この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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「南京大虐殺」問題化するゆらぎ荘問題

ゆらぎ荘問題、表現規制反対派の人たちの暴走が止まらない様子。

ついにまともな「反対派」の人が、「反対派」の看板を掲げながらただのゲスの愉快犯と化している人の発言を否定して回らなければならない状況まで進んでますね……。


規制に賛成反対以前に、まともな議論能力がない人たちの声が大きくなっている状態

最初に言っておきますが、私は表現規制反対派ですし、北原みのりさんのことは嫌いです。とはいえ、

靖国神社境内でくっそ汚いヌード写真撮影を無断でやったフェミニスト北原みのりが、例のジャンプ漫画に対して「エロの表現の自由に執着するな」「男性の性に寛容過ぎる」とか言ってるの、もうそれ自体がお笑いだよな

というコメントが2万以上のRTが付いており、これと同様の趣旨の発言が多数人気ツイートとして出てくる現状は残念としか言いようがありません。






さて、この特定の話題について「まともな人がだんだん去っていって声の大きな馬鹿だけが残る」「地雷原だらけになり、命知らずの馬鹿が一定確率で死者を出しながら影響力を持っていく」という現象、ありとあらゆる現象で起きている。問題がデリケートであればあるほどこうなりやすい。




南京大虐殺問題化」=テーブルの両側に残っているのは狂信者のみになる現象

この問題について

小飼弾は「真のウィンプはマッチョどもがそこを舗装したあげく亡んだのち、ゆっくりと歩めばよい」「最後に残るのはウィンプ(自分ではなにも変えるつもりはなくただ恩恵に預かろうとするだけの存在)」と述べ、*1
404 Blog Not Found:最後に勝つのはウィンプ -- 最後まで待てるのなら

中川淳一郎は「ネットは馬鹿と暇人のもの」「ネットは基本、クソメディア」というズバリのタイトルの著書を出し(中川淳一郎さんには「OJTでいこう!」という名著があるのだが、今ではすっかりこのタイトルの人ってイメージですよね…)

OJTでいこう!

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小田嶋隆は「南京大虐殺問題化」と呼んだ。

①特定の事件について、二つの対立する勢力が、互いに相容れない見解をぶつけあっている場合、議論は、空洞化する。歩み寄る姿勢を持たない論争は、平行線どころか、より対立を深める方向で推移するものなのだ。


②特に、対立する論敵同士が、事件を政治的に利用する目的で自説を展開した場合、両者の議論は、両極端に向かってむしろ分裂して行く。論敵がフェアな相手でないと判断した論者は、自分だけがフェアな態度でいると、論争に負けてしまうと考えて、結果、自らもアンフェアな態度で議論に臨むようになる。かくしてディベートは荒れる。証言は捏造され、証拠は隠蔽され、データは恣意的に引用され、テーブルをはさんだ両者は、相手を貶めることだけを目的に言辞を弄するようになる


③時間がたつと、真相は事件の発生直後よりさらにわかりにくくなっている。わかりにくいだけではない。一般の人間にとっては、その事件に関わること自体がリスクになる。すなわち、「えんがちょ」だ。触れるだけで汚れが感染する、汚染源みたいな話題――南京大虐殺は、既にそういうタームになっている。テーブルの両側に残っているのは狂信者のみ。一般人は一瞥を送ろうとさえしない


どちらか一方がウソをついているのではない。両者のいずれもがウソをついている。それも、真実のために、だ。両者ともが、被害や復興の実態を歪曲して伝えているのである。なんということだろう。

「不安の利権化」=不安や不満を、誰も幸せにならない形で動員する人たちの存在を抑えるためにも、まっとうな批判を歓迎し、対話は続けていったほうが良いと思う

ちなみにこの記事ではもう一つ面白い部分がある。「不安の利権化」という考え方だ。

不安のようなものでも、組織化されると一定の「権力」を帯びるようになる。「利権」と呼んでも良い。不安利権は、やがてビジネスになり、政治的な運動の体を成すに至る。こうなるともはや無害ではない。

復興の妨げになり、差別の引き金になり、ヒステリーの温床になる。
不毛な議論の周辺では、不毛なレッテルが大量生産され、それらのレッテルが思考停止を招く。
言葉が発明される。レッテル貼りが横行し、リストが作られる。

かくして、議論は死に、論争は南京化し、真実は虐殺される。

今回の問題、私は「ゆらぎ荘の幽奈さん」の巻頭カラーの部分に対する批判は一定の正当性があると考えている。
そのうえで、批判のしかたが乱暴であり、また広範囲に及びすぎていることが問題をややこしくしていると思っている。

これについては「母親」の立場にある女性たちの子育てに対する不安や、ジェンダーの問題を意識している人たちの日頃の不満などの蓄積があるという指摘が重要だと思います。

「息子には少年ジャンプは読ませない」という親の中には「私には性教育の正しいフォローができない」という不安がある人がいると思う - 斗比主閲子の姑日記

要は、子どもから"不快な"表現を排除したい親の中には、その表現のフォローしきれないと思っている人がいるということを言いたくて。不安な親はいるんですよね。

気をつけていても、いつのまにかジェンダーバイアスが刷り込まれてくるので、都度修正しているのだが、なかなか追いつかない。かといって子供をガチガチに管理するわけにもいかない。社会が子供を育てる、という負の側面に直面している。先のtwに関しての意見で「子供の性教育的なところまで社会に求められても困る、家庭でやってほしい」というのも目にした。だが、こんな風に社会からの刷り込みに抗っていると、社会の責任をネグって「それは家庭でやれ」の一点張りなのは、さすがに社会が子供を育てる意識が欠落してると言わざるを得ないのではないかという思いはどうしても湧き上がってくる。社会や学校でできることに限界があるように、家庭においても限界はある。それらは相互補完しあって、次世代の育成というテーマに向かうべきだと思うのだが、現状はこんな風に親の自己責任で押し通されてしまうことが多い。社会がこんな風だと私の努力など蟷螂の斧ではある

こうした「不安や不満」は常に火種としてくすぶっているというわけだ。

正直、私はこの記事の意見には完全には同意できないが、この記事を書いた人がとにかく「不安」や「不満」を感じているという事実は無視してはいけないと思う。ちゃんと拾い上げていくべきだろうと。




それを無視しているとどうなるかというと、こういう不安や不満をを利用して自分の売名のためにあちこちに火をツケて回る人達が現れるのです。

こういうのはネットでは半ばビジネス化しつつあると言っても良い。 別にゲームハードや差別問題だけじゃなく、ジェンダーの問題も、低俗なメディアや質の低い批判や煽りによって動員されるようになってきている。



今回の火元となった人の発言については、先の記事である程度追いかけたつもりですし、批判として一定の正当性があることは認めています。

「ゆらぎ荘の描写を巻頭でやるな」に対して「昔からジャンプはそうだった」という反論をするのはズレてるだろという話 - この夜が明けるまであと百万の祈り

その上であえてひどい言い方をすると、今回の件、悪意はないと思うし、真摯さがないとは言わないけれど、その議論提起の部分の雑さや無責任さにおいて、「はちま」や「ゲーム速報刃」や青二才のように質が悪い煽りだったと言わざるを得ないと思います。


私はネットで声の大きいフェミニストはやっぱりクソみたいな理屈を述べてる人の割合が多いと思う。そういうクソフェミの人たちの声がでかくなると、そりゃ規制反対派側だってもヒステリー起こすよねって思うのです。声が大きいだけでまともに批判出来ない人の声ではなく、もっとちゃんと批判できる人を拾えるようにならないのかなぁ……。





「ジャンプに何の問題もない」という擁護の仕方は、今後のジャンプにとっても、ゆらぎ荘の幽奈さんという作品にとっても全くオススメではないと思う

ところで私は規制反対派であるし、「自主規制」にも当然反対だ。

なので、いきなり自粛するみたいな展開は全く望んでないしそういう方向が一番ダメだと思う。どちらかというと批判の声に対してそろそろ「対話」「反応」くらいは示したほうが良いだろうと思う。具体的に言うと今回の件、アンケートを取ってみれば良いと思う。もちろんネットではなく実際に買って読んでる読者に対して、である。



今なら、まだ「対話」や「意見求む」ができる段階です。話を聞く姿勢をみせれば、今回のような雑な煽りやヒステリックな抗議が集団で押し寄せるような話にはならず、冷静な人から意見が聞ける状態だと思うのです。

逆に、今の状態を放置しておくと、リアルでのセクハラなどの大事故を起こしかねません。

去年は電通の年だったが、今年はジャンプが吹っ飛ぶ年になった、などという展開は誰も幸せになりません

社会問題にもなった電通過労死事件が「略式起訴」だけで終わりかけてるのは納得いかないという話 - この夜が明けるまであと百万の祈り

電通不祥事一覧
1月デザインをパクり
4月パナマ文章に電通
5月オリンピック招致で賄賂
6月2ちゃんでステマ
7月インターン選考で炎上
8月SMAP情報で嘘をばら撒く
9月広告費偽装、食べログステマ
10月電通社員過労死が社会問題化

ジャンプ編集部も、直近にセクハラ疑惑をやらかしたばかりです。

あの時は青二才という馬鹿のまとめが火元になったせいで議論が台無しになってしまったのだけれど、あのときも批判そのものは正当性があった。青二才がもうちょっとまともに批判できればなぁ……。


そういう意味で、「昔はハレンチ学園があった」みたいな佐々木俊尚さんのような論法は、長い目で見た時にもっとも害がある擁護の仕方であると思うのです。 別におっさんたちがジャンプに自分の記憶の中にある全盛期のままでいてほしいと夢を望むのはかまわないけれど、当事者のジャンプの中の人がそんなこと言ってるようなら、ジャンプという媒体自体が老害化するだけですしね。多様な意見を取り入れて、今の時代ならではのエロやお色気を追求していくのは必要なことだと思います。 


いや、これはこれでどうかと思うけどな……。最近のジャンプのマンガ読んでみたけど普通におもしろいし、部数が復活したのはそういう作品のおかげだと思うけど。エロに寄って部数を支えてるとかマジで言ってんのかこの人は……。
とはいえ「ハレンチ学園」と「ゆらぎ荘の幽奈」を同列に語るのは間抜けでは有りますよね。




最後に。

「各種のレッテル」「思考停止ワード」「アイツは~~派だ」などの言葉を使っている人からは距離を取ったほうが良い。

この件に関しては処方箋も記述されている。

ともあれ、自分たちが使っている「レッテル」と「思考停止ワード」を列挙して、互いにそれを含みおいた上で議論をすれば、論争の不毛さはずっと軽減される。そう考えて、せめてレッテルを貼る時には、そのレッテルに対して覚醒していようではないか。

基本的に、これだけ徹底するだけでもだいぶましになると思います。


たとえば「表現の自由」って言葉を軽々しく使う人は完全にアウトですね。

私はこちらでも書きましたけど
クジラックス問題 - この夜が明けるまであと百万の祈り

批判があったときは、問題点について議論し、問題がある点とない点を検討し、その上で問題があった時に「表現の自由」を逸脱するような話だったかを最後に論じる、という順番が大事だと思うのです。「表現の自由」は別に問題そのものを無化するワードではない。

つまり「表現の自由」って言葉は議論の最後の最後に出すべき言葉であって、初手からこれについて話し始めるという時点でその人はただのカカシだと思ったほうがいいです。そういうことすら分かってない人は、まともに考えるつもりがないから議論の邪魔です。無視したほうが良いでしょう。

*1:もっとも、これについては今回の話題とはちょっと違うのだけれど