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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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小宮友根先生が自分のゼミ生に「サラダ取り分け禁止委員会」を紹介するとツイートしたのは何が問題だったのか

ちょっと前の話ですが。

小宮友根先生が自分のゼミ生に「サラダ取り分け禁止委員会」を紹介するとツイートしたことが、同じフェミニズムからちゃんと批判されていたのは個人的にはとても印象的でした。

この発言の何が問題だったのかについて、ちゃんとフェミニズムの文脈に基づいて、何が問題だったのかをまとめたのでよかったらご覧ください。

togetter.com

小宮先生の態度の問題を指摘するにとどまらず、フェミニズムに基づいて何かを禁止しようとすること」の難しさや論理的な内部矛盾が説明されていてとても興味深かったです。

小宮先生はこういう難しさに立ち向かおうって主旨の記事を投稿されていた人なのに、それでもやっちゃうんだから、フェミニズムって本当に難しいと思う。個人レベルの問題でフェミニズムを主張するのは容易だが、社会レベル、とくに何かを規制したり制限をかけようとする運動に対しては、フェミニズムだからといって雑であることは許されないよね。

都合が良いからといって「優しいパターナリズム」や「社会的なexplaining」を安易に受け入れてしまうのはフェミニズムの自殺だよって話

このまとめは本当に重要な指摘が多いです。

コアの指摘は「今のフェミニズム的言説はいろんな大事なものをすっ飛ばして」るんじゃないかってことですね。
大事な中間部分を十分に固めきるまえに悪い意味で大衆化しすぎてしまった結果、女性の間でも両極化してしまっている、という指摘やまた、性表現にばかり目くじらを立てていて、他の部分がガバガバになりすぎてるんじゃないかってところは私も思います。*1

最近増えてきた女性運動系とかフェミニズム系の啓発サイトだと、今度は「相手をよく見て判断を下そう」「NOを言おう」って話をすっとばして「性暴力はこんなによくない!男は狼!」「Me Too!!」て話が多くて、あれ? ってなる

性役割に順応的な女性が『愛され』ますよ」言説と「性暴力許すまじ、女性は被害者として声を上げよう!」の中間の話を、メディアが圧倒的に取り上げたがらない感じがある。

・メディアの影響論なんか、性表現よりこっちのほうが本丸じゃないのか? って感じることがあります。あきらかにフィクションですって書いてあるフィクションより、広告・ファッションメディア(あと報道)のほうが直接的に影響があるんじゃ

このあたりは一つ一つ丁寧に考えていくべきじゃないかなと思います。 ぶっちゃけはてなにいるフェミ系のアカウントこのあたりすげえ雑でいつ見ててもイライラする。

ネットで<フェミニズムの看板の下で「男子ってダメだよねー」をやる界隈>ばかりが元気なのは、現実を変える気がないから?

私が一番大事な指摘だと思ったのはここですね。

この辺の話題に私が頻繁に引っかかるのは、ぶっちゃけた話、アスペだからっていうのが大きいんだと思う。発達障害者、規範からの切断/接続を試行する(後者、成功するかは別)機会にはアホほど恵まれるので。で、嫌でも気づくわけですよ。「自分が切断されたところで、世界はそのまま回るだけだ」と。

気づきを得れば変わるほど、世界は甘くない。その先のほうがずっとつらいし、危険もたくさんある。ジェンダー的な慣習を変えようとする人って、「その先」で苦しむことのほうがずっと多いと思うし、それができないから、フェミニズムの看板の下で「男子ってダメだよねー」をやる界隈がこんなに元気なんじゃないかしらと(言う間でもないけど、性別が逆のパターンもある)。「これって理不尽かもしれない」って気づくよりもずっと、「突っ張り続けて、コミュニケートして、現実を変える」ことのほうが大変だから

時代に合わなくなれば行動も変わらざるを得ない、っていうのは、日本が一世代で共働き化して、更に一世代で家事按分の考え方がガラっと変わったの見て実感した

https://togetter.com/li/1296353?page=4

これね。


社会の理不尽に気づいたけど、そこで耐え切れなくてただ喚き散らすだけの人がネットには山ほどいる。別にそれでもいいだけど、その程度の人が、覚悟も深い考えもなく、自分の権利だけ主張して、あげく他人の権利を制限しようとする、みたいなのはフェミニズムとは言わんと思うんですよ。それはただの考えなしっていうんです。

私は間違ってもこういうものが「甘え」とか「わがまま」とは思わない。そういう主張をすること自体はわたしたちみんなに認められた権利だから。でも、他人との利害の調整やら折衝もせずにただ現状を自分たちの都合の良いように持ってこようというのは、「小学生の学級会」の域を出ない。それで世の中が動くと思ってるならバカすぎるし、そこまでバカじゃないなら口で不満を述べるだけであり、自分で世の中を変えるつもりなんてさらさらないな、としか思わないわけです。「自分たちが新しい役割を担おう」と考えるのではなく、「男たちによきにはからってもらおう」と思ってる限りは、求めているものは「女性の自由」なんかではなく「優しいパターナリズム」でしかない

tyoshiki.hatenadiary.com

あなたたち本当にそれでいいんですか?自分たちが何を求めてるのかちゃんと頭を使って考えてるんですか?って聞きたい。*2

そのあたりをしっかりしてほしいなあって思います。


蛇足 勝手に期待して勝手に失望してるアホな私について

私は何度か書いている通り発達障害であり、そこからコミュ障こじらせて大学の時にオタクになっちゃった人間であり、いわゆる「今の社会のマジョリティ側として安心できない立場」でした。男としては健常者の社会から一歩外れた位置にいる人間として、大学生のころはフェミニズムには大いに期待してたんですよね。私のような人間をも包摂する概念だとその時は思ってた。 私はオタク抑圧時代はしらないけど、発達障害者みたいな社会の周縁部の人の存在を否定しないものだと思ってた。

まぁ、勝手に期待しておいて申し訳ないけど、全然違いましたよね。今はそういう方向にはもうほとんど期待してません。

私はきれいごとや正論は悪いことだとは思ってません。

しかし、やはり実のないただのきれいごとはだめですわ。理屈だけ、特に事実を軽視してイデオロギーで議論してるだけの人たちには世の中を変える力はない。ただの慰めに過ぎない。かるい宗教やカルトでしかない。私は、世の中を変えるのはフェミニズムの力ではなく、経済の変化や自分で自分の状況を変えようと努力した人たちだけだなと思うようになってきています。


ただやっぱり未練はあって、上のまとめにあるように、ちゃんと現実的な問題を見据えて語られている人もいると知って、少しだけまた期待したいなという気持ちになったりならなかったり(チョロい)

*1:あと、「マンスプレイニング」を指摘してドヤってるフェミの人、普通「社会的なexplaining」も批判するというバランスも大事にしよう、女の時だけOKはただのダブスタで信用なくすよという話とかね

*2:これについて、男やら健常者が私たちの権利を一方的に侵害してただけであって、それを正常に戻せ、そこまでは男たちが自主的にやるべきだと言ってるだけだ、という主張がされているのは知っています。でも私はその意見には組しません。そんな単純な話ではなく、優位に見合った負担も、劣位に見合った負担軽減もあっていびつながらも均衡を保っていたけれど今はその均衡が経済の状況で機能しなくなったという風に考えているからです