この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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goldheadさんの記事が素晴らしかったが素晴らしすぎてとても憂鬱な気分になった(笑)

どういう考え方をしてもいいんですけど、はたと立ち止まって考える力がなくなっているというか……考える、学び合う、という習慣が、実は運動体のなかにない。というところで共通しているんじゃないかと。政治イデオロギーとかそういうので一緒にやるんじゃなくて、それぞれ違いがあるなかで共通点を見つけて、「いま生存すること」と「いま働くこと」、そこで繋がっていける方法を模索する。私にはもうそれしかない

goldheadさんの今日の記事、私はとても素晴らしいと思った

朝に電車の中でこちらのとても残念なまとめを見てげんなりしていたのだけれど
男性が描いた「男性がフェミニストにならなきゃいけないワケ」の漫画が話題 - Togetter

その後で素晴らしい記事を読めて大変に気分が良い

自分が日頃気にしていることを、とても簡潔に、そして実感のこもった言葉で書いてくれている。筆者は全然私のことなんて知らないのはわかっているのだけれど、なんというか私のために書いてくれたんじゃないかって錯覚するような文章に出会うと嬉しくなる。

自分が付け足すところは特にないので、自分が気に入った箇所を抜きだしながら、日頃考えてることを整理してみます。 

というわけで、ここから下は私の独り言なので、このブログを読んでくださっている方は、是非元の記事を読んでみてほしい。

1 「ただ、立ち止まって考える」ことが、どうも欠けていると思えることはある

ただ、「立ち止まって考える」ことが、どうも欠けていると思えることはある。他の国のことは知らないが、ネットなんかでいろいろ見ていてそう思うことはある。なにかこう、あるテーマだかイシューについて、「お前はどう考える? どちらの派閥だ?」と、常に即断即決を迫られているような気になることが多い。

ジジェクだったか、「即断即決を迫られたら、まずその問いから疑ってかかれ」みたいなことを言ってたような気もするんだがな。「もうこの国には立ち止まって考える余裕などないのだ」とか言われても、「はあ、そうですか」としか言えんし

まずこれがものすごく大事な言葉だと思います。


1-1 入力と出力の間の時間差はとても重要

私はこの「立ち止まって考えられない」「意見を留保する体力がない」人が発言権を持っているのは非常に危険だと思っているのです。

「バカ」について - この夜が明けるまであと百万の祈り
ネットで意見表明をしたい人にとって「よくわからない」という気持ちはとても重要だと思う - この夜が明けるまであと百万の祈り

あることを腰を据えてじっくり学び始めると、しっかりした知識を獲得し、余程の自信を得られるまでは、自分の意見を発表しようとは思いません。そのテーマについて、先人たちがどのように思考してきたのか、よく咀嚼したうえで、自分の立ち位置を見つけなければならないのです。「専門家」とは、入力と出力のあいだに時間差を保てる人のことを言います。この時間差の広がりを「体系」というのです。逆に、その時間差がない人のことを、世間では「バカ」と読んでいます。

私は基本的にブログで書いてることは全部この「バカ」の状態で書いてます。「バカ」だけど思いついたことはとりあえず書く。ただし、それはバカの状態だとわかってるから、「自分はここまでは考えたりわかったりしたけれど、まだまだ分からないことが多い」というスタンスでいます。

なので当然「とりあえずここまでは考えたり調べたりしたけどまだわかんないこと多いからから結論は言わない」ということが多くなります。

「ここまでは分かった。でもまだ自分に見えていないものがたくさんあるはず」という姿勢が好き - この夜が明けるまであと百万の祈り
そうやって気を付けていてもなお、頻繁に勘違いや間違いをするので、その時にそ自分の考えに固執せず、間違ってたらちゃんとそのことを受け止めて直せるように心構えを持っておきたいなと思っているのです。

「ダニング・クルーガー効果」の進化系「パイロットの自信曲線」 - この夜が明けるまであと百万の祈り

150時間ぐらいのところに「何にもわかってないのに自信だけは満々」っていうピークがあって、間一髪で惨事を免れた分を差し引いた実効学習度の谷がある

1-2 即断即決を求め過ぎると、少ない情報で、ろくな思考や検証を経ずに結論を出してしまう

ところが、ろくに考えも調べもしてないのに、ちょっとだけ得た情報をもとにすぐ結論を出したがり、しかもそのことを正しいと疑わない人もいます。私がネットではじめてそういう人と遭遇したのが「青二才さん」であり、彼の存在を認識した時はもう衝撃でした。

この人は結論を出すのがめちゃくちゃ早いんですね。とにかく「なんでもすぐにわかろうとする」んですね。どのくらいせっかちかというと、一作品か二作品のサンプルを読んだだけで一つのジャンルについて語れると思ってしまうくらい。

この人は、世の中は白か黒くらいしかないんじゃないかと思うくらい世界を単純化している。彼を評して「世界の解像度が低すぎる」と評した人がいましたが、まことに的を射た表現であるなぁと今でも感心しています。

そして、そのあまりにも少ないサンプルと、乏しい根拠に基づいて考えた妄想に近い内容について、なぜか自信満々なんですね。
6割くらい正しいことは言ってるのですが、4割くらいものすごくズレたことを言い、そのことによって痛い目を結構見ているはずなのに、それでも自分のアプローチを疑わない。「自分の正しさを理解できない人間が間違っている」という自信を保ち続けられる。

これ、私には絶対に不可能なことで、本当に未だに私には理解できないことです。


1-3 せっかちが行き過ぎた結果、自分の頭で考える余裕がなくなって、BOT化している人が増えてきている

しかも、私が彼を見た当時は、少なくともはてなにおいてはすごい珍しかったのですが、
今となってはそれほど珍しくなくなったどころか、むしろそういう人の割合の方が多くなったようにすら感じます。

久々に生存確認された店長も同じようなこと書いてますね。
はてな村とかなんとか

原則としてなんらかの知的な訓練はなされてる人が多いので、その気になれば「人に読ませるための文章」を書ける人が多かったはずなんです。

「みんな」がインターネットに参加できるっていうことは、それはもう文字どおり「みんな」なんで、発信する力を持っていない人が多数派なわけです。発信しないことが悪いことだって言ってるわけじゃないですよ。単純に比率の問題です。

こうなってくると、青二才さんのように結論をすぐに出すことを我慢できない「せっかち」な人がどんどん増えてくる。せっかちなだけならいいのだけれど、その「せっかち」に飛びついた結論を修正できないという人が増えてくる。

今となっては青二才さんはまだ一応自分の頭で考えているだけ立派であり、今は「そもそも自分の頭で思考をしない」「近しい人が言ってるものをそのまま受け入れる(メディアは信じない。友達だけが情報源)」「フィルタが自分の中に存在しない」というタイプの人が増えて、というのははてな村奇譚でも指摘されていましたね。

いっぱい発言はしてるけど、その人自身が何を考えているのか、機械的に情報をインプットして、条件通りに情報を吐き出してるだけじゃないのかって思うような人たち。そういう人たちが増えてきたらいったいどうなってしまうのでしょうか。



日本の株式市場は、今取引の7割はアルゴリズムによる自動売買らしいですね。
流動性は増えたけれど、値動きは極端になり、個人にとってのチャンスであったはずのサヤ取りの部分はそういうアルゴリズム取引を駆使するHFTに奪われ、twitterでは毎日のように声の大きな煽り屋が、自分で考えずに売買するイナゴたちを操って場を荒らして自分たちだけが大きく稼ぐ。後には残り少ない食べカスに大勢が群がるという蜘蛛の糸のような地獄の世界。


ネットもそんな感じになってしまうのかなぁと思ったり思わなかったり。



もちろん、これはあくまで私の感覚、私の観測範囲の話であり、検証もされていないただの感想です。自分が目線を変えて、もっと明るい所に移動すればまた別の感想になるでしょう。



1つ目の引用部分だけでだらだら語ってたらだいぶ長くなってしまった。
それだけgoldheadさんの文章がいろいろと自分の心を震わせるということだと思うが。

いちいち書くのめんどくさいから残りは独り言ラジオでもしようかな。

概要だけ先にかくとこんな感じ。

2つ目は「人権教育から貧困問題が抜け落ちているのではないか」という話。

人権教育から貧困問題が抜け落ちているのではないだろうか。まるでヒューマン・ライツという崇高な概念と汚らわしい金の話を混ぜるなと言わんばかりである。が、人権は神棚に置いて拝むものではない。もっと野太いものだ。

なぜ、自民党を見回しても、野党を見回しても、財政健全化よりも目先の経済、反緊縮という勢力がいないのか(いや、政治家個人単位ではいるとは思うけど党なりなんなりのトップには立ってないよね)。日本の景気によって左右されるくらい頼りなく生きているおれには、そこんところようわからん

この部分は、今私が一番気になっているところだ。

私はネットで見かける自称フェミニストや自称ポリコレ集団が大嫌いなのだが、1つ目の「せっかちさ」「狭量さ」がまず嫌だ。次に「男女問題」だけを特別し、それ以外を軽視する姿勢が気に入らない。そしてなにより一番いやなのが「言葉遣いが汚い」ということだ。3点目が致命的で、だから私はトーンポリシングをかなり肯定的に見ている。

私は一足飛びに「支援」ではなく「平等」を求めてるのに「弱者」という立場を主張する人間から感じるアンバランスさが本当に気持ち悪くて苦手だ。そういう話です。


3つ目は「困窮者の若い人たち」である。

日本に行くまでわたしは、英国やスペインの若者や失業者たちが「新自由主義と緊縮財政の犠牲になっているのは自分たちなのだ」と立ち上がる姿を見ていたので、どうして日本でも同じことが起きないのか、と思っていたのである。しかし、もやいで困窮者の若い人々を見ていると、彼らにそれを望むのは酷な気がしてきた。

こういう状態になっているのは中国やロシアならともかく資本主義国家では日本とイギリスくらいなんじゃないかな、と。本当に「絶望の国の幸福な若者たち」状態だよねこれ。

安倍さんの政策は、藤田晋さんのインタビューにあったように「ある程度貯蓄がある人」が支持すべき政策であると思う。 少なくとも貧困の立場にある人たち、特に正社員になれない側の人間が支持するものではないと思うのだが。 自信を失って、政府に助けを求めたときに、受け皿が安倍政権しかないように見えてる人が多いというのが本当に不幸なことだと思う。

日本の貧困者があんな風に、もはや一人前の人間ではなくなったかのように力なくぽっきりと折れてしまうのは、日本人の尊厳が、つまるところ「アフォードできること(支払い能力があること)」だからではないが。それは結局、欧州のように、「人間はみな生まれながらにして等しく厳かなものを持っており、それを冒されない権利を持っている」というヒューマニティの形を取ることはなかったのだ。「どんな人間も尊厳を(神から)与えらている」というキリスト教的レトリックは日本人にはわかりづらい。

4つ目は「なぜ、日本はこうなったのか」である。

なぜ、日本はこうなったのか。他国のことはしらん。所詮は小国が(というほど小さくないよな、というのがおれの持論でもあるけど。ああ、でも平野は狭いか、とも思うけど)、その時々の時流に乗って、ちょっと大きな顔ができただけで、内面にあたる部分を育てることができなかったのか、とか。樹木だって、早く大きく育つものは、枝や幹が折れやすいものだ。日本は折れてしまった。あるいは、陽樹が淘汰されて陰樹が残るかのように。もっとしなやかに強い人々が作り出す、ダイナミックな国にはなれなかったのだろうか、などとも思う。この本には伊藤野枝の写真と、頭山満の写真が載っている。遠い昔のアナーキストや右翼の持っていたスケール。そういった野太く育っていくかもしれないものを、なんらかの特性や事情、あるいは偶然で伐り倒してきてしまったのが現状かもしれない。まったく、嘆くよりほかはないではないか。

私はこれについては語る言葉が全くない。私の中では日本はもうとっくに終わってる。「こんなこと言ってゴメンね、でも日本はもうだめです。2019年頃にバブルがあって、そこから終わりが来ます」みたいな認識だ。でも、自分はそのころにはもう死んでる予定だったからその先のことを考えてなかった。今が楽しければいいやと思ってたらここまで来てしまった。この先のことを考えると極めて憂鬱だし、ましてこうなってしまった原因など考えたくもない。

安倍政権を一生懸命叩いている人も、逆に安倍信者と化して民主党と戦っている人も、みんな不安なのではないか。不安だからこそ目をそらそうとして現実と向き合わないために敵を作り出しているのではないか。悲しいことに日本は敗戦によって外側に敵を持つことを禁じられてしまったから、国内で共食いをするしかないというわけだ。

気持ちはわかるし、それで満足できるならそれはそれでいいと思う。私はそういうのに茶番を感じてしまってどうも乗り切れない。

私はgoldheadさんのように憂鬱な気分とずっと向き合う教養も精神力もないわけで。この先どうやって生きていったらいいんだろうなぁ……ほんとに。