難しいと思う

この時に感情に流されると、まず問題児側の対処だけしか考えない。問題さえ起きなきゃいいって普通思うでしょ?どういう風になれば問題なく運営できるかなんて教師にも正解わからないし、下手に弄ると余計問題になる恐怖考えたら最低限以上の関わりは難しい。

普通は教師なんて問題に対処するだけでクラスそのものの運営は問題起きない限り生徒たちや学級委員長に丸投げですよ。運営という発想そのものない。そこでクラス全体の在り方から考えて、ベストではないにせよ教室そのものを運営するって発想もてるのは並大抵じゃない。

まあそんなかんじで、生徒想いのいい先生であることはベターだけれど、それよりも、テクニカルな能力があったり、必要とあらばリスクとってクラスを自ら運営できる人ってのは学校に絶対にいた方が良い

あと、この人が非常勤講師なのか、という点を残念に思ってる人がいるけど、個人的には非常勤講師だからこそかな、と思ってる。この記事で書かれているのは火消しのスキル及び組織運営のスキルであって、教育スキルとはちょっと違う。傭兵みたいな働き方だからこそ身につくものだと思う。多分この人会社経験あるんじゃないかな。

と、まずそう考えました。



で、そこから先のモヤモヤはここから考えるべきことかな、と。

もちろん教師が自分の視点で運営すると、それにそぐわない形の人間が抑圧される。このクラス、賢くて授業退屈な子にはすごく辛かったと思う。生徒が自分たちで節度を保ってクラスを維持できるなら教師の介入は少ない方が良い。

また、無理に異物まで取り込んで一つのクラスに統合する必要があるのかという視点もある。私は今はただのアホだけど割と早熟だった。なので小学生のときは授業退屈で仕方なく、教師にもよく反抗した。だから四年のときはいじめにあったけど五六年のときは教室から追い出されたおかげで逆に一人で楽だった。いろんな正解あると思う。

「亜人」6巻 場に応じて求められる能力は違う - この夜が明けるまであと百万の祈り

いずれにせよ、子供の人生の一番多感な時期という大事な場所を崩壊させずによりよいもにしようと努力されている先生方には本当に頭がさがる思いです。



関連記事

「放課後カルテ」1巻 - この夜が明けるまであと百万の祈り