この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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ネットの文章は見た目が9割。 本心がどうとかどれだけ努力して書いてるとかそういうのは読み手にはどうでもいいです

原則論としてですけどね。書き手はこのくらいの認識でいたほうがいいと思いますよ。書き手同士のシンパシーとかを否定するつもりはありませんが、それを読み手に要求して「自分も作りてだったり書き手だったらそんな批判はしないはず」とか言ってる人は、さっさとブログで文章書くのやめてSNSに閉じこもってウェーイしてろボケ、くらいに思ってます。


あくまで私の中での話ですが心のなかの問題である「誠実さ」と、表現行為に対する評価としての「知的誠実さ」は全然違うものであると思います。前者は個々人の内面に属するものでこれは他人がとやかくいうものではなく、他者が口出しできるのは後者のみ。なのでもうちょっと明確な言葉で区別できたらなあと思う次第であります。私はネット上で文章書いてる人が誠実かどうかなんて話はあんまり興味ないです。どうせ会うことはないのだからそれを知ったところでどうしようもないし。むしろそういう内心を忖度するような話は私あんまり好きじゃないって何度か書いてきたはずです。


そもそも「誠実」って言ったって、その時の精神状態とか誰に対して誠実になるかで変わるわけですよ。周りからみて自己中心的にしか見えない人は、本人の中では「俺は自分の感情に誠実でありたいんだ」とか「私は仲間に対しては誠実だ(そのためなら、それ以外の人間に対してはどれほどゲスいことをしても構わない)」みたいなことをいう人だっている。誰だって本人は何かに対して誠実なつもりで、みんな「誠実」についての定義をバラバラに持ってる。「内心における誠実さ」みたいなのを論じ始めたら、自分の誠実さと違う誠実さを持ってるやつはみんな攻撃の対象になっちゃう。そういうのは不毛ですよね。



私が言ってるのは「①公の場で意見を述べる時に ②第三者から見て ③アンフェアではない振る舞いができるかどうか」です。この基準は完全にとは言わないけど、ある程度客観的に判断できるものだと思ってるからそれについて言及いてます。

特に、取り扱いに注意が必要な話題に触れるときにどういう態度を取るかとか昨日書いたように問題が起きた時にどう対処するかという話は、これ別に本人が善良な人かどうかって話じゃないと思う。そういう対処の仕方についてちゃんと知識があるかとか訓練できてるかって話だと、私は思う。

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別に性格が良くなければ出来ないというものじゃないし、むしろ性格ちょっと悪い人のほうが上手くできるかもですね。


そんなわけでですね、私はネットで「自分の心に正直」なんて全く美徳とは思ってませんし、そういうのを美徳だと思ってデリカシーの欠けた文章書く人とは相性が悪いと思いますが今後共よろしくお願いいたします。